第11話 友達ノート 後編

「ふんふんふーん♪」



 ある日の午後、教師達の声で賑わう職員室で元樹が楽しげに鼻歌を歌いながら仕事に励んでいると、その様子に傍を通りかかった同僚の女性教師はクスリと笑う。



「なんだか楽しそうですけど、何か嬉しい事でもありました?」

「ああ、最近ある人に紹介してもらって新しい友人が出来まして、何かと話を聞いてもらって前まで感じてた寂しさやストレスが無くなったので、気持ちも前より前向きになったんですよ」

「新しいお友達……こ、恋人というわけでは無いんですよね?」

「恋人? あははっ、そんなんじゃないですよ。愚痴や困り事を話せる程の仲ではありますけど、あくまでも友達同士ですし、そもそも俺なんかを好きになる人なんていないですよ」

「……それならここにいるのに」



 女性教師がどこか哀しげにポツリと呟くと、元樹は不思議そうに首を傾げる。



「何か言いました?」

「……何でもないです! まあ、新しいお友達と一緒で楽しそうなのは良いですけど、周囲にも目を向ける事を忘れないで下さいね。もしかしたら、先生の事を実は好きな人だっているかもしれませんから!」

「あ、はい……わかりました」

「それでは、私も仕事に戻りますから。先生もお仕事頑張って下さいね」

「はい、ありがとうございます……」



 女性教師はどこか怒った様子だった事に、元樹は疑問を抱いた様子で首を傾げていたが、すぐに気持ちを切り替えると、目の前の仕事へ意識を戻していった。


 そしてその日の夜、元樹は夕飯や入浴を済ませた後、ここ最近の日課になりつつあった友達ノートとの会話を楽しんでいた。



「でさ、教頭のカツラが少しずつずれてくのを見てたら、思わず笑いそうになってさ」

『なるほどなぁ。たしかにそれは笑いそうになるけど、本当に笑ったらいけないぞ?』

「わかってるよ。あ、そういえば……今日、同僚の先生が話しかけてきて、お前の事を話してたら途中から不機嫌になったんだけど、あれって何でだったのかな……」

『さあ……でも、不機嫌になったのは、きっとお前に原因があるんだよ。何か変な事を言わなかったか?』

「いや、言ってないと思うけど……俺を好きになる人なんていないって言ってから不機嫌になったんだよなぁ」



 その時の状況を思い出しながら男性教師が顎に手を当てていると、友達ノートは少し間を置いてから返事をページに浮かび上がらせた。



『……ああ、なるほど。まあ、そういう事ならたしかに怒るよな』

「え、どういう事だ?」

『それくらい自分で考えても良いと思いますよ? 私が言うよりも自分から気づいた方が良い気はしますし、気づけたらその後は助言くらいはしますから、まずは気づこうとしてみて下さい』

「えー……教えてくれても良いだろ……」

『ダメだよ。これは誰かから聞いちゃうより自分で気づかないといけない事だから』

「ちえっ……それくらい教えてくれても良いじゃん。ケチだし融通がきかないなぁ……」



 元樹が拗ねたようにため息をついていたその時、友達ノートのページに血で書いたような赤い文字が浮かび上がり始めた。



『おい、今なんて言った?』

「え? だから、ケチで融通がきかないって……あれ? 俺、誰も思い浮かべずに書いたような……?」

『お前、言ってしまったな。繋ぎ手から俺達に対して悪口を言うなと注意をされていたのに』

「繋ぎ手……? というか、あれくらい悪口に入らないだろ。口をついて出た言葉くらいでカリカリするなよ」

『相手が聞いて不快になればその時点で悪口だ。そんな事もわからずに教師だなんて片腹痛いな。お前の言う通り、お前みたいな奴を好きになる人なんていないだろうな』

「う、うるさい! いきなり何なんだよ!? 誰も思い浮かべずに書いてるはずなのに、お前は一体誰なんだよ!」

『俺は目の前のノートだ。だが、これからは俺がお前になる。相手を平気で不快に出来る奴なんて誰からも必要とされていないからな』

「は……一体なに、を……」



 元樹は突然の目眩に混乱しながら目の前のテーブルに倒れこむと、そのまま静かに目を閉じ、静まり返った居間は友達ノートのページから放たれた目映い程の光に包まれていった。





 数日後の放課後、繋ぎ手が学校の廊下を歩いていたその時、反対側から元樹と同僚の女性教師が楽しそうに話をしながら歩いてくる姿が目に入ると、一瞬哀しそうな表情を浮かべてから二人へと近づいていった。



「あ、先生。こんにちは。なんだか楽しそうですけど、何かありました?」

「あら、こんにちは。実はまだあまり話してないんだけど、先生達、昨日からお付き合いを始めたのよ」

「えー、そうなんですか! それで、どちらから告白したんですか?」

「俺からだよ。先生からの好意に今までは気づけなかったけど、気づいてからはすごく愛しくなってな。仕事終わりに中庭に来てもらってそこで告白したんだよ」

「わぁ、そうなんですね。それでそれで、昨日の内にキスとかその先の事とかまで済ませちゃったりしたんですか?」

「その先って……もう、いきなり変な事を言わないの!」

「まあ、それはご想像にお任せするという事で。ただ、一つだけ言うなら、昨夜の先生はとても可愛かったかな」



 いたずらっ子のような笑みを浮かべながら元樹が言うと、それを聞いた女性教師の顔はゆっくり赤くなり、その二人の様子に繋ぎ手は少し哀しそうに微笑む。



「先生達の仲が良いようでなによりです。それじゃあ私はそろそろ行きますね。お二人とも、どうぞお幸せに」

「うん、ありがとう」

「ありがとうな」

「どういたしまして。あ、そうだ……先生、あのノートはどうしますか?」

「ノート?」

「ああ、この子からこの前ノートをもらったんですよ。と言っても、そんなに変わったノートでも無いんですけどね。あれは……そうだな、やっぱりこのまま使わせてもらおうかな」



 元樹が微笑みながら答えると、繋ぎ手はコクリと頷く。



「わかりました。それじゃあ、最後に一つだけ。お二人とも、悪口や嘘を言ったりして相手を悲しませないにして下さいね。それが原因で……なんて事になったら、誰も幸せになれませんから」

「ええ、そうね。そうならないように気を付けましょう」

「そうですね。わざわざ忠告してくれてありがとうな」

「どういたしまして。それじゃあ」



 繋ぎ手は教師達と別れて歩いていったが、少し距離が離れた事を確認すると、小さくため息をついた。



「……友達ノートから聞いてたけど、あの先生からの好意に自分から気づけていたら、今頃隣に立ってたのは自分だったのに、千田先生は惜しい事をしたよね。意識を書き換えられて存在その物を奪われた上に幸せになれるチャンスを逃したわけだから、本当なら悔しいところだけど、もう自分の意識は無いし、問題ないといえば無いかな。さて、それじゃあ早く帰ろっと」



 繋ぎ手は両手を頭の後ろにまわすと、楽しげに鼻歌を歌いながら昇降口へ向かって歩き始めた。

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