新侯爵家の誕生


 男爵夫人と嫡子は無事領境を超え、王領の守備隊に保護された。男爵領に侵略してきたドルイユ王国の兵士の情報は、なぜか王領にももたらされており、その王領の守備兵は領の境を警備していたために夫人と嫡子の乗った馬車は境を越えたすぐに保護されたのだった。重装備の守備兵は真剣な面持ちで男爵領方面を監視しており、男爵領から来た者はその異様さに目を見張った。

 侵略兵が全員討ち死にして安全となっても、夫であるモンテス男爵は見つからず、行く先は揚々として見つからなかった。結局のところ、男爵夫人は男爵との死別という形で、実家に嫡子と共に戻ることになった。夫人は後日夫人と死別した他の貴族の後妻として、嫡子はその貴族の子としてその家に入ることになった。その貴族に子が生まれ、モンテス男爵との間の子は家宰として貴族家に尽くし、生きることになった。


 一方ドルイユ王国の侵攻軍は、領都を占領しようとしていたが、足が遅く、救援に来たセンベレ伯爵に率いられた騎兵七百に後ろから攻撃されて、ほぼ大半が自由に動くこともできずに討たれた。

 彼らドルイユ兵は、偵察する余裕もなくただ前を向いて進んでいた。勝利に気が緩み、死ぬはずだったのに生きながらえたことがドルイユ兵を安堵させ、結局それが仇となってしまった。とはいえ、腰痛の兵士では偵察も満足にはできなかっただろう。

 ドルイユ兵は後ろから突進してくるセンベレ伯爵の騎兵に慌てふためき、隊形を整えることもできずに槍で突き刺され、剣で首を斬りつけられてその場に倒れ伏して行った。

 センベレ伯爵の騎兵は駆け抜けた後、半数以上残った兵士の姿に、反転してさらに突撃した。右往左往する兵の中を、騎兵は何度も往復し、逃げおおせた兵は一握りで、その逃げおおせた兵も領民に発見されて、命を獲られた。死者は九千近くになり、その後領地のはずれに集められ、葬られた。これは兵の墓にドルイユ王国側からも訪れる事ができるようにとの、新しい領主の配慮のためである。

 このドルイユ王国の三度目の侵攻は失敗し、兵士の頭数が減ったドルイユ王国の軍の弱体化を招いてしまう。元々ベルナール帝国と国境を接していたドルイユ王国は、このハビエル王国侵攻失敗によって、軍が弱体化したと周辺の国に見られてしまった。

 好機と見てとったベルナール帝国はドルイユ王国に対する圧力を強め、対処に苦慮したドルイユ王国はついにはベルナール帝国との国境の小競り合いに発展し、結局は国力の差もあり、ドルイユ王国は消滅した。しかしドルイユ王国の消滅については、数十年は先の話である。


 国王に呼び出されたベルゲングリューン家の面々は顔を見合わせた。

 四人のうち三人は首を捻ったが、一人だけ涼しい顔をして一礼した者がいた。

 「陛下、ありがとうございます。引き込むところができそうで嬉しく思います」

 「ア、アストリット・・・」

 父親のゲーブハルト・ベルゲングリューン元子爵が、慌ててニコニコ顔の娘に声をかけた。

 「父様、嬉しくないのですか?爵位と共に領地までもらえたのですよ。これで貧乏貴族から金満貴族へと鞍替えできます」

 思いの外毒舌なアストリットの言葉に、ベルゲングリューン家の面々は黙り込んだ。

 「・・・」

 「・・・」

 「・・・」

 「これ、何を揉めておる。・・・それで、約束した爵位と領地だが、王家の持つ地と、その隣のモンテス元男爵の領地もつけたベゴーニャ地方だ。侯爵領としては最大の大きさとなる。ただな、広さとしては広いが、人は疎らでな、うまみのある土地だとは思えん」

 国王の言葉に、アストリットは嬉々として答えた。

 「陛下。ありがとうございます。その土地はこれから発展するところです。発展した時に取り返そうなどとは、お考えにならないでください」

 謁見室の両側に大臣が並んでいたが、アストリットの言葉にざわつく。

 「返せなどと、言うわけなかろう・・・」

 国王は片手で顔を覆って、ため息をついたが、楽しそうなアストリットの表情に、何かに思い当たったか、急に厳めしい顔になる。

 「ベルゲングリューン侯爵令嬢、そなたは領地に引込むなどできんぞ。そなたは王都に住むのだ」

 その言葉をきいたアストリットは、盛大にため息をついた。

 「や、やめるんだ、リット」

 父のベルゲングリューン新侯爵が慌てる。

 「ベルゲングリューン侯爵令嬢、そなたはこのハビエル王国の魔女として認定している。このハビエル王国のために王都で色々と働いてもらう。良いな?」

 厳めしい顔つきのまま、国王が釘を刺した。

 「・・・かしこまりました」

 返答に多少時間がかかったが、渋々ながらも理解したと思いたいベルゲングリューン侯爵だったが、不機嫌そうにそっぽを向くアストリットに不安が募った。

 視線を外して明後日を見ているアストリットを、国王は不安げな視線を向けたが、やがて諦めてアストリットの傍らに立つ兄であるヒルデブレヒトにおもむろに視線を移す。

 「そういえば、侯爵令息は、この間婚約したのだったか、目出度い事だな」

 「・・・ありがとうございます。その節は陛下の認可もいただきまして、感謝しております」

 ベルゲングリューン新侯爵は、はらはらしていたが、案外まともに答える自分の息子に、安堵した。

 「私も領地経営の勉強ができます。やってみたかったのです」

 この言葉に別の意味で、両側に並ぶ大臣がまたざわついた。

 「ほほう・・・。大臣たちは残念がっているな。令息は優秀か?」

 国王は感心した表情になり、大臣たちに向けて、尋ねてみた。

 「私の局で仕事させたかったと思っております」

 「いえ、わたくし共で」

 「いやいや、外務でなら能力を発揮できたと」

 「何を言う、あの処理能力なら財務局で力を振るえるはずだ」

 ざわざわと牽制しあう大臣たちの姿に、国王はそうだったのかとは少々後悔し始めたが、アストリットのじっと見つめるその瞳にドキリとさせられて、その考えを諦めざるを得なかった。

 咳ばらいをし、話題を変えようと、国王はアストリットから視線を外す。

 「・・・では、新侯爵の陞爵と領地の下賜を宣下する。皆の者、新侯爵の誕生だ!」

 「おめでとうございます!」

 ベルゲングリューン新侯爵は、面倒ごとを背負い込んだという冴えない表情でぎこちなく一礼をした。

 「・・・ありがとうございます」


 ベルゲングリューン家の皆で協議後、一家は王都と領地に分かれ暮らすことになった。

 王都に住む者はアストリット一人で、父のゲーブハルト・ベルゲングリューン、母のエルメントルート・ベルゲングリューン、兄のヒルデブレヒト・ベルゲングリューンだった。

 アストリットは暫く無言でいたが、ようやくため息を一つついてから、肩を落とした。

 「・・・仕方ない、ですけれども」

 アストリットは自分も領地を見てみたいと思ったのだが、国王が出した王命のため、王都からは離れられなくなっていた。そのためにアストリットは貰った領地に出向くことを諦めざるを得なかった。

 「わたくしも行きたかったですわ」

 父と母が行くことに関してはまあ、当主様とその奥方様であり、当たり前だと思われるのだが、兄がいく必要はない。ただ、兄の目の色が変わっていることから考えて、馬の合わない学校に行くよりは領地で領地経営を勉強しようとしているに違いない。兄は、学年が進んでからは学校を嫌うようになっていたが、それは学校で学べるものは大したものではないと見極めてしまっていたかららしい。そんな兄に対し、父と母は行きたくないのなら行かなくてもよいと、父と母は匙を投げてしまっていた。このことから、ベルゲングリューン家の嫡子である兄は領地に行くことは決まったのだった。

 そして兄が行くのであれば、婚約したばかりのリーゼも行きたがるだろう。リーゼが行くのであれば、護衛ができるグレーテルも当然行く。グレーテルの婚約者であるエトヴィン・フレーゲ男爵家子息も多分行くだろう。

 いえ、もう行く気になっているでしょうね。いえいえ、領地の館で一緒に歩く姿が見えるじゃない・・・。ああ、レーテも居る・・・、武装して姫様の後ろ歩いてるじゃないの・・・。

 がくりとアストリットは頭を落とした。


 案の定、その予見通りのことが起こった。

 アストリットの家のサロンで催されたお茶会で、ヒルデブレヒトから説明されたリーゼは一つ頷く。

 「私自身は一緒が良いとは思うが、それは姫が決めること。離れたとしてもまた会いに行くので安心してほしい」

 ヒルデブレヒトがリーゼにゆっくり考えてくれと言って、無粋な男はお茶会には似合わないとサロンから出て行く。その背中が消えるまで見送ってから、リーゼはくるりとアストリットに向き直った。アストリットの隣にはグレーテルが座り、澄ました顔でカップを持ち上げている。

 「・・・リットには悪いと思うけど、わたくしはヒル兄と一緒に行きます」

 アストリットはため息をこらえながら、何とか反論を試みる。

 「・・・学校はどうされるのです?」

 アストリットがじとりとリーゼを見ると、リーゼは晴れ晴れとした表情で言う。

 「辞めますわ」

 「・・・まさか・・・」

 アストリットはべたりと自分の頬に左手をつけた。そしてついにため息をついてしまった。

 「・・・姫様、学校は卒業したほうが、・・・良いと思いますが・・・」

 「ええ、わかっておりますわ。ですけれども、わたくし、ヒル兄と一緒に暮らしたいのです」

 アストリットが何とかリーゼを翻意させようと途切れ途切れに伝えるが、にっこりと笑ったリーゼはアストリットの言葉を否定した。

 ・・・予見で見たことを変えるという事は、無理なことだとわかっていたつもりでしたが・・・。

 「わたくし、ヒル兄を間近で支えようと思っております。それに比べれば卒業などわたくしにとっては些細なことです」

 ちらりとアストリットがグレーテルを見ると、視線に気が付いたグレーテルはカップから口を離し、にっこりと笑った。その瞬間、こちらも予見した通りになったと悟る。

 「リット、レーテもわたくしと共に行きますはずですわよ。わたくしのお相手はレーテか、リットしかできませんし、・・・そのリットは王都に残りますでしょう?・・・それならもう決まりです」

 ・・・いいなあ・・・。

 アストリットは羨ましさで一杯になった。しかし、あることを思いついて一人頷いた。

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