白いバラの浴衣

 八月。東京の夏休みも中盤に差し掛かる。


「ほら莉緒、腕の裾上げて」

「こ、こう?」

「そうそう。ほら、ちゃんと着られるじゃない!」


 莉緒の母・奈緒が、娘を鏡台の前に立たせる。シュルシュルと帯を絡め、肌がはだけないように隙間を閉めて……


「はい、できた! お母さんのお古だけど、いい感じに似合うわね! やっぱり親子だわ」

「おぉ……かわいい」


 完成したのは、浴衣姿の莉緒である。

 母が若い頃に着ていた浴衣を譲り受け、着付けをしてもらった。青い生地の上にが大きく描かれた、シンプルだが華のあるデザイン。そして赤い帯。

 正直、思ったより似合っていて自身も驚いている。


「実はこれ、お父さんと初デートした時に着たの! だから自分に娘ができたら、いずれは譲ろうかと思っていたんだけど……まさか本当にその時が来るなんて。お母さん、嬉しいな!」


 なるほど、親の馴れ初めを受け継げという意図だろうか。

 しかし一つ、思うところがあるとすれば、


「それ、私が陰キャで祭りとか行かなそうだから、半ば諦めてたんでしょ? 母親なのに酷くない?」

「それもあるんだけど……」


 少し溜め込んだ後に、奈緒は華奢に言う。


「それを見せる相手が、ようやくできた彼氏とか……これ結構な親孝行じゃない? 数年以内に孫の顔見られるやつ?」

「ま、孫って……昭和の人か⁉ いや、昭和生まれか」


 などと、昔の人が使いがちな文言で冗談を言うくらいには、奈緒はお茶目である。

 しかしそれほど、男っ気どころか友達も少なかった娘に、彼氏ができたことが嬉しいらしい。ただもちろん、有村からのイジメも知らない。その彼氏の正体も、現実は残酷だ。


「ただ、あまり羽目を外しちゃダメ。男は気を許すと、すぐに野生の本能出してくるから」

「いや、たぶんその辺は大丈夫。……彼、結構な堅物だし」


 それはさて置き、莉緒は浴衣の模様が気になって仕方がない。


「浴衣に白いバラ? ……純潔の悪魔だから、なんてね」

「え? バラがどうしたって?」

「い、いや……なんでも」


 白いバラの花言葉は、〈純潔〉。まさか、これを見せる相手が〈純潔の悪魔〉だからなんて、神の皮肉ではないだろうか? そう思ってしまうくらいに、面白い偶然だ。


「ま、とにかく真摯な子なのね。今度、紹介してね」

「うーん……どうかな」


 ――だって、それだとお父さんにも合わせる流れじゃない。

 霜と父・啓吾がかかわりを持ったら……どうなるかわかったものじゃない。


 ***


 祭囃子まつりばやしが近づくにつれ、人の密度も濃くなっていく。発電機の排気ガスの匂いが漂って、それが活気の証拠となっている。

 老若男女が集まり、白礼高校の生徒も見かける中で、霜は待っていた。

 若年層は浴衣が多く、それ以外はカジュアルな私服が多いが、ちなみに霜は後者である。


「龍、そっちの準備は?」

『おー、順調よ。お前らのお楽しみがピークになる頃にゃ、完了する予定だぜ』

「絶頂ってお前……余計なお世話だ」


 電話越しに龍へ確認を取るという、またしても見たことのある光景。


「第一、 俺たちを置き去りにしたこと、まだ許してないよ?」

『でもよかったろ? あ、そっか。お前チキったから、ヤること何もできなかったんだ!』

「うっせ!」


 と、まぁここまでは下ネタである。

 しかし順調なら問題ない。


「ま、いいや。本番は盛大に頼むよ」

『任しといてくれ! あ、そっちの本番も盛大にな!』

「おぉ、殺すぞ」


 ふざけた会話はいい加減に、電話をブチッと切る。大変下らない。

 しかし、待っているのは龍のそれではない。たぶん、もうすぐだ。


「――ごめん、おまたせ」

「お、来たか」


 噂をすれば、莉緒がやって来た。

 草履の音がそこらで聞こえているので、どれが莉緒だったかはわからなかったが、意外にもすぐ近くにいたらしい。

 少しだけ化粧をしているのが珍しくて、その顔に少しだけ見入ってから視線を落とす。


「本当に浴衣着てきたんだ?」

「お母さんのお下がりだけどね。……どうかな」


 少し腕を上げて、袖をひらひらさせて。身体を捻って全体像を見せる。

 何気ない動作だけれど、こちらの感性をくすぐってくる何かを、霜は感じた。


「うん、似合ってる。可愛い」

「ふふっ、ありがと」


 特に求めてはいないけれど、かけてほしい言葉をさり気なく言えるのが、霜の良いところだと思う。やはり殺人未遂さえしなければ、完璧な男なのに。非常に残念でならない。

 ただ、可愛いと言いつつも、霜はそのデザインをジッと見つめて、


「白いバラ……? ダジャレか?」

「そんなわけなかろう。ま、私もそう思ったけど」


 やはりこの男、白バラの花言葉を知っているらしい。

 だがしかし、真夏の衣類である浴衣にバラとは、少々季節外れではないかと思う。バラは基本的に春の末から初夏にかけて咲く花だ。これのデザイナーは、どういう意図でこれを作ったのだろうか。


「……莉緒も、自分から気持ちを押し出してくるとは、大胆になったもんだ」

「え、なに?」


 デザインの疑問は、霜の一言でさらに深まる


「白バラの花言葉で〈純潔〉以外のやつ、知ってる?」

「知らない。どんなのがあるの?」

「それは……いいや、後で教えるよ」

「ちょっと、そういうのが一番モヤモヤするんですけど!」


 詮索するように眺めた後、霜は勿体ぶって回答を保留にした。

 だがしかし、少しだけニヤニヤしているのがわかる。こういう表情の時、この男は大抵意味深なことを考えているのだと、この三か月で覚えた。


「さて、そろそろ行こうか。あまり遅くなると、屋台の物が売り切れるぞ」

「もう! ……今日は流石に、物騒なことはない、よね?」

「フラグか?」

「やめて」


 再び人の波に入り込んで、二人は足早に、祭りの会場である広場へと向かった。

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