第6話 反常識

「ほな改めて、俺は平之―――平之ひらの 正介 せいすけ。正しいに介護士の介で正介やな。そしてこっちが――――――」


銘華めいか …………」



 平之の言葉から続く様に、名前だけを言った。

 それを聞くと、平之は一つ溜息をこぼす。



樋口 ひぐち銘華 めいか、俺の弟子や。そっちと年が同じみたいなんで、互いに影響があればと思うてな、連れてきた」



 確かに綾人にとって、妖術なんかは未知の世界。

 そこで少しでも年が近く話し相手となり得る人間がいれば、心が落ち着くだろう。

 しかし、これは何か違う。


 銘華はずっと何かに怒っている様で、むしろ綾人は若干の疲れを予感していた。



「ほな、始めよか」



 平之も銘華も、綾人と同じようなスーツのズボンに上はシャツ。

 どう見ても運動する様な服装ではない。


 それなのに何を始めるのかと思えば、平之は体育館の倉庫からボールを取り出す様に、木刀を取り出した。



「何を鍛えるにも、問題点が分からんと話にならん。好きに攻めてみい、綾人」


「は……はい!」



 言うと、綾人は木刀を構える。

 構え方、使い方、全てお狐様からの情報で覚えている。



「それじゃあ、行きます」



 綾人は一歩、踏み出した。

 体を前方に倒して、体を押し出す様に駆けようとして、そのまま床に倒れた。



「なんや、まだそのレベルかいな。走り方からとは、難儀なこっちゃなあ」



 倒れた綾人を見て、平之は再び溜息を。

 そして、倒れ込んだ綾人の元まで行くと肩を掴んで、力尽くでぐるりと体をひっくり返した。



「俺達の力は妖力で強化されとる―――お前がやろうとしたのは、覚えたのは、それが前提の動きや。だがお前の体は妖力を吸っちゃあいない。今は昔通り、徒競走みたいに走ればええんや」



 ほんの数日で、走り方がお狐様に刷り込まれていた。

 二歳の頃から出来ていた事が、出来なくなっていたのだ。



「次は一つ一つ、気をつけて動きいや」


「はい…………!」



 頭の中で、昔の走り方を反芻。

 今度こそちゃんと走り出した。


 木刀を下から振り上げ、平之は半身でそれを回避。

 綾人が刃の向きを切り替えて、今度は高く掲げられた木刀を振り下ろすも、見事なまでの空振り。


 一撃目も二撃目も、平之は攻撃をしっかりと視認してから、余裕を持って回避した。



「人に向かって剣を振り下ろす、まだ躊躇しとるやろ?」


「当たったら、死にますからっ!」



 綾人の発言を笑って一蹴―――今度は攻撃を見もせずに、ひらりひらりと平之は回避を続ける。



「アホか。死ぬ死なない以前に、当たらんはボケが」



 言うと、平之は突然バク転を。

 振り下ろされる木刀に合わせて足を振るい、一撃の蹴りで粉砕してしまったのだ。



「見ての通り、当たったところで怪我もせん。妖力を纏っとらん武器じゃ基本術師は傷つけられへん。これは俺らの常識や、覚えとき」




 ●●●●●●




 木刀の破片を掃除し終える。

 すると―――丁度そのタイミングで、飲み物を買いに出ていた平之が戻った。



「終わったか―――なら話してもええな」



 飄々と、疲れた様子もなさげに平之は言った。



「お前の課題は、よう分かったわ―――まずは前提として、戦闘経験が足りなすぎる。世の中には人に化ける妖怪も居るっちゅうんに、人に向かって全力で攻撃出来ないってのは致命的や―――次に、体の硬さや。動きは頭に入ってんのに、それに体が追いつかない。関節の可動域が狭すぎる。これから死ぬほど体ほぐすから、覚悟したほうがええで」


「死ぬほど、ほぐす…………」



 想像のしにくい光景だ。

 しかしながら、体の硬い綾人なたは、私生活でもありがたい提案である。



「あと、なんといっても妖力の扱いやな。あの走り方や、遅すぎる剣速、それらを一斉に解決するとは妖力を纏うのが一番手っ取り早いってな戦法や。妖力が使えれば妖術も使える、そうすれば新しい、お狐様にはない戦い方も出来るわけやしな」



 平之は飲み物を持って、体育館の端に腰掛ける。

 ジュースか何かかと思っていたその飲み物は、よく見れば缶ビールだ。



「ほな、俺は少し休む。銘華―――死なん程度に相手しとき」


「はい、先生」



 銘華が応えた。

 同い年の、しかも女子―――もしかしたら一撃は入れられるのではないかと綾人は思ったが、それは絶望のはじまりに過ぎなかった。


 ほんの数分後、綾人は地獄を見ることとなる。

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