第16話 テンプテーションマイク 後編

「えっと、これがこれで……」

「…………」


 ある日の放課後、生徒会室の中で二人の男女が机に向かいながらそれぞれの作業に精を出していた。しかし、勇和の方は熱心にペンを走らせたり判を押したりしていくのに対して女子生徒の方はどこか集中出来ていない様子で時折勇和をチラチラと見ていた。


 そして、勇和はそれに気づくと、ペンを動かす手を止め、不思議そうに首を傾げながら女子生徒に話しかけた。



「会長、どうかしましたか? もしかして、体調が優れないとか……」

「……違います。ただ、最近気になる事があるので……」

「気になる事……それが何かは想像がつかないですけど、僕でよければ話を聞きますよ。会長にはいつも助けてもらってばかりですし、これくらいしか僕には出来ませんから」

「……それなら、話します。副会長、貴方の最近の周囲からの人気の理由は何ですか?」

「え……?」



 思わぬ問いに勇和が驚く中、生徒会長は訝しげな視線を向けながら口を開く。



「こう言ってはなんですが、これまでの貴方は副会長という立場でありながら生徒達からの人望や人気はあまりありませんでした。まあ、それもしかたありません。前副会長が体調不良が原因で副会長としての仕事をこなせなくなってしまったところに私が選挙をせずに貴方を生徒会へ引き入れてしまったわけですから」

「まあ、そうですよね……僕は特に何に秀でているわけでもなくて、会長から声をかけてもらっただけの存在ですから」

「……私は周囲から陰口を叩かれたり生徒に発言を無視されたりしている姿を見て、貴方を生徒会役員にしてしまったのは間違いだったかなと思っていました。私がこんな事をしなければ、貴方は辛い思いをしなくても済んだだろうと悩み続け、辛ければ辞めても良いと言おうと考えていたそんな時、突然周囲の人達は貴方に対して好意的な態度になりました。その事に私は驚きましたが、貴方のこれまでの頑張りが報われた結果なのかもしれないと考え、とても嬉しく感じていました。けれど、周囲から貴方へ向けられる視線を観察している内に、徐々に妙な事に気づきました。たしかに周囲は貴方に対して好意的になりましたが、それは副会長として信頼している物ではなく、まるで貴方に魅了されているかのような物だったからです。特に女子生徒や女性教師達は貴方に対して恋心を抱いているかのように熱っぽい視線を向けていました」

「う……」

「貴方がそのような視線を向けられるのは別に不思議ではありません。ですが、その数があまりにも多いからこそ私は疑問を持っているのです。副会長、貴方はこの学校の人達に一体何をしたのですか?」



 生徒会長からの射抜くような真っ直ぐな視線に勇和は頬を軽く染めながら視線をあちらこちらにそらしたが、やがて諦めたようにため息をつくと、鞄の中からテンプテーションマイクを取り出した。



「それは副会長が全校集会などで使っているマイク……ですよね?」

「はい……信じられないかもしれませんが、このマイクを使って話すと、それを聞いた相手を魅了する事が出来るんです。僕もこれを手に入れた時は半信半疑でしたが、手に入れた翌日の全校集会で使ってみたところ、好き勝手に話したりダルそうにしていたみんながすぐに静かになって、その後も誰も私語をする事なく全校集会が終わったので、これは本物だと実感したんです」

「声を聞いた人を魅了出来るマイク……俄には信じがたいですが、たしかにあの日から副会長に対しての周囲の態度が変わったので、その話を信じざるを得ませんね。それで、副会長はそのマイクを使って、周囲から好意を向けられ、異性からはチヤホヤされたいのですか?」

「い、いえ……! 僕、このままだと僕を副会長にしてくれた会長や前副会長の顔に泥を塗る事になると思って、このマイクの力に頼ってでも周囲に認めてもらおうとしたんです。そうじゃないと、会長達のようにカリスマ性や人望の無い僕の言う事を聞いてくれる人はいませんし、会長達に心配をかけてしまいますから……」

「はあ……そういう事ですか。まあ、貴方の場合は複数人の異性から囲まれたいという欲求は無さそうでしたから、念のため訊いただけでしたけど、本当に貴方はそういった事に興味が無いのですね」



 生徒会長が少し哀しげに息をつく中、勇和はそれには気づかずに苦笑いを浮かべながら頬をポリポリと掻いた。



「あはは……恋人がいらないわけじゃないですけど、僕にそういった感情を抱いてくれる人なんていないと思ってますし、たとえいたとしてもしっかりと僕自身の考えを以てその思いに向き合いたいと思っているので、このマイクの力で何人もの人と付き合いたいとは思っていません。たぶん、このマイクもそれは望んでないと思っていますから」

「…………」

「あ、そういえば……中にはこのマイクの力が通じない人がいるって、これをくれた人が言ってたんですけど、どういう人なんでしょうね……? 会長はどう思いますか?」

「……恐らく、私のような人間ですよ。そのマイクの力で魅了されるよりも前から貴方に魅了されているような」

「ああ、なるほど──って、え……? か、会長……今、何て……?」



 生徒会長の言葉に勇和が信じられないといった様子を見せると、生徒会長は頬を赤く染めながらため息混じりに話し始めた。



「まったく……この想いを伝えていなかった私にも非はありますが、貴方は自分の事を過小評価し過ぎです。たしかに貴方は勉学や運動などに秀でた生徒では無いですが、頼まれたわけでもないのに校内のゴミ拾いをしてくれたり剥がれそうな掲示物を貼り直してくれたりする程、真面目でしっかりとした精神を持つ人物なのですから、もう少し自分に対する評価を上げるようにしてください。私や前副会長もそうですが、生徒会の役員や校長先生はそういった日々の貴方の行動を評価していますし、貴方ならば生徒会役員として相応しいと考えたから、今こうして副会長として頑張ってもらっているのです。そうでなければ……私もこんな感情を抱く事は無いですし……」

「か、会長……」

「これは私個人の想いですが、貴方がそのマイクを使って生徒達から好意を向けられるのは良くないと思っています。たしかに今は難しいかもしれませんが、貴方の頑張りが報われる日はきっと来ると思っています。だから……」

「……会長」



 勇和が真剣な表情で辛そうな生徒会長の顔を真っ直ぐに見ると、生徒会長は勇和の顔に見惚れたような様子を見せたが、すぐにこほんと咳払いをして気持ちを切り替え、同じように真剣な表情を浮かべる。



「……何ですか?」

「会長の気持ちはわかりましたし、こうして評価してくれている人がいるのは嬉しいです。でも、僕はまだ自分に対しての評価は上げる事は出来ませんし、このマイクを手放すつもりもありません。今回のやり方が悪かっただけで、マイク自体に落ち度があるわけじゃなく、この先の人生でこのマイクが本当に必要になる時が来るかもしれませんから」

「…………」

「……だから、もしもそれまでに僕がこのマイクを私利私欲のために使う時があったら、会長には傍でそれを止めて欲しいんです。会長の判断なら僕は信頼出来ますし、会長自身がこのマイクを悪用するとは思ってませんから」

「副会長……」

「……会長、回りくどい言い方にはなりましたけど、これが僕の気持ちです。本当ならもっとしっかりとした伝え方をしたいですが、今の僕にはこれが精一杯なので、いつか改めてこの気持ちをしっかりと会長に伝えます。それまで僕の傍で待っていてもらえますか?」

「……ふふ、もちろんですよ、副会長。貴方が約束を違えるような相手だとは思ってませんし、私も今伝えられたら、恥ずかしさと嬉しさでどうにかなってしまうかもしれませんから。なので、これからは会長と副会長という関係だけではなく、貴方の恋人として貴方のこれからを見届け、貴方自身が自分の評価を上げられるように度々貴方の良さを伝えていきます」

「……ありがとうございます。会長、改めてこれからよろしくお願いします」

「はい、こちらこそよろしくお願いしますね」



 二人がお互いの顔を見ながら微笑み、固く握手を交わす中、廊下では繋ぎ手が安心した様子を見せていた。



「……良かった。テンプテーションマイクは使い方を間違えると、声を聞いた相手の精神を完全に支配して、使用者の事しか考えられない状態に出来るから、少し心配してたんだけど、二人とも道具の力に魅せられてなかったみたい。それに、お互いが恋心を持っている分、どっちが使っても相手にテンプテーションマイクの力が及ばないし、本当に安心して良さそうだね。さて、それじゃあ私はそろそろ帰らないと。他校にずっといるわけにもいかないしね」



 繋ぎ手はセーラー服のポケットから液体の入った瓶を取り出し、その中身を自分へかけた。すると、姿が徐々に透明になっていき、繋ぎ手はそのままゆっくりと昇降口へ向けて歩いていった。

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