第7話 撫子櫛 中編

「うぅ……寝坊したぁ……!」



ある朝、寝間着姿の姫佳は慌てた様子で洗面所に立っていた。鏡にはあらゆる方向に寝癖がついた姫佳の姿が映っており、姫佳はどうにか寝癖を直そうとしていたが、寝癖は一向に直る気配がなかった。



「ど、どうしよう……このままじゃ、学校に遅れ──」



その時、姫佳は何かを思い出した様子でポンと両手を打ち鳴らした。



「そうだ……昨日、噂になってる子から不思議なくしを貰ったんだった。たしか、寝癖もすぐに直って、髪からは良い香りがするようになるって言ってたし、あれに頼ってみれば……!」



期待したような表情で独り言ちると、姫佳は急いで自室に戻り、机の上に置いていた撫子櫛なでしこくしを手に取って洗面所に戻った。


そして、再び鏡の前に立って髪に撫子櫛を通し、寝癖を直すためにスーッと動かした。すると、先程まで頑固だった寝癖が綺麗に直り、その光景に少女は驚きながら目を輝かせた。



「す、すごい……! あんなに直らなかったのに、この櫛を使っただけで綺麗になっちゃった。それに……たしかになんだかほんのり良い香りがするかも。何の香りかはわからないけど、嗅いでると気持ちが安らいでくる気がする……」



撫子櫛の力で漂い始めた香りに姫佳はうっとりとしていたが、すぐにハッとすると、首を横に振って気持ちを切り替えた。



「いけないいけない……香りに夢中になってボーッとしてたら、学校に遅れちゃうよ。でも、この櫛は本当にすごいなぁ……本当だったらもっと髪が長い子が使った方が見た目的にもすごい綺麗なんだろうけど、私も髪を伸ばしてみようかな……?」



髪を伸ばし、先程のように撫子櫛を使う自身の姿を想像して、姫佳はそれも良いかもしれないという思いが芽生えたが、すぐにある人物の顔が思い浮かぶと、姫佳は哀しそうな顔をしながら俯く。



「……でも、そんな事をしたって意味ないよね。彼とは最近あまり話してないし、なんだか可愛い女の子から懐かれてるみたいだから、私がどんなに変わったってきっとそれには気づいてくれないよ……」



姫佳は哀しそうに俯き、頭に思い浮かべた相手と自分ではない異性が仲良くしている様を想像して胸の奥が締め付けられるようになっていたが、すぐに顔を上げると、気持ちを切り替えるために首を横に振る。



「……うん、ダメならもうそれでも良いや。でも、この櫛にはこれからも力になってもらおう。寝癖が直るのは良い事だし、この香りも嗅いでいて気持ちが良いから、手放すつもりもないしね」



独り言ちながら他の寝癖も直した後、姫佳は鏡に映る綺麗に整った頭髪に満足げな顔で頷く。



「……よし、これでオッケー。それじゃあ早く学校に行こう。このままじゃ、本当に遅刻しちゃうもんね」



そして、晴れやかな表情で洗面所から出ると、リビングに置いていた通学用の鞄を持って玄関へと向かい、そのままゆっくりとドアを開けながら外へと出ていった。

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