吸血鬼の吸血事情

青色

第1話

 吸血鬼にとって、吸血というのは二つの意味がある。食事と、ええっと、性的な……意味だ。

 昔は眷属を作る行為が性的な意味での吸血だったらしいけれど、今は違う。正確には、今もそうなんだけど、そうじゃなくて、その性的な意味の範囲が広がったというかなんというか。

 現代の吸血鬼は、国から支給される血液パックによって、吸血衝動というのを抑え込んでいる。これは、本当に食事のため。

 人間と共存していくために人間から血を分けてもらっているのだ。

 だから、その、直接吸血することなんて、今ではありえないこと。

 そう、性的な意味の範囲が広がったというのは、その直接血を吸うことだ。

 それこそ、恋人同士とか、そんな関係性じゃない限り、直接、首に牙を突き立てて血を吸うなんて、エッチなことはしない。

 それが、今の吸血鬼にとっての常識だ。

 そもそも、牙を見せるという行為だって、恥ずかしいことだし。

 だから。


「今日こそ! 俺に噛みついてくれないか! 紅月こうづきアル!」


 だから、私の目の前で土下座を決めているこの男。斎藤愛牙さいとうあいがはちょっとおかしいのだ。


 高校、放課後の教室内にて。

 

「あの、なんでそこまで噛みついてほしいわけ」

「牙が魅力的だからだ」

「いつ見たのよ! そんなの」

「笑ったときにちらっと」

「最悪……」

「牙チラだ!」

「なんか、嫌だその言い方!」

「一目惚れだ!」

「あの、そもそも意味わかってるの?」

「ああ、とてもエッチだと聞いた!」

「じゃあ、愛牙くんが言っていることはとんでもないセクハラってことになるわね」

「男子高校生はそう言うものだ!」

「普通は隠すのよ! そういうことは!」

「何が恥ずかしいんだ! 俺は紅月の牙が好きだ!」

「大きい声で言うな!」

「紅月が好きだ!」

「うるさい!」


 私は無理矢理その口を塞いだ。


「ほうふき! ふひは!」

「こいつ……口を塞いでもしゃべり続けてる……」


 別に、私だって彼のことが嫌いなわけではないのだ。

 ……始めはなんだこいつって思ったけれど。

 なんだかんだ優しいし、その優しさが私だけに向けられているものじゃなくて、他の人にも向いているってわかるし。

 でも、この言動が全てを台無しにする。


「どうせ、牙だけなんでしょ」

「ほんはほほひっへはい!」

「え?」


 そうだ、口を塞いだままだった。

 私は手を外す。


「紅月! 好きだ!」

「欲しい答えはそれじゃない!」

「ん?」

「さっきなんて言っていたのよ」

「だから、好きだと言っている」

「その好きは牙に対してでしょ」

「俺はいつも紅月が好きだと言っている」

「でも、愛牙くんは牙についてしか言わないじゃない」

「好きな人の好きな部分を言っているだけだ!」

「そうなのかなあ」

「何故疑うんだ」

「だって、初めからそうだったじゃない」

「だから、一目惚れだと言っている」

「でも、愛牙くん。牙好きじゃない」

「紅月の牙好きだぞ」

「そうじゃなくて、他の牙も好きじゃない。肉食動物とか」

「確かに、標本は集めているが」


 そう、彼は、動物の骨格標本をたくさん持っている。この前家に行ったときに見た。

 その全てが動物の頭部のもので綺麗に並べられていた。

 彼の家の中を知っているのは、その、雨に打たれてぐったりしていたところを助けられたというか……。

 まあ、そんなことはどうでもいいじゃないか。

 私を運ぶ彼の手が大きくて思ったよりもしっかりしていて、ああ、男の子なんだと思ったとか。運ぶときの彼の目がいつもみたいなふざけた感じじゃなくて真剣な目をしていたなとか。

 そんなことはどうでもいいのだ。

 

「でも、あれは趣味だ」

「私に対するそれに趣味が入ってるとは思わないの」

「趣味は入っている!」

「じゃあ、その気持ちだって本当かどうかなんてわからないじゃない」

「この気持ちは本物だ!」

「じゃあ、証明できるの?」

「証明していいのか!?」


 彼は大げさに驚く。そして、こちらに少しずつ近づいていく。


「い、一体どうしたの? そんな顔して……」

「…………」

「待って、心の準備がっ!」


 私はここで襲われてしまうのか!?

 こんな皆が使っている教室で……。

 そ、それはちょっとまだ早いというかなんというか。

 いや、まだってなんだよ。

 それじゃあまるで私がある程度は受け入れているみたいじゃないか。

 わ、私は彼みたいな変態じゃないし。

 口の中に指を入れられて牙を撫でられる妄想とか別にしてないし!

 ああ、ほら今まさに、彼の手が私の方に伸ばされて……。

 

「あれ?」


 抱きしめられた。

 彼の心臓の音がうるさい。でも、これだけ? 

 待て待て待て、何を言っているんだ私は。え? 抱きしめられている?

 頭に手を添えられながら優しく。

 これ、実は凄いことをされているのでは。

 実はじゃなくて、凄いことをされているのでは。

 そして、彼はそのまま私のことを押し倒す。

 嘘、このまま本当に、教室で……。

 私は思わず、目を瞑った。


「大丈夫か!」

「え?」


 何かが落ちる音がする。目を開けて確認すると、それは野球のボールだった。

 それが、彼の背中に当たって、地面に転がる。


「野球部がいい当たりをしたんだな。見事なホームランだ。しかもちょうど窓ガラスが開いているところに入るとは運がいい」


 彼はそのまま、すまないと一言言って、身体をどけた。

 

「だ、大丈夫なの?」

「大丈夫だ!」

「いや、でも、痛いんじゃ」

「ちょうど勢いもなくなったところだったからそこまで痛みはない」

「ちょっと見せて」

「それはちょっと……」

「なんでそういうときだけ躊躇するのよ!」

「だって、見せる趣味は俺にはないから」

「いいから見せる!」


 うわあーっと言う彼を放っておいて、私は服を脱がせた。

 ……服の上からだとわからなかったけれど、結構筋肉質でいい身体をしている。

 だから、違うって、そうじゃなくて怪我を見ないと、私は変態じゃないんだから。

 無理矢理背中を私の方へ向けさせる。

 腫れてる……。

 それもかなり痛そうだ。私は地面に転がっているボールを手に持ってみる。

 かなり硬い。ほとんど石が当たったようなものだ。これがもし、足だったり肋骨のあたりに当たっていたら骨が折れていたかもしれない。今回は背中だったからよかったけれど。

 ……当たりどころによれば背中でも折れるのかなよくわからないや。


「ごめん、私を守ってくれたんだよね」

「いや別に、証明しようとしたらたまたまボールが来ただけだ!」

「そんなわけないでしょ」


 意外と周りを見ているのを私は良く知っている。

 きっと今回も何か予兆があって、行動してくれたに違いないのだ。

 私は、目の前の彼に集中しすぎて全く音とか聞こえていなかったけれど、多分打球音が聞こえていたんだろう。

 

「どうしよう、もしかしたら傷残っちゃうかも……」

「残っても問題ない名誉の傷だ」

「また、そんなこと言って……」

「俺は気にしていない!」

「私が気にするの!」

「俺は気にしていない!」

「愛牙くんそれで乗り切ろうとしてるでしょ」

「乗り切ろうとしている」

「素直なのはいいことね」

「馬鹿正直とよく言われる! 俺の取り柄だ!」

「それ、誉め言葉じゃないと思うわよ」

「何!?」


 彼はこちらを振り向く。あっ良い腹筋。いや、駄目だ駄目だ見ちゃ駄目。私は彼から目を逸らす。


「ずっと、褒められていたのだと思っていた」

「じゃあ、直したらどう?」

「直す必要があるのか?」

「損することとか無いの?」

「無いな!」

「誰かに利用されたりとか」

「利用される自分が悪いから問題ない! あと、頼ってもらえる分には嬉しいからな!」


 彼は多分本気で言っている。正義感が服を着て歩いているようなそんな人だ。

 

「仕方ないか……」

「ん? どうした紅月」


 私は、自分の指を少しだけ噛んで、そして、そこから出た血を彼の腫れた部分にかけた。


「一体何をしているのだ紅月」

「いいから」

「でも、傷が」

「このくらいならすぐ治るわよ。本来の吸血鬼よりも血が薄いとは言え私も吸血鬼なんだし」


 少しずつ彼の傷痕が消えていく、ただ、完全に消えるわけじゃない。

 まあ、大事にならない程度には回復しただろう。


「ま、これで平気ね」

「おお、傷がだいぶよくなったな」

「まあ、応急処置だけどね、しっかり冷やしたりしなさいよ痕残っちゃうから」

「助かった。正直死ぬほど痛かった!」

「下手な嘘をつこうとするんじゃないわよ」

「初めてを紅月に与えることになってしまった」

「言い方が悪い!」

「そうなのか?」

「……そうよ」


 いちいち、指摘している自分がおかしいみたいじゃないか。

 

「とにかく、これで治ったわね。ごめんね、ありがとう」

「そうか、じゃあ噛みついてくれ!」

「あなたねえ……」


 彼は、私が噛みつくまでこれを言い続けるつもりなのだろうか。言い続けるんだろうなあ。

 でも、私は好きな人にしかそういうことはしないと決めているのだ。安い女じゃないのだ。

 私は、好きな相手としか……。

 好きな相手。

 私が、好きな相手。


「ねえ、愛牙くん」

「ん?」

「あなた、私のこと好き?」

「好きだ!」

「牙だけじゃなくて?」

「何回同じことを言うのだ。俺は紅月が好きだ」

「本当に?」

「俺が嘘を言えないことは紅月がよく知っているだろう」

「それも、そうか」


 そうなのかな。

 そうなのかもしれないな。

 彼が私に好きというたびに心臓が高鳴る。

 私は、私で、自分自身に嘘をついていたのかもしれない。

 そうか、私は多分彼のことが好きになったんだ。

 堂々と、私に噛みついてくれなんて言う。こんなエッチな男のことが、私はどうしようもなく好きになってしまったんだ。

 さりげなく、私を助けてしまうところに惹かれてしまったんだ。

 好きと言われ続けても、ちっとも慣れなくていつからか、ずっと心臓の鼓動がうるさくなったのは、私が彼を好きになってしまったからなんだ。

 つまり、私の負けということだ。


「わかった」

「え?」

「わかったわよ。愛牙くん」

「何をだ」

「噛んであげる」

「え!?」

「噛んであげるって言ってるの」

「マジ?」

「何よ。いつも、噛んでくれって言ってくる癖に」

「いや、いざそう言われると心の準備が……」

「なんでこういうときにひよるのよ」

「やっぱエッチだろ」

「それを毎日のように言ってきたのは誰だっけ?」

「まあ、それはそうだけどな」

「ほら、こっちにきなさい」

「はい」


 やけに大人しかった。凄く緊張している感じ。私は彼と向かい合う。


「首を出して」

「ちょっと待ってくれ」

「何? 怖気づいたの?」

「いや、しっかりと言っておくべきだと思ってな」

「どういうこと?」

「好きだ。アル」


 真剣な彼の目を見た。私はこの目の彼に弱いのだった。


「付き合って欲しい」


 私はその返事を返さなかった。返事は必要ないだろう。私はただ、黙って彼の首筋に噛みついた。そして、血を吸う。

 彼を眷属にするつもりはない。これはただの吸血、食事だ。

 でも、もう少し近くに居たい。私は彼をさらにぎゅっと抱きしめた

 初めての吸血の味は、レモンの味ではなくて、彼らしい、活気があって元気の湧いてくるようなそんな味だった。

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吸血鬼の吸血事情 青色 @aoiro7216

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