父の捜査線上

東雲しののめ警部、昨晩の事件の報告書です」

「おう、ご苦労さん」


 警察という組織は基本的に、事件が片付かないまま立て込んでいる時は非常にピリピリしている。硬く、重く、気まずい空気の中、警部補がまとめた報告書を受け取るのは、東雲啓吾しののめけいご警部。


 東雲莉緒の父である。


「今月に入って三件目か……なにが〈純潔の悪魔〉だ、ふざけやがって」

「神出鬼没の連続殺人未遂犯。まるで尻尾も掴めませんね」

「そのせいで上もピリピリしてやがるな。ただ、現場にその文句を言われたところで、こっちも最善は尽くしているつもりなんだがな」


 〈純潔の悪魔〉の名は、今や稀代の凶悪犯として全国に名が広まっている。しかしいつまで立ってもその足取りは掴めず、その姿はおろか性別すらも明確になっていない現状は、警部という立場の東雲啓吾には良いストレスだ。


 さらにもう一つ。ここ最近で、彼に最も負荷をかけた出来事があった。


「問題は、十日前に発生したあの事案だ」

「十日前……確か、都議会の有村議員の娘が、〈悪魔〉の被害に遭った件ですよね?」

「あぁ、被害者の内一人の名は『』。私立白礼はくれい高校の生徒で、一言で言えば素行の悪い奴……なんだがな」


 被害者の有村花音、そのプロフィールに目を通したところで、言葉をにごらせた。

 すると警部補が、気がかりなキーワードを言い当てる。


「あれ? 白礼高校って……確か、警部の娘さんもこの学校でしたよね? ということは……」

「まぁな。はわからんが、娘のすぐ近くに奴が現れたってことだ。犯行現場も、白礼からそれほど離れていないしな」

「それは……親としては心配ですよね」

「……親として、か」


 それはもちろんそうだ。娘を思う親の気持ちとしては、この件が偶然であることを願うばかりなのだ。

 ……だがしかし、現実はそう優しくはない。


「俺は親として、娘のことをよく見ているつもりだった。……が、どうやらそうでもなかったらしい」


 刑事というのは、被害者の周辺をつい深掘りしてしまうというさががある。まさかそれで、自分の知らない娘のことを知ることになるとは……思いもしなかった。



 ***



 さて、さかのぼること七日前。

 これは、白礼高校の生徒に聞き込み調査を行った時のこと。


「有村花音が……いじめを働いていた?」


 複数人の生徒に話を聞き、そのほとんどが口を揃えて言ったのは、『有村のいじめ』についてだった。


「は、はい。あいつは女王様みたいな奴だったんで、気に入らない生徒はとことん嫌がらせを受けていましたね」

「それで、学校側はどうしたんだ」

「有村の親は有力議員ですから……逆らうなんて無理ですよ! 学校側も、金と権力もために全て揉み消したんです!」



 最初に『いじめ』と聞いてまさかとは思ったが、テンプレートなシナリオだ。この様子だと、教師も生徒も『見て見ぬふり』をし続けたのだろう。権力と、有村の報復が怖いから。

 生徒は、続けて言った。


「でも、一人だけ。あいつが執拗しつように目をつけていた女子生徒がいたんです。あの子は可哀そうだったな……誰も助けちゃくれないし、求めることもできないんだから」

「酷い話だな」


 ――その生徒が不憫ふびんでならないな。

 この瞬間までは、まだその程度の感情だった。ただ、捜査の糧にでもなればいいくらいの。


「で、その生徒の名前は?」

「はい、……二年の、東雲莉しののめりです」

「……は?」


 ――ちょっと待て。どうして莉緒が、娘の名前がそこで出るんだ?

 文字通り、寝耳に水だ。娘がいじめに遭っていただなんて、今までそんな素振りは一切なかったのに。


「そ、それはいつから! その生徒は、いつから有村に⁉」

「え、えーと……一年弱ってところかな」

「そんなに長い間……どうして⁉」


 どうして莉緒は何も言わなかったんだ。どうして助けを求めなかった⁉ いや、それ自体が無理だったのかもしれない。学校側が全てを黙認していたのなら、尚更なおさら。だがしかし……話くらいはしてほしかった。


 刑事として、親として、すぐ近くにあった苦しみに気付いてやれなかった! 助けてやれなかったという自責の念に、東雲警部は圧し潰されそうになる。



「……誰も、味方をしてやらなかったんだな」

「いや、そうでもないですよ?」

「なに?」


 その生徒はキョトンとして、


「実は最近、東雲に告白して付き合い始めた奴がいるんですよ。イジメのことを知っているにも関わらず!」

「なんだと?」



 娘に恋人ができたこと、それは知っている。莉緒がコソコソしていたので、何かやましいことがあるのでは? と感じていたが、色々と初耳だ。



「あー、そうだ! 付き合い始めたのは確か、有村が襲われたのとほぼ同時ですね」


 ……おかしい。何かが引っ掛かる。


「その彼氏だけが味方になって、東雲は少しだけ楽になったみたいですね。有村もいなくなったことだし」



 ――有村の事件と、莉緒の交際開始時期。これら二つ……タイミングが良すぎるのではないか?


 相手の男もそうだ。イジメのことを知っていながら、このタイミングで告白したことにも違和感がある。自分がターゲットにされる可能性だってあるのだ。長らくの恋だったとしても、『有村が襲われたタイミングと同時』だなんて。


「……そんなに都合のいい話が、あるのか?」


 混乱しながらも、警部の脳内では少しずつシナリオが構築されていった。得た情報をピースとしたパズルを、あらゆるパターンで組むように。



「――それで、その彼氏の名前は?」


 違和感だらけの、娘のシナリオパズル。その最大のピースとなるであろう男を知りたい。知る必要がある。


「東雲のクラスメイトの、――桐崎きりさきそうって奴です」

「……桐崎霜、か」


 娘と、桐崎という男。二人の間には何かがある。俗に言う、刑事の勘というやつだ。

 新たに浮上したその男は、大切な娘の恋人であると同時に……捜査線上に並んだ要注意人物であった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る