ビザンツ

@Hokerikon

コンスタンティノープルの夕陽

海で拾われた子どもは、あの”有名な”

12歳の未来に影のように付き従う

彼が、当時のイタリアの「毒」に気が触れてしまわないように――


西方の首位司教座、ローマの教皇領、ある意味で原点を目指した亡命者。

それが彼だ。輝かしい最期の逸話と帝位に選ばれる前

ミストラスの再建という他の誰にも出来ない偉業を果たした

第二のコンスタンティヌスの、その長子(甥)に未来を与えよ!

ギリシアの諸侯はいがみ合いの小休止に置いていかれ、次々にターバンの軍門に降る

帝位を奪還せよ!いやお前は間違ってる!!・・・

おお、ミストラスよ

半島の残存領土の解体が何故早かったのか

1453年ー1460年、2人の統治者

コンスタンティヌスの2人の兄弟 不仲だった

共同戦線は1度張り、”コリントスの雁首”で敵を撃退してのけたが、

本質的には、都を失い

属国化している現実を片方は享受し、

周囲の押されて帝位奪還を主張する片方が暴走する――

民族という言葉は生まれる必要がなかったけれど、

14世紀からの最後の帝国文化の発展は、彼らのプライドが遊牧民のターバンに窮地に立たされている裏返しでもある。

そして首都を失い、文化の中心であったミストラスも失われた。

首都失陥をみたフランスの元帥が船で、スパルタ起源の”あの町”に立ち寄った

その記憶も遠くなる。

奪還!は最後まで口にされるが、その港町にすら歴史の風はあまりに冷たい


昔にもあった 彼らに栄光の時代があったときにも

ドナウ川までの支配地拡大が、蛮族の理解を引き寄せたか

いいや、だがそれはフランスのご先祖もそうじゃないか

血族運営で、たがいにいがみ合いイタリアは教皇が分離する?

彼の帯びた”尊位”の人達はよくやる、移民政策。

中央にいると壁の虫になる

ビザンツはその大家だ。

小アジアのギリシア人は、屈強な防人の印象すらある。だが自治は限定的で

辛うじて連帯意識があると仮定した方が、いいのかもしれない・・・

時代がくだり、1204年の十字軍のコンスタンティノープル掠奪が行なわれ

都はそれ以来すっかり寂れた。

掠奪者の首謀者が遺言した、思い上がった自らの勝利の墓を、

聖ソフィア聖堂は内部に刻まれてしまった。周囲の宮殿は放棄された。


浮浪農民って、おうさまの宮殿なんてへっちゃらで、誰もいないなら

材料お借りして自分の仮住まいになれば、生きていく

そういえば、ハンガリーから出発した数だけは多い十字軍は

彼らを助ける最後の希望と言っていいけれど

新進のムラトの軍勢に完敗した

ヴァルナという北の、ドナウの地で、

それが帝国の最後の努力を毒してしまったとは思えない

いや、そもそも1071年の皇帝軍の大敗が、

11世紀中頃の帝国の中興を途絶させたわけではないのだ


コリントスを出発し、セサリアまで遠征の旅路の何と陽気なことだったか!!

コンスタンティヌスよ・・・

――コリントス城塞は、ムラトの手痛い懲罰を受け、一旦死んだ。


つまり歴史的には、双頭の鷲は併存した。

先述した大敗でテュルク(ターバン)君侯が小アジアに並び立ち

地図の上では(当時、明確な地図があったかは知らないが)

ギリシア人はテュルクに駆逐されていくように見えた

都と小アジアとで2つの”双頭の鷲”が舞い上がる

そこから、もう都に牙をむいているんだ

そこにギリシア人は確実に存在している

カッパドキアの洞窟修道士、望んでいただろう

思いのほか寛容なテュルクの宗教政策は、彼ら

長く、気の遠くなるような時間をかけて、住み着いた

者たちの主張できるもっともな権利に他ならない。

有名なエルサレム(「神の街」)を目指す

西の野心ものの十字軍は

コンスタンティノープルまで古い街道を東進してきて

城に入れないので対岸に篝火をたいたという、

時の皇帝は

都に入れるつもりなどなかった。

彼はそういう敵と何度もギリシア西部で戦って負けていたから。

街道沿いの町は城塞に守られて無事。

そして、帝国の財宝の存在は次の皇帝の時代ならまだしも

当時は、帝国がようやく先の大敗から持ち直した時期で

国庫はヤバかったのだと思う

西の人はそこまでぐっすりと想像したかな

帝国の事情は、古く複雑だ。


その浮沈は、外の人々との関係で繋いできた

内側の人は外の勢力を引き込んで、実は波乱と倦怠の連続だったかも知れない

ローマ人を名乗り、ギリシア語を公用語としたのは

イスラムに国土の半分以上、それも肥沃な地を永遠に

失ってから 耐えても別の民がやって来る

それが一段落したのと、ヴァシレウス2世の登場は偶然か

いいや、彼の先代と先々代が小アジア以東で軍事行動に成功して

東が安定したから、この人もドナウまで行けた。

財源を増やして軍を強化したのは新しい出来事

でも傷みが大きいもの

主に小アジアの教会や大地主が狙われた

だから、11世紀の中興は小アジアのこうした人々の資産没収を大きな駆動因とする

それも一面として忘れてはいけない


つまり、テマの反乱もあったけど

軍隊を統制する存在として皇帝が自立していた

皇帝の専制君主化が、

イスラムの襲撃で小アジアに引き上げた

”密集する”ギリシア人にとっては恐怖ではないか

末期にも、皇帝の血族運営は

内乱防止の観点で採用され、現地との摩擦をうむ

上記と似通う

土地との繋がりを、ギリシア人がターバンに認めたのは

憧れとかあるけど、国家という枠組みに囚われる帝国をどうしたいか

その主人公になり得るかという点もあるだろう・・・

ムラトの子、メフメトの燃える魂と、コンスタンティヌスの両雄を慎重に

見定める時間はなかったことが悔やまれる


帝国の皇帝には、時々光る人が居たが

国家を守る人と崩してみる人にも、似ているとこが多い

群雄が、キリスト教帝国千年の歴史の一部となっていくならば、それも美しい――

Istanbul



幻想詩(コンスタンティノス11世に捧げる詩)

「決戦前夜に、風が立つ」


都の空気 金角湾の海の鉄鎖をほどいたので

ミストラスに小舟を出しましょう

今晩は新月でございます

海峡の要塞には夜襲をかけて

陛下が囮のお姿を見せられれば、敵は我先に駆け出すので

無傷で闇夜を抜けられます

荒廃からの再建に自由な風土が加わり

人々の思いが汲めるあの場所へ

堰を、完全にして

あらゆる漁船を誘い船団に組織していくのです

エーゲ海の島々に立ち寄り

皇帝はお姿を

皆を前にされて、微笑まれれば

感極まる涙声が空間を刺激しましょう


ベニスもジェノバもきっと肝を冷やすでしょう

彼らの商圏にも生活がまずあることを思い知らせてやるのです

テュルクの小アジア西岸には拍手を送ってやるのです


あくまで兄上の政策は間違っていたのです

小さな勝利の蓄積が

都の千年の灯火を移している

帝国の進路は、あまりに内側を突き放してきました

その自由が確保されるならともかく

こうも四方を敵に囲まれては、戦い方を陛下はご存知のはず

我々の複雑な歴史に、西の十字軍はあくまで外野で

人格者だとは思いません

ローマに行かれたことはありますか?


いいや

もののふよ


ローマは西のよりどころで

我々には遠い。彼らに我らの文化の隆盛は希望に映る

MIRAIがきっとあります

私は日本の夜鷹掌です ではそろそろ

ありがとうございます。


また何時の日か。

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