純潔の悪魔と、金髪のチャラ男

 とある日曜日の昼下がり。


「ねー、お姉さん。そこでお茶でもどうです?」


 ――どうしてこうなった。

 多くの若者が群れ成す繁華街、耳を貫く車の音。


 そして目の前には……金髪のヤンキー。


「いや、あの……」


 告白は霜で経験済みだが、ナンパなどされたことが無いので、断り方もわからない。最悪な事に、ヤンキーが相手とは。そして意外にも、殺人犯と付き合っているくせにヤンキーは怖いらしい。


「答えはどうなの? イェス、ノー?」

「近い近い……」


 イェスかノー、こんな風に答えを催促する感じ、どこかで聞き覚えがあるな。などと思いながら、カラコン入りの瞳から目を逸らす。


「た、助けてぇ……」



 ***



 数分前。


『〈莉緒〉待ち合わせ場所、着いたよ』

『〈霜〉了解。じゃあ、適当に時間潰して待ってね』


 東京の街は、平日も休日も関係なく人でごった返す。見たところ、今日はデートを楽しむ若いカップルが大半を占めているようだ。お揃いコーデに、金髪ギャル。日曜だというのに制服デートをしているカップルもいる。


「おぉ……私には到底無理だわ」


 今までなら、こんな光景に自分が混ざるなんてありえなかった。彼氏などいたことがなかったし、休日も勉強に励む日々だった。


 しかし今日だけは違う。それは昨晩、『明日、デートしない?』という突然のメッセージが、霜より送られてきたからだ。


 正直、気乗りはあまりしなかった。が、今日は久しぶりのおめかしをして、少しばかり付き合ってやろうと思い家を出たわけだ。



「しっかし……もっと静かなところがよかった。私はこういう場所が苦手なんだよ!」



 陽のオーラに支配される場でのぼっちな現状は、非常に肩身が狭い。気を紛らわせるためにブツブツ独り言を放つ。


「……大丈夫。もうすぐあいつが来るから、私はぼっちじゃない! ……来るよね、多分」


 心配事は、約束の時間に来るかどうかが怪しいことだ。また以前のように、「主役は遅れて来るものだ!」だとか言って、何か最悪のタイミングで登場しそうな予感もする。


 ――意外と、すぐ近くでこちらを見ているかもしれないが。



「ごめんごめん、待ったぁ?」

「お、来た来た……――って、」



 待ち望んだセリフが小走りで近づいてきた。そう思って振り返る……が、霜はそこにはいない。駆け寄ってきたのは、雰囲気も背格好も彼とは似つかない、『金髪のチャラ男』だった。


「ど、どちら様で?」

「あれぇ? お姉さん、誰かを待っていたみたいだったから、もしかして……俺という男かな⁉ って思ってね!」

「……」

「ちょと、手始めの冗談だから! だからそんなに絶句しないで! ね?」


 一言目でわかる。この男はヤバイ。桐崎霜とは違う意味で、頭がおかしい。

 ヘラヘラしながらピアスを光らせ、呆然と立ち尽くす莉緒に接近する男。――あまりに突飛すぎて、逃げるのを忘れてしまった。


「ごめんねぇ。でも……お姉さん可愛いね! 清楚な感じがチョー素敵!」

「あ、すみません。私、彼氏いるんで」


 適当な返しだが、これが一番妥当だろう。

 ――それでも男は引かない。このナンパは、こうして始まった。



 ***



 そして、今に至る。


「俺、諦めの悪い男だから。お姉さんがイェスと言うまで下がらないよ?」

「あの、いい加減にしてください! っていうか、した方がいいです」

「した方が?」

「あなたのためを思って言ってるんです!」


 今のは単なるハッタリではない。

 実はもう、かれこれ五分はこの調子だ。いくらこのナンパ師が食い下がらないとは言え、これ以上続けば……


「マズい……もう、霜が! 彼氏が来ちゃうから!」

「あぁ、待ち合わせだったのね! だったら俺、彼氏君に交渉しちゃおっかなぁ。彼女さん下さいって!」

「このっ……⁉ 馬鹿言っていないで、早く逃げないと!」


 もし、霜にこの状況を見られでもしたら。〈純潔の悪魔〉が本性を現すのが目に見えているし、彼はまず容赦しないだろう。それに、ナンパ師の誘いがエスカレートすれば、尚更だ。


 本当に、この男のためを思って言っているのだ。『逃げなければ、彼氏に殺される!』と。


「ねぇ、お兄さん」

「――んんっ⁉」


 ふと、騒音の中から聞こえた声に、息を呑む。


「僕の彼女に、一体何をしているのかなぁ?」

「おっと、噂をすれば?」

「はわわわわわ……」


 チャラ男の肩に、背後からヌッと手が伸びで……霜が顔を出した。


「……お前、殺すよ? いい? いいよね」

「霜っ、ダメ!」

「答えは聞いてない」


 ――本気でヤバイ。このヤンキーは終わりだ。


 危惧していたことが現実となって、何事よりも心配が勝つ。きっとこの男は、明日には瀕死の状態で発見されるのだろう。

 それだけはダメだ。彼を制止するために、飛び出そうとした。その時、


「……まったく。お前は本当に相変わらずだな。女なら誰でもいいの?」

「いやいや、この子はまた違うでしょ! ――痛っ、叩くなよ!」

「……へ?」


 すると、瞬間的に表情が落ち着く。霜は嘆息を漏らして、肩に置いた手で頭を叩く。


「そんなに怒るなよー、霜! 俺とお前の、熱い夜を過ごした仲じゃないかぁ」

「黙れ、気色悪い!」


 なんだろう、この和気あいあいとした感じは。


「え、なに? 二人とも知り合い?」

「ごめんね、莉緒。紹介する」


 随分と置いてけぼりにされていた感じが否めないが、霜が一旦深呼吸を置いて、語り出す。


「こいつは龍。薬師寺やくしじりゅうだ。所謂いわゆる、幼馴染でという奴で――」

「それでもって、霜の正体を知る数少ない人物……ってところかな」

「ついでに、下半身ゆるゆるのクズだ」

「えへへー、女の子だーいすき」


 ――と、言われましても。

 何かと情報量が多すぎて、脳の方が追いつかないのが現状だ。

 しかし、霜の正体を知っている人物、というのは聞き逃せない。莉緒はふと、感じた事を呟く。


「……私だけじゃなかったんだ。知ってたの」

「大丈夫! 元々無関係だった人間で正体を知るのは、莉緒だけだよ! 君は変わらず特別だ」

「何が大丈夫なのかわからない……けど、聞きたいことは山ほどある!」


 まず、整理しよう。交錯する情報をパーツとして用意するのだ。


「えっと、薬師寺君?」

「龍でいいよ」

「じゃあ、龍君はどうしてここに? 私は霜に呼ばれて来て、そこにナンパだなんて……偶然とは思えないんだけど」


 ここで、龍の最初の発言が引っ掛かった。彼は「ごめん、待った?」と言った。まるで、待ち合わせを知っていたかのように。


「流石、莉緒は賢いね。そうだよ。俺は今日、莉緒だけじゃなく龍も呼んでいたんだ。莉緒に紹介しておきたくてね」

「そうそう。だから莉緒ちゃんにナンパしたのは、初めからわかっていてのおふざけだったのよ! 許してちょ?」

「なんか、馴れ馴れしいな。龍君」


 馴れ馴れしいタイプはあまり好きではない。よって、龍は苦手と意識した。

 しかし、これで合点がいく。……そして、もう一つが肝心だ。


「その……正体ってのはさ、〈純潔の悪魔〉ってことでいいんだよね?」

「当たり前よ! なんなら俺は……な、霜?」

「うん、そうだな」


 軽く目配せをした二人。莉緒の理解が及ばぬ領域で、なにやら互いに意思疎通をしているらしい。幼馴染だからこその、コミュニケーションだろうか。

 霜がポンと肩に手を置いて、こう告げた。


「俺はいつも、一人で戦っているわけじゃない。……龍は〈純潔の悪魔〉の、ただ一人の共犯者なんだ」

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