呑まれる

永里茜

第1話

 クリュウは卓越していた。つまり、綽々としていた。起床、洗顔、ランニング、シャワー、朝食、毎日のルーティンはきっちりと定まり、休みの日も夜寝て朝起きる、定刻通りそれを10分の差もなく繰り返している。

「おはよう、このありさまはなに」

「うわ……おはよう。寝落ちしてた……。Threadsあげるのたのしくて」

 陽当たりの良いワンルームで薄手の毛布に絡まり、ボサボサの髪でこちらを見上げるクリュウ。その枕元には点きっぱなしのスマホ。

「珍しいね」

「ね。TikTok撮って」

「どれやりたいの」

 あ、充電しなきゃ、と呟きながらトントン小気味よく画面を叩いて渡して来る。

「これ」

 見せられたのはおおげさに寝起きの格好をしたセルフィーから3,2,1でぴっちり装った姿に早変わりする動画だった。

「ビフォアフ系じゃん、なに、いまを原型として整うまで待てと」

「せっかく寝坊したからやるなら今かなって」

「さすがやな」

「イヤ?」

「べつにいいよ。じゃあ撮るよ」

「はや」

「ちゃんと寝起きのほうがいいじゃん」

 動画は妙に色気があるし、ぬいぐるみとくるまって寝てる図が可愛くなりすぎてダサい→美しいの反転が作れそうになかった。とりあえずエアドロしておく。

「なんか違くない?」

「もうちょいダサめに寄せたのも撮っておこうか」

「そだね、ありがとう」

「それはそれとして、さっきの動画でボツバージョン作ってみたらいいと思う」

「やってみる」

 今日はカジュアルな夏の装いにまとめたらしい。パッチワークがランダムについた空色のディストレスデニムに赤いガチャベルトをしめて、ライトグリーンが爽やかなボーダー柄ポロシャツでレトロ感を演出。日焼け対策にオーバーサイズ・薄手の白リネンシャツに、足元はビルケン。革の旅行カバンはビンテージだ。青眼のカラコン、がんがんブリーチしてるくせに髪質の落ちない艶の張った銀髪をゆるく巻き、編み込みでトレードマークのみつあみを作る。マスカラでまつ毛を薄くして、顔の立体感重視で肌を整え、アイシャドーはブラウン系をチョイス。リップはつややかに桃色。仕上げにカンカン帽をかぶる。

「できた」

 キラキラのエフェクトをかけてウィンクをさせる。しっかり撮れ高が確保できた。これからバカンスに行って日焼けする気満々! な風貌。

「ん〜、いい感じ。これで動画作れそう。で、何がしたい?」

「中華食べたい」

「いいよ〜、中華街行こうか」

「今から横浜行くの?」

「お昼過ぎには着くでしょ」

「お天気いいし散歩もありか」

「でしょ。あ、日焼け止めだけ塗らせて?」

「わたしも塗ってないや」

「はい、これ、カラダ用のやつ」

「借りるわ」

 クリュウは頭皮用の日焼け止めスプレーをシューシューしながら、高そうなパケのボトルを手渡して来る。塗ると控えめに肌がキラキラした。家の中はよく整理されていて、いつ行っても色とりどりの日焼け止めが玄関横のラックに揃って置かれている。

「じゃ、行こか」

 わたしは日傘をパタリと開いて、クリュウはサングラスをかけて陽炎ゆらめく真夏の東京に立ち向かっていく。

 渋谷で東急東横線に乗り換える。何度もエスカレーターを降りながら、大きな口の中に飲み込まれるみたいに地下へ沈む。いつものことながら声を掛けられて、クリュウはにこやかにファンサしてる。写真を撮りたいと言うから二人組に応じて、わたしが写真を撮る。

「そう、今日はこのひとと散歩行くんだ」

「あの、楽しんでください」

 顔を真っ赤にして伝えてくる女の子を、にこにこと優しく笑って受け止めている。

「良い一日を!」

 とひらひら手を振りながら去るクリュウは飄々とした自然体で、いつ見てもいわゆる「神対応」だ。古着屋の店員としてインスタでも圧倒的な人気があって、接客を目当てにする客も多い。古着のコーデはもちろん、趣味としている芸術展の鑑賞記録や旅行の様子、洋服の素材や古着のディテールについての豆知識など全体として教養のある感じの投稿内容が他のファッション系インフルエンサーと一線を画していた。それでいて実物はふわふわ癒し系で、トレンドに乗ったゆるいポストも淡々と上げるので知恵のあるのが鼻につかない。こうして街中で話しかけてくるのは女性ファンが多いけど、フォロワーは概ね男女半々くらいでバランスがよく取れた集客。特にクリュウが独自にやってる古着のメール査定サービスなんかは、「どういう点を評価して/評価しないで」その値が付くのか、一つ一つ丁寧に説明し、かつ自店舗では買い取れないものでも、「この服は〇〇系だからどこどこの店舗だと高めに買い取ってもらえるかも」とまとめて送り返してくれるのが、自分の古着審美眼を試したい三〇代以上の男性層にも人気だったりする。

 昼過ぎ、東横線のプラットフォームはそこそこに人が溜まってるけど、渋谷始発だと案外難なく座れる。

「ね〜、いよちゃんはどういう系の中華食べたい?」

「小籠包とか、麻婆豆腐とか、空芯菜の炒めとか? あ、でも食べほじゃなくていい感じ」

「え、めちゃ具体的だね。お腹減ってるでしょ。じゃあ台湾系のお店で探すね」

「ありがとう」

 すでにクリュウは細長い指をでかい画面に走らせて、お店を探している。

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