2/ハノンソル -3 皇巫女
「カタナ、大事はないか!」
ヘレジナがこちらへ駆け寄り、膝をつく。
「ああ、横になってれば平気だ。いちばん痛いのが腰だな」
「揉むか?」
「揉まんでいい」
「あ、あとで治癒術かける……」
「ふふん。プルさまは奇跡級の治癒術の使い手だからな! 腰痛どころか、あんな刺し傷や打撲傷くらい──」
ヘレジナが表情を曇らせる。
「……すまない。その傷は、私が負わせたものだと言うのに」
俺は、思わず眉をしかめた。
「あー、そういうのいい。誰のせいだとか、誰が悪いとか、嫌いなんだよ。なんとかなったんだからいいだろ別に」
「──…………」
きょとんとした表情を浮かべたあと、ヘレジナが微笑する。
「ならば、礼を。ありがとう、カタナ。お前のおかげで、今私は生きている」
「……はいはい、どういたしまして」
ごろんと寝返りを打ち、ヘレジナに背を向ける。
ああ、そうだよ。
照れ隠しだよ。
あまりにわかりやすかったのか、ヘレジナとプルがくすくす笑い合う声が聞こえてきた。
それを遮るように口を開く。
「ンなことより、なんか食いもんないか。ぺこぺこ超えてベッコベコなんだが……」
そう口にした瞬間、腹の虫がぐうと唸り声を上げた。
丸一日、あの泉の水以外のものを口にしていないのだから当然だ。
「わ、ご、ごめんなさい。忘れてた……」
「パンと水、それから硬い干し肉くらいしかないが、それでいいか?」
「歯は丈夫なほうでね」
「わかった、用意しよう」
ヘレジナが、荷物から麻袋と革袋を出す。
「そ、それで最後……?」
「手持ちの食料はこれで最後です。元よりハノンで補給する予定でしたし、カタナにすべて与えてしまってよろしいかと」
「うん、いいと思いまっす……」
麻袋を開き、取り出した干し肉を、ヘレジナが俺の口元へ差し出した。
「ほら、口を開けろ。食べさせてやろう」
「なんでだよ……」
「安静にしなければならんと聞いたぞ」
「メシくらい自分で食えるわ」
傷が痛まない姿勢をなんとか見つけ、壁を背に腰掛ける。
「ほら、寄越せ」
「なんだ、つまらん……」
「怪我人で遊ぶんじゃない」
干し肉を受け取り、裂いて口へ運ぶ。
ビーフジャーキーより獣臭く、遥かに塩気が強い。
「しょッ、ぱ!」
「ほ、干し肉は、すこしほぐしてから、パンに挟んで食べるといい、……かも」
「そのまま水を口に含めば、塩気もちょうどよくなるはずだ」
「パンと水の二面作戦ってわけな……」
数年は腐らずに保存できそうだ。
二人の言葉に従いながら、空腹にまかせてパンと干し肉を次々口に詰め込んで行く。
言われた通りにしてもまだ塩辛いが、嫌いな味ではない。
俺の食べっぷりを見て、ヘレジナが言った。
「すまんが、おかわりはないぞ。ハノンに着けば食事もできる。あと数時間はそれで持たせてくれ」
頬張ったまま、こくりと頷く。
御者台へ通じる引き戸から、傾きかけた太陽が覗いた。
ルインラインは肌寒いと言ったが、騎竜車内の蒸れた空気が入れ換えられて、逆に清々しいくらいだ。
久方ぶりの食事を胃の腑に収めると、プルが真剣な瞳で俺を見つめていることに気が付いた。
「どうした?」
「……その」
プルの視線が振れる。
「ちゃんと、自己紹介。……し、しないとって」
「プルさま……」
「かたなは、恩人。な、名乗るのが誠意だと思うから……」
「──…………」
気にならないと言えば、さすがに嘘になる。
遠慮する必要はないだろう。
プルが居住まいを正し、しとやかに口を開いた。
「──わたしは、プルクト=エル=ハラドナ……って、いいます……」
「ハラドナ」
聞き覚えのある単語だ。
たしか、プルたちの住む国の名が──
「パレ・ハラドナか」
「その通りだ」
ヘレジナが、薄い胸を張りながら言う。
「プルさまはパレ・ハラドナの皇族であり、運命の女神エル=タナエルから神託を授かることのできる唯一無二の〈
「ふうん……」
「もっと驚かんか!」
「偉いことには気付いてたしな」
まさか、皇族とまでは思わなかったけれど。
「これだから異世界の人間は……」
ぶつくさ言うヘレジナから視線をプルへと戻したとき、胸が嫌な高鳴り方をした。
「……う」
プルが目を伏せ、目元を拭っていたのだ。
「え、……っと、その?」
何か言ってしまっただろうか。
ヘレジナに続いて自分のせいで女の子を泣かせたとなれば、さすがに慌てもする。
「わ、……わたし、ずっと。お友達が欲しかった……。わたしのほんとの名前を知っても、引かないでくれるお友達が……」
「──…………」
「……かたな、は」
プルが、うっすらと浮かぶ涙を人差し指で拭いながら、言った。
「わ、わたしのこと、知っても……、変わらずにいてくれるんだ……」
「……あー」
プルから視線を逸らし、痒くもない後頭部を掻く。
そんな大層なことじゃない。
たまたま恐縮するような出会い方じゃなかっただけだ。
「かたな」
意を決したように、プルが口を開く。
「わたし、の、……お、お友達に。なって、……くれませんか?」
世界から色が抜け落ち、選択肢が現れる。
だが、その内容に興味はなかった。
答えは決まっていたからだ。
「──ったく」
プルに右手を差し出す。
「わーったよ。俺とお前は対等な友人だ。それでいいな」
「──うん!」
プルからすれば、勇気を振り絞った精一杯の言葉だったのだろう。
命懸けでヘレジナを助けに行くのとは、また異なる種類の勇気だ。
プルは確かに、ドジでポンコツで色気のないアホの子には違いない。
しかし、尊敬に値する人格だ。
年が離れすぎている──なんて理由で拒絶するのは、あまりに不誠実だろう。
プルが俺の右手を両手で握り返し、微笑む。
「──…………」
何故だろう。
プルの笑顔が、妙に儚く思えた。
どこか遠くへ行ってしまうような、そんな予感がした。
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