第7話 撫子櫛 前編

 昼頃、教室のスピーカーから授業時間の終了を告げるチャイムの音が鳴り響き、教師が教室から出ていくと、最前列に座っていた繋ぎ手は目を軽く瞑りながら体をゆっくりと伸ばした。



「んー……今日も学校疲れたなぁ……」

「いやいや、まだ午前の分が終わっただけだから。でも、本当に午前で終わったらだいぶ嬉しいけどね」

「だよね。さーて、そろそろご飯を──」



 繋ぎ手が机の横に掛けている鞄に手を伸ばそうとしたその時、繋ぎ手は突然弾かれたように廊下に視線を向け、その様子に隣の席の少年は納得顔で話しかける。



「また道具と縁のありそうな人がいたの?」

「うん、そうみたい。それじゃあご飯の前に少し行ってきますか。という事で、みんなと一緒に先に食べてて良いからね」

「うん、わかった。行ってらっしゃい」

「行ってきまーす」



 返事をした後、繋ぎ手が廊下に向かって歩き始めると、その姿を見たクラスメート達は先程の少年と同じように納得した様子で頷き、そのまま自分達も昼食を食べるための準備を始めた。


 そして、繋ぎ手は廊下に出ると、階段の方へ向かって歩きながら俯くショートカットの少女に声をかけた。



「ねえ、そこの貴女」

「え……あ、貴女は?」

「私はここの生徒兼道具と人間の橋渡し役。まあ繋ぎ手とでも呼んでよ。貴女の名前は?」

「な、なだ姫佳ひめか。そういえば、そんな子がいるって誰かから聞いたような気がする。不思議な道具を持っていて、その道具と縁のある人の前に現れて、道具とその人の橋渡しをするって……」

「うん、それが私。まあ、普段はただの生徒として生活してるから、クラスのみんなと部のみんなしかちゃんと顔は知らないんだけどね。ところで、なんだかシュンとしてたようだけど、何かあったの?」


 繋ぎ手が首を傾げながら問いかけると、姫佳は少し迷った様子を見せたが、やがて静かに口を開いた。



「……私、他の子より可愛くないのが悩みなの」

「可愛くないって……貴女は十分可愛いと思うよ?」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、私はそうは思わないの。他の子は男子から告白されたり他の女の子から見た目なんかを褒められたりしてるみたいだけど、私はそんな経験がまったくなくて……」

「なるほど……それじゃあ、貴女は周りから褒められたり男子から好意を持たれたりしたいわけだね?」

「男子からというか……えっと、その……」

「……ああ、なるほど。まあ、そういう理由ならこの子が反応するのも納得だね」



 繋ぎ手はスカートのポケットから半月形の綺麗な漆塗りのくしを取り出した。



「それは……櫛、だよね……?」

「うん、そうだよ。この子は“撫子櫛なでしこくし”っていって、この櫛で髪をかすと、しつこい寝癖ねぐせもすぐに無くなって、その上、髪はほんのり良い香りがするつやつやのさらさらになっちゃうんだ」

「へえ……それはすごく助かるね。私、結構寝癖が酷くて、直すのも時間がかかっちゃうから。でも、そんなに良い事ばかりなのは少し不安なような……」

「ああ、この子は特に注意点はないよ。強いて言うなら、使った後はガーゼと中性洗剤とぬるま湯でしっかりと洗ってあげて、その後に80℃くらいのお湯に通してから柔らかい乾いた布巾で拭いてあげた後に椿油を塗ってあげるくらいだね。普通の漆器の場合は、艶が無くなってきた時に食用の油を塗って磨いてあげるみたいだけど、この子は椿油の方がお気に入りのようだから。因みに、椿油もしっかりとつけるから安心してね」

「あ、うん……それはありがたいけど、本当にそれを貰っちゃって良いの? 話だとお金は取らないって聞くけど、そんなに良い物を無料ただで貰うのは少し気が引けるような……」



 姫佳が申し訳なさそうに言うと、繋ぎ手はにこりと笑いながら首を横に振る。



「遠慮なんていらないよ。これは御師匠様からあげて良いって言われてる子だからね」

「そ、そっか……」

「うん。という事で……はい、これでこの子はもう貴女の物だよ」

「う、うん……ありがとう」

「さて、私はそろそろお昼ごはんにしよっと。それじゃあまたねー」



 鼻唄を歌いながら繋ぎ手が歩いていくと、姫佳は手の中にある撫子櫛と手入れ用の椿油が入った瓶をボーッと眺めた。



「……本当にこの櫛で髪がいつもより良くなるのかな。まあ、本当なら嬉しいし、ダメだったとしてもそれはそれで良いや。櫛を無料で貰えた事に変わりはないし」



 姫佳は軽く頷いてから撫子櫛と椿油の瓶をポケットにしまうと、再び階段へ向かってゆっくりと歩き始めた。

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