煩悩の犬は、
万丸うさこ
1
第1話
あの寒くて冷たい冬の夜のことは鮮明に覚えている。
当時、自分が母親と暮らしていた安アパートは壁が薄かった。そのせいで冬はとても寒くて、体は骨まで冷えて痛かった。
だけど煖房器具は灯油を入れて使うストーブひとつしかなく、それを独占できるのは母親と、母親の恋人である浅黒い肌をした怖い顔の男だけであった。
一緒に住んでいる子供には、ひとかけらの温かさも与えられたことがなかった。
それは暖房器具の温かさだけではなく、母の子への情とか、白いご飯の温かさだとか、布団のぬくもりといった四歳の子供に必要不可欠な熱の一切がなかったということだ。
母の情熱は子供を殴ってストレス発散をする男へと向かっていたし、食事は一日一枚のパンをかじることができればごちそうと言って過言ではなかった。いつも台所の机の下で、布団代わりのコンビニのビニール袋を体に巻いて硬い床に転がって寝ていた。
ただ、自分はそれが異常なことなのだとは思っていなかった。
体はいつも痛かったし常にひもじかった。冬は凍え、夏は暑さで茹りそうになっていても、それが普通のことだった。
気がついたらそうだったから、それが当たり前だと思っていたのだ。
温かいご飯を食べ、満腹のまま誰かに抱かれて優しく撫でられたことなどなかった。そしてそれを最初から知らなければ、自分の境遇が異常かもしれないと考えることなどない。
だからその日の夜に、寒さと空腹のせいで足元がふらついて、椅子にぶつかってしまったこともよくあることだった。そのせいで椅子が大きな音を立てたことを咎められ、お仕置きと言われてパジャマ一枚で外に放り出されたことも、よくあるいつものことであった。
何も履いていない足の裏は感覚もないけれど、落ちている靴は履かない。靴を履いて動くと足音がするからだ。外で待っている間にうるさくすると、もしかしたら今度は冷たい水をかけられるかもしれない。
だから今はじっと待つしかない。
朝、母親が出かける時か、昼に男が出かける時にでも中に入れてもらえるだろう。
そうやってドアを見上げて待つことが、その時の自分の当たり前だった。
「……よう」と、その人に声をかけられるまでは。
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