だてんのいちげき!~堕天使チエロは天界に戻りたい~

黒田忽奈

Falling from Heaven

1

 天使を、犯してしまった。

「ハァ……ハァ……」

 男は自分のやったことを理解し、そう思った

 暗い部屋に立っている荒く息をするその男は、目下の黒い隈と無精髭により怪しい雰囲気を醸していた。中肉中背より少し筋肉の付いた身体は、連日の過酷な夜勤により鍛えられたものである。

 犯したというのは、普通にヤバい意味でだ。

 そして天使をというのも、多分普通に天使を、である。

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 天使ってのは、めちゃくちゃキレイな女性だとか、名器だとか、そういう比喩の話をしているのではない。

 多分、正真正銘の天使だ。男はそう確信していた。確信するに足る状況が、そこにはあった。

 男は電気を点け、己の目の前で泡を吹いてぶっ倒れてる者を見下げる。

 女だ。そりゃそうだ。男である俺が犯したんだから。

 ローブに身を包んだ女が、目の前に蟹股をおっぴろげて仰向けに倒れている。平時であれば美しいのであろう桃色の長髪は汚く床に広がっており、気品の欠片も感じられない。

 そして極めつけは、女の背中から生えていると思しき、巨大な一対の白翼だ。

 まさにサイ●リヤの絵画とかで見たことのある有名な西洋画に登場する天使のような純白の羽が、狭い床一杯に広がっていた。

 男は怒濤の事実に頭が追い付いていなかった。射精の快感は極めて一時的なものであり、今では後悔しか残っていない。

 男がかじかむ脳でかろうじて考えられたことといえば———

(強制性交 強姦 レイプ 実刑判決 厳罰化 懲役二十年 実名報道 懲戒処分 認知———)

 ガクガクと膝が震える。自分が犯した罪が怖気となって全身を駆け巡る。目の前の被害者女性が見るからに人外天使であることなどは関係ない。己の性欲に負け、初対面無関係の相手を思いっきり犯してしまった。脳内に、幼少の頃に流行った人生終わり的ネットミームが場違いに明るく再生される。

 どうする。とにかく証拠を隠滅しなければならない。またどんな策をとるにせよ、まず防がなければならないのは目の前の女の妊娠だ。デキるもんがデキてしまったらどう足掻いても言い逃れできない。

 無計画にぶち犯したのだ。避妊具など用意しているハズも無かった。とりあえず、近所の深夜営業している薬局に走って緊急避妊薬を買うべきだ。男は下半身が丸出しだったことに今更気づき、ズボンを履く。

 家に鍵をかけていこう。倒れている天使は———目を覚まされても面倒だ。縛ったり、口を養生したりしておくべきだろうか。

 男が物置から薄緑の養生テープを持ち出すと、

『———おい———』

「?」

『———おい———え———る———か———』

 脳内に響く、謎の声。

 男は自分自身が恐慌しておかしくなってしまったのかと錯覚した。しかし、

『おい! 聞こえているかと聞いているんだ! そこの男!』

「うおぉっ⁉ 誰だ!」

 脳内に、明確に怒鳴る男の声が響いた。男は慌てて部屋を見回す。狭いアパートの一室には男と、倒れた女しか居なかった。

『なにキョロついてるんだ。私はそこには居ない』

「あ……う、ど、どういうことだ! お前は誰だ! 何処にいる!」

 男は声を荒げる。謎の声が溜息を吐く音が聞こえた。

『私の所属など今はどうでも良い。天界からお前に話しかけている』

「は……天……界……?」

 謎の男は訳もなく言ってのけた。天、界?

『あぁ、無知傲慢な人間にも分かるように言えば、天国だな。お前らの世界の遥か上空にあり、死した人間が集う楽園だ』

 男は頭を抱えた。高度な幻聴だ。クスリにだけは手を出さないようにしていたのだが、知らず知らずのうちにキマってしまっていたのだろうか。それほどまでに俺の精神は追い詰められているということか。

 地上の男の混乱も他所に、天界の者を名乗る謎の男は声を投げかけてくる。

『実は先刻、お前の家の近くに天使を一人派遣したのだがな、数分前に連絡が途絶えた。お前、何か心当たりはあるk……』

 言いかけ、天界の男の声が止まる。男はヒヤリとした。

『まて、この反応……お前、近くに天使が居るな……』

 冷酷な印象だった男の声が俄かに動揺する。

『っ……おい! チエロ! 何があった! 大丈夫か! 応答しろ!』

 男は逃げ出すこともできず、ベルトを締めなおして事の成り行きを聞いていることしかできなかった。

 天界の男の声の矛先が、地上の男の方に向く。

『おいお前、この天使に何をした!』

 天界の男は動揺を明確な怒気に変えてすごんでくる。顔は見えずとも修羅の形相が想起された。

「あ……その、だな……」

『おっと先んじて言っておくが、隠し事はするなよ。罪が重くなるからな』

 冷酷な声。どうやら正直に白状するしかないようだ。

 男は生唾を呑む。両拳を握りしめた。

「その天使……俺が、やっちまった」

『…………………………………………………………はっ?』

 素っ頓狂な声。

『やった……って何、え? お前……は……え?』

「………………」

 生温い沈黙。天界の男はしばらく黙った後、軽く咳払いした。

『お前、天使と、性交したの……?』

「………………ウス」

『……………………………………』

「……………………………………」

 天界の男がスゥ、と息を吸った。

『何やってるんだ貴様ぁ—————————!!!!!!!!!!!』

「すみませ———————————ん!!!!!!!!!!!」

 脳を割らんばかりの勢いの絶叫が頭の中に響く。

『は⁉ え⁉ はぁぁ⁉ 人間がバカだとは聞いていたが、これほどまでとは思わなかった!!! えぇ⁉ お前何してんの⁉』

「すみませんすみませんすみません!!!」

 取り乱す天界の男と地上の男。床には白目を剥いてぶっ倒れたままの天使。場は混沌としていた。

『とっとりあえず、何があったか経緯を洗いざらい吐け!』

「は、はい、えっと」

 男は罪悪感と天界男の圧から、事の経緯を全て正直に話した。とっ散らかった自分の脳内を整理するためでもあった。

 事の発端は一時間前に遡る。

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