男爵領軍の壊滅


 「なに?」

 ベルトラン・モンテス男爵は、報告がよく聞き取れなかった。

 「敵襲です!」

 敵襲・・・?

 モンテス男爵は耳を疑った。

 「どこが攻めてきた?」

 「ドルイユ王国です!旗印から見るに、相手はジャン・ブーリエンヌ将軍かと思われます!」

 伝令使は片膝をつき、忙し気に言上する。

 「こんな山国に、侵略・・・?」

 モンテス男爵は聞き直した言葉の意味が理解できない。

 国王から侵略の可能性があることを書状で伝えられていたが、大軍では容易に越えられない山脈があり、それが盲点になって、隣国の侵略はないと考えていた。

 「・・・閣下!」

 側近の執事に声をかけられ、男爵は我に返った。

 「い、急ぎ、りょ、領軍をしょうしゅうせ、よ」

 息が苦しくなっていた。ぐるぐると目が回ってくる。

 「閣下、しっかり!」

 執事が身体を支えた。

 「・・・あ、ああ・・・」

 ただ単にこくこくと頷きながら、半ば執事に引き摺られるようにして、椅子に座らせられる。

 執事は、男爵を座らせた後、部屋から出て行くときに、半ば怒鳴る様に言う。

 「閣下!領軍は全員招集いたします!誰か!閣下に戦装束を!」

 ドアが開き、そして閉じる。普段の執事からは考えられないほどせかせかと歩き去る足音が、遠ざかっていく。

 男爵はしばし放心し、そのまま椅子に座っていた。


 偵察隊によると、侵略軍はのろのろと士気がまったく感じられない速度で進軍していた。ただ数は異常に多く、九千人はいるらしい。歓声は力強いのだが、進軍速度は信じられないほど遅い。

 男爵と領軍の指揮官は協議し、士気がないのなら迎え撃ち、一当たりしたら逃げるだろうと考えた。損害もなく、勝てると男爵は協議中に安堵したが、なぜか一抹の不安はぬぐえなかった。

 男爵領軍は小高い丘の頂点に陣を敷き、ヘロヘロと進んできた敵軍を迎え撃つ。

 領軍指揮官は、ヘロヘロの敵軍のことを全軍に伝達し、一当たりすれば逃げるはずだと事前に伝えていた。領軍兵士もヘロヘロと進んでくる敵軍を目にし、指揮官の言うとおりだと思った。一当たりすれば、士気のない奴は逃げ出すはずだ。

 そのまま陣地に籠る領軍兵士は、士気がない怖がっているような腰抜けと、敵軍をせせら笑いながら待ち構える。しかし、本当はそうではなかった。


 最初の突撃もなく、歓声だけを響かせながらのろのろと進んでくる。領軍目掛け収束する敵兵は、第一陣などの区分けもなく、波状攻撃を繰り返す。引く気配すらないその敵軍の様子に、領軍兵は戸惑いながらも迎え撃った。領軍の兵はどんどん敵兵を打ち倒していくが、敵軍は後から後からヘロヘロになりながら、次々に現れ、領軍に向けて収束してくるために、徐々に味方は数を減らしていった。

 男爵は感じた違和感が大きくなっていることに気が付いた。

 敵兵は確かにヘロヘロで、領軍兵士は敵兵を三倍は多く打倒しているが、士気はまったく衰えているわけではなく、玉砕覚悟で進んできていると、領軍兵士がほぼ打倒されてようやく認識した。

 「な、何なのか・・・」

 混乱し、周囲を見回しながら、そう呟いた瞬間、領軍の指揮官が男爵に叫ぶ。

 「閣下!お逃げ下さい!こいつらは、死兵です!死ぬことをまったく厭わない!早く逃げて!」

 どうやら指揮官に命じられたらしい兵が目の前に現れ、狼狽える男爵を引きづり、馬の背に無理やり押し上げた。剣の腹で馬の尻を叩く。

 馬が走り出し、男爵が戦場を離脱すると同時に領軍の陣地は崩れ、敵兵の歓声がこだました。


 どこをどう走ったのか、男爵は深い森の中にいた。馬は口から泡を吹き、どれだけ腹を蹴っても動こうとはしないのにもかかわらず、気が付かない男爵は何度も何度も苛立たし気に、馬の腹を蹴っていた。限界の来ていた馬が、立っていることができず、どたりと倒れる。地に投げ出された男爵が痛みに我に返る。

 「なぜだ!なぜ倒れる!」

 馬が倒れた理由がわからない男爵は手綱を引き、立ち上がらせようとする。

 「立て!立ってわしを乗せろ!」

 悲しげにいななき、馬は立ち上がることはなかった。暫く男爵は手綱を引き続けたが、やがてようやく馬の状態に気が付き、手綱を離した。

 混乱しながらも、男爵は周りを見回した。

 どうやら領都にほど近い森にいるらしい。見たことのある大岩がそこかしこに見られる。

 ふらふらと男爵は領都に向け歩き始めた。

 実際のところ、男爵は豪胆には見られるほどの恵まれた体格をしているが、怠惰であり、事勿れ主義であり、難事を後回しにする傾向が強い性格をしていた。見た目の体格で辺境に配されたと言える男であり、実際は辺境の地の抑えとしては不向きだった。そのために、国王からの書状にかかれたことも履行することなく、放置していた。

 歩きながら、男爵は国王の書状の内容に記されたことを思い出した。愕然とした男爵は狼狽えながら立ち止まった。国王の書状の内容と、ドルイユ王国の兵士の命を惜しまない狂った攻撃を思い出して、身震いをする。やがて、男爵はガタガタ震えながら、踵を返し、領都とは違う方向の山に向けて歩き始める。

 「・・・逃げなければ・・・首を落とされる・・・」

 きょろきょろと周囲を見渡し、木に隠れながら男爵は領地から去るために歩き続けた。


 「・・・閣下はどうした?」

 執事が屋敷で怒鳴っている。男爵夫人や嫡子の逃亡のための支度を終え、後は男爵が何とか戻るのを待っている状態だった。領軍がドルイユ王国の兵に負け、壊滅したことは判明している。死を覚悟して戦場を見回った者は男爵の遺体はないと報告していたので、男爵は何とか逃げおおせたはずだった。ただ、戻ってくる気配がない。

 「どこにおられるのか、わかりません」

 最後に残った使用人が答える。

 屋敷の侍女や女性の使用人はもうすでに退避させている。男爵夫人専属の侍女は夫人と共に逃げるために、まだ夫人の傍で待機していた。

 女子供と金目のもの、そして小麦の種籾はなるべく人目につかないところに隠せと領内にも触れを出して、避難させている。

 「・・・来ませんよ、あの人は」

 男爵夫人が息子を抱きしめながら言う。

 「はい?奥様、今何と仰いました?」

 「来ないと言ったのですよ。あの人は度胸のない人です。どうせ、負けたことで怖くなったのでしょう。もうこの辺には居ないはずです」

 「・・・お、おくさま・・・」

 執事の消え入りそうな声に、口の端をあげ、男爵夫人が笑った。

 「・・・中身のない見掛けだけの人でした・・・」

 「・・・」

 男爵夫人は、この家の主である男爵が居ない場合は最高権力者となる。

 「待つだけの価値のない人です。・・・さあ、皆馬車に乗りなさい。私たちはここを出て、お隣の王家領地へと向かい、保護してもらえるように、願ってみましょう。どうせそこに夫は先にたどり着いているでしょうから」


 馬を飛ばして男爵領の使いがガエル・センベレ伯爵の屋敷にたどり着いた。

 「注進!」

 使いを出迎えた、新しく雇い入れた侍従が、言上をきき、速足でやってくる。ただこの侍従は慌てて走ったりとか取り乱したりはしない。

 「・・・なにか?」

 伯爵が鎧姿のまま、椅子に腰を下ろしてじろりと侍従を見返していた。

 「申し上げます、お隣のモンテス男爵領がドルイユ王国軍に侵入されたとのこと。男爵様が救援の要請をされております」

 その言葉に伯爵が立ち上がる。

 「やはり、国境の二千の兵は陽動だったか・・・。あいつら、どれだけ挑発しても国境の陣から動こうとはしなかったしな」

 伯爵は卓上の剣を掴み上げ、歩き出す。

 「行くぞ!」

 「はっ!」

 答えた侍従が先に部屋を出て、大音声で叫ぶ。

 「伯爵様が、お出になります!」

 「・・・国軍の五千はあのまま、対峙させておけ。我らは七百の騎兵で急行する。奴らのどてっぱらに穴を開けてやる!」


 アストリットはリーゼと兄の婚約式に出席していた。

 照れて下を向いている二人に向け、拍手をしていると、隣のグレーテルがアストリットに尋ねる。

 「そういえば、一週間前に国王陛下に至急便を出していたじゃない?あれってなんだったの?」

 「・・・ん?・・・ああ、あれ?昨日か今日に、ドルイユ王国が三度目の侵攻をしますよと予見したと書いておいたわ。国王陛下は即、センベレ伯爵領に徴兵した兵を五千送ったそうよ」

 「・・・行かなくてよいの?」

 グレーテルが眉を寄せて聞く。魔女でしょ、あなた。そういう声が聞こえてきそうだ。

 「・・・姫様の婚約式のほうが遥かに重要でしょう?」

 「・・・」

 グレーテルはさらに眉を寄せた。

 「・・・それに、今回はセンベレ伯爵のお隣のモンテス男爵領に侵攻してくるから」

 わっと歓声が上がる。

 見ると、ヒルデブレヒトがリーゼの前に跪いていた。

 「モ、モンテス男爵領?」

 「ええ、そうよ。この侵攻を退けるけど、醜態をさらしたモンテス男爵の領地は王家に召上げられて、我がベルゲングリューン家に隣の王領と合わせて下賜されるようになるから」

 アストリットが拍手しながら、答える。

 「・・・助けてあげなかったわけ?」 

 グレーテルの言葉に、呆れた調子を感じ取ったアストリットが少し長く息を吐きだす。

 「・・・私の予見は外れないから」

 「・・・男爵の末路も見たのね・・・」

 「・・・そういうこと」

 ひときわ歓声と拍手が上がる。照れながらも、リーゼにヒルデブレヒトがキスをしたのだ。

 「見てよ!姫様の嬉しそうなこと!」

 「・・・見てたよ」

 グレーテルはアストリットが相変わらず家族を優先しているのを見て、これで良いのかと、ため息を吐くしかなかった。

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