本編『Homesick Revolver』

第一話『ヘルファイア』(3,600文字)

 暗い曇り空に、黒色の雲が浮かんでいる。


 こうナオは車から降りて、目の前にあるアパートへ歩き出した。

 普通の、ごくありふれた住宅街の中に建つ、二階建てで、白い壁をしたアパート。

 その白い建物の周りには駐車場があり、そこに並ぶ車たちはどれも、さっき止んだ雨に濡れたままだ。

 電柱の電線からも、冷えた水が滴っている。


 そんなアパートの駐車場のアスファルトを、こうナオの革靴が踏みしめている。

 歩く彼女の、ゆっくりと落ち着いた足取りに合わせて、彼女の履く黒色の革靴が、硬い靴音を立てている。


 ナオに踏まれた水溜りの水面が、小さく揺れる。


 歩く彼女の上に広がる空は一面、暗い曇り空。

 昼間なのに薄暗く、ナオの歩く先にある白色のアパートも、曇りの日陰によって灰色に見えるほどに暗い。


 そんな暗い曇りの日陰に、肌寒い風が吹く。

 歩くナオの髪が風に吹かれ、肩の上で少し乱れる。


 風に吹かれたナオは歩きながら、小脇に抱えていたコートに袖を通して、スーツの上から羽織った。

 彼女が着ているそのスーツは、下は黒いズボンで、首には黒いネクタイがめてある、上下共に黒色のものだった。

 そんな黒いスーツを着たナオの、その身体つきは細く、痩せているのがスーツの上からでも見て取れる。

 そんな小柄なナオは、その薄い肩に被せるように、長い丈をした茶色のトレンチコートを羽織った。


 寒い風に吹かれるたび、羽織ったコートのすそが揺れる。

 そのコートのポケットの中には、少しの重みがあった。



 地面のアスファルトに、革靴の硬い靴音が鳴っている。

 冷たい水溜りを革靴で踏み、一列に並んだ車たちを通り過ぎて、ナオはアパートの駐車場を歩いていく。

 雨に濡れたまま無言で並んでいる、白やシルバーをした、流線形の車たち。

 歩くナオのその身長は、それら車たちよりも低かった。

 彼女の背丈は、ここに並ぶ車たちの全高よりも少し低く、歩くナオの目線の高さにはちょうど、その車たちのフロントガラスがきていた。


 雨で濡れたままのそのフロントガラスたちは、上に広がる暗い曇り空を反射して、黒くなっている。


 そんなフロントガラスの黒い表面には、歩くナオの横顔が、反射して映っていた。

 黒いフロントガラスの表面に、ナオの白い肌をした横顔が、うっすらと映っている。

 そんな、ガラスに映る彼女の顔は、少し青白かった。

 何やら顔色が優れておらず、彼女の顔はまるで、陽の光を浴びたことがないような、不健康な白色をしていた。

 それに加え、彼女の目元には、黒いくまもできており、白い顔の上で目立っている。

 ナオは歩きながら時より、黒い隈のあるその目を、手で擦っていた。


 ナオはそんな暗い顔で少しうつむいて、自分より背の高い車たちを横切り、駐車場を進んでいく。

 そうして歩くとナオはアパートへ着き、その階段をのぼり始めた。



 階段内は暗く、風も光も入ってこない。

 階段の低い天井には、クモの巣が薄く張っている。

 そんな階段に、ナオの靴音だけが響く。


 ナオは階段をのぼりながら、首に締めている黒色のネクタイを手で直した。

 彼女のその小さな手は白く、指も手首も折れそうに細い。

 そんな白い手で、ナオは黒いくまのあるその目を擦った。


 アパートの二階までのぼる。

 ナオが一階までのぼった時、彼女はおもむろに、その白く細い手をそっと、茶色のコートの右ポケットへ入れた。

 そして、その中から黒いけんじゅうを取り出した。

 黒いリボルバー拳銃(S&W-Model-49)だ。

 小型で隠し持ちやすいもので、ナオのコートのポケットの中に、今まで隠れていた。

 そんなリボルバーを握ったナオは、階段を黙々とのぼっていく。


 暗い階段に、彼女の靴音が響く。


 ナオの白い手に握られた、黒い金属製のリボルバーが、暗闇の中で小さく黒光りする。

 そしてナオは、今度はコートの左ポケットへ手を入れ、そこから数発の銃弾(38-Special)を握り取った。

 暗い階段の中で、その銃弾たちが金色に輝き、握った手の中で擦れ合う。

 ナオは階段をのぼりながら、握った黒いリボルバーの、その五つの穴が開いた弾倉へ、銃弾を指で一発ずつそうてんしていく。


 ナオの靴音が、暗い階段内に響く。

 外の方から、電車の走る音が聞こえてきた。



 アパートの二階。

 その、部屋の玄関ドアが並んでいる廊下に、ナオは着いた。

 革靴の靴音が、静かな床に響く。

 廊下からは外の曇り空が見えて、寒い風が吹き込んでくる。

 ナオはそんな廊下の壁際に、立ちどまった。

 両手を腰の前で組んで、無言で立った。


 薄暗い廊下に、静かにたたずむ彼女。

 その隣には、火災報知器が壁にかかっており、彼女の顔の横くらいの高さに、赤いランプがともっている。

 黒いリボルバーは、変わらず彼女の右手に握られたままだ。


 そんな彼女は、この廊下の奥にある部屋、206号室の方を、静かに見つめている。

 彼女の見つめる206号室は、別に変わった部屋には見えない。他の205号室や203号室と変わらない、普通の部屋である。

 ナオはそんな部屋の扉を、黒い隈のあるその目を時より擦りながら、静かに見つめていた。


 廊下から見える曇り空では、黒い雲が、無音で流れている。



 そうしてナオが廊下に立って、少し時間が経った頃。ナオの見つめる先、206号室の扉が開いて、中から人が出てきた。


 ガチャリというドアの金属音が、静かな廊下に響く。


 出てきたのは二十歳ほどの、ナオと同い年ぐらいであろう、若い男だった。

 その男の恰好は普通で、特にナオのようなスーツなどは着ていない。

 そんな男はドアを開けたまま、206号室内へ振り返り、室内へ

「ちょっと外行くけど、なんかいる?」

と聞いた。

 すると206号室の中からは

「あー、タバコ買ってきて。金返すし」

と、また若そうな男の声が薄く聞こえてきた。

 部屋の中にもう一人いるらしい。

 そんな若い男二人のやりとりを、ナオは廊下から静かに、隈のある目で見ている。

「二つ?」


「うん、二つで」


「わかった。鍵持ってないから、帰ったら開けて」


「おう。いってらっしゃい」

 男がドアを閉めようとする。

 その時、男の胸から血が噴き上がった。

 男の胸から、赤い血が大きく飛び出し、辺りに飛び散った。

 男はたちまちその場に崩れ落ち、開いたままのドアへもたれかかった。


 男の胸、ちょうど心臓のある左胸から、血がドクドクと溢れ出している。


 男は血の流れ出る胸を手で押さえつけ、息を荒くして、その場で必死に悶えている。

 溺れるような激しい呼吸が聞こえる。

 その苦しみ悶える男の、揺れる視線の先。

 そこにはナオがいた。

 銃口から白煙を上げるリボルバー。

 それを構えるナオが、苦しむ男の視線の先に立っていた。


 静かだったアパートの廊下に、耳鳴りのような銃声の余韻が、響き渡っている。


 ナオに撃たれた男は、動けないまま206号室内へ振り返り、そして力を振り絞った大声で

「殺し屋だ!逃げ──」

 爆音の銃声が響く。

 男は頭から血を噴き上げた。

 男の脳天から大きく飛んだ血が、辺りの床を赤く濡らした。

 男のもたれかかったドアに、赤い血が垂れる。

 ドアにもたれかかったまま、男は動かなくなった。

 男の目は魚のように見開かれたままで、瞬き一つしなくなった。

 呼吸の音も、聞こえてこない。

 死んだ。

 銃口から上がった煙が、寒い風に揺れている。

 リボルバーを握るナオは男の死体を、黒い隈のあるその目で見つめた。


 その時、206号室の奥で物音が鳴った。

 死体を見つめていたナオはハッとして、すぐさま206号室へ、リボルバーのげきてつを起こし、構えながら入った。

 ナオの革靴が血だまりを思い切り踏み、赤く濡れる。

 206号室内。その奥のリビングでは、もう一人いた若い男が部屋のガラス窓を開けて、外へ逃げようとしていた。

 男は既にベランダの柵へ足をかけていて、今にも逃げそうだ。

 靴で部屋へ入ったナオは瞬時にリボルバーの狙いを男へ向け、引き金を引いた。

 爆音が部屋に響く。

 銃声に耳が痛み、腕を反動が走った。

 ベランダの男が今にも柵を越えようと、柵を掴む腕に力を込める。

 が、その脳天で血が噴き上がった。

 赤い血が大きく飛び散り、窓ガラスが赤色に濡れる。

 頭から血を噴き上げた男は、ベランダから外へ、落下した。



 部屋には、ナオ一人だけになった。


 銃声の余韻が、静かに響く。


 部屋には花火の後のようなにおいが、静かに漂っている。

 ナオはベランダから落ちた男を追って部屋の奥へ進み、窓へ向かう。

 静かな部屋の床に、血に濡れた革靴の靴音が響き、赤い足跡がつく。


 ナオは血まみれのベランダの柵から下を見た。

 寒い曇り空の下、雨で湿ったアスファルトの上に、若い男が一人、首を変な方向に曲げて、無言で倒れていた。

 男は血まみれで倒れたまま、作り物の人形のように動き出さない。

 死んでいる。

 そんな男の死体を、ナオはベランダの柵越しに、隈のある目で見下ろしていた。


 ベランダの柵から赤黒い血が滴り、ナオの足元へ落ちる。

 開かれたままの窓のガラスが、男の血で真っ赤に濡れている。

 ナオは黒いリボルバーを片手に、その場に立ち尽くした。


 遠くからか、電車の走る音が聞こえてきた。

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