ニートは続くよ、どこまでも!

月峰 赤

第1話 親父、俺、働くの?

 昼に起き、飯を食おうと部屋に入った所に、仕事に行ったはずの父親がいた。

 畳の上に胡坐をかいて座り、いつも家族3人で食事をしている低いテーブルには湯呑が2つ置かれている。

 やっと起きたか、と言わんばかりのあきれ顔をしたかと思うと、自らの正面に座るように言ってきた。


 俺は嫌な予感がした。

 だから急いで部屋から出ようとしたのだが、腕を掴まれて逃げることが出来なかった。

 捕まれた手に力が加わり、あれ、怒ってる?と思ったら

「来い」

 とだけ言って、部屋の中にズルズルと引っ張られていった。

 抵抗しようにも完全に力では負けていて、腕を見比べても差は明らかだ。

 扉から遠い位置に俺を座らせてから、その正面に座る。用が済むまでは何が何でもこの部屋から出さないという意思が伝わってきて、恐いし辛い。


 相手の顔をまともに見ることが出来なくて、テーブルにある湯呑を見つめる。濃い色をしたほうじ茶が、唯一心を置ける場所だった。


 以前にもこういう場面はあったけど、出まかせを言ったり、笑ってごまかしてきた。

 けれど、今日はそれが通用する雰囲気には感じない。むしろ少しでもふざけようものなら…。想像できない。


「いい加減、身の振り方を決めたか?」

 その声色には、怒りも、呆れも無かった。念を押すような、改めて俺の意志を確認するような、そんな意味が孕んでいた。

 視線を上げると、父親は表情を歪めながら、湯呑みを一口すすっていた。

 俺もそろそろと湯呑に手を伸ばす。半分ほどしか入っていない湯呑からは、少しだけ湯気が立っている。さほど熱くは無かった。

 一口飲むと、口の中に苦みが広がる。いつもより苦みを感じて、腹から空腹を告げる音が聞こえた。


 湯呑を置くと、机に当たる音が部屋に響いた。思ったよりも大きい音がして、それだけで居たたまれない気持ちになり、視線を落とした。


 質問に答えなければならない。

 身の振り方を決めたということは、これからどうやって独り立ちをするのかを決めたことと同じ意味だ。


 このまま毎日、自堕落な生活を送ります。

 なんて答えたら、もうどうなるか分からない。今はその気配さえも感じさせてはいけないような気がした。

 今日の父親には、何かしらの覚悟を感じる。

 ここは正直に言うしかない。


 緊張して、ふーっと息を吐く。少しでも真面目に見えるよう、居住まいを正してから、けれど、覗き込むように父親を見る。


「何も…決まってません」


 これ以上は何も言えなかった。他の言葉を付け加えても、言い訳がましくなってしまうと思った。


 おそらくこの答えは良そうしていたに違いなかった。いつもと同じ答えを聞いた父親の表情は、微動だにしない。

 今までこの問答をするときは様々な感情を映し出していたのに、年月を経て一部の感情を忘れてしまっているようだった。

 以上です、という意味を込めて、下を向く。もはや湯呑すら見ることが出来ず、畳の上にある何かを探し始める。


 父親はその間、何も言わなかった。何か考えているのかもしれないが、それを確認する勇気は持ち合わせていなかった。


 どのくらいの時間そうしていたのか分からない。ほんの数秒かもしれないし、数分だったかもしれない。

 息苦しくて、首元を伝った汗が、背中や胸を急速に下りていく。


 開け放たれた窓からは人々の生活音が聞こえる。

 子供が遊んでいる声、工事の音、鳥の鳴き声。それがいつもよりもはっきり聞こえる位、この沈黙が痛かった。


 やがて父親が立ち上がる気配があった。それでも気を緩められずにいると、部屋の隅にある箪笥を開けているようだった。

 戻ってくると、机の上に紙が一枚置かれた。少し顔を上げると、首の付け根が少し痛んだ。

 こちらに寄せられた紙を手に取る。横向きの紙に対して、文章が右から左へと流れている。その一番右には他の文よりも大きく「詰所試験概要」と書かれていた。


「これって…」

 喉が絡みついて、上手く発音出来なかったが、それで父親には伝わったようだった。

「各地の詰所で働くための採用試験が、首都で行われる。そこを受けろ」

 それだけ言って、もう言葉は帰ってこなかった。


 詰所は、その地域における役所のようなもので、とにかく困ったことが有ったらそこに行き、窓口に相談内容を持ち掛けるというのが、俺でも知っている日常のお決まり事となっている。そこには一度父親に連れられて、仕事を探しに行ったことがある。だが、働きたくなかった俺はどれに対しても不満を呟き、付き添ってくれた父親に溜息を付かれたことを今でも覚えている。

 今度は一人で行くように言われていたが、外出することはあっても、それ以来一度たりとて足を運んだことは無い。


 そんな自分が詰所で働くことが出来るのか甚だ疑問ではあったが、もう選択肢は無いようだった。


 これまではどういう所がいいのかとか、一度どこでもいいから働いてみたらどうだとか、そのくらいで話は終わっていた。

 どうして詰所を選んだのかは分からない。もしかしたら伝手でもあるのかもしれない。

 面倒臭がりでやる気のない俺にも出来る簡単な仕事が、あるのかもしれない。

 その訳を聞きたかったが、何か違う気がした。決して悪いようにはならないという根拠のない気持ちが、自分の中に芽生えていた。


 紙を持つ手に力が入る。

 やるしかない、と思った。


 この紙の上に、俺たち親子が繋がる何かが乗っている。それを零してしまったら、もう二度と戻ることも、進むことも出来ないと思った。


 絡みついた喉を整える。俺が何か言う気配を感じたのか、父親はごくりと喉を鳴らしたようだった。

「分かった。これ、受けてみる」

 そう言った後は、自然と覚悟が決まっていた。もはや自分は試験を受ける人間になっていた。

 部屋の中を渦巻いていた緊張感が溶けていく。前に座る父親に、ようやく体温が戻った気がした。

「そうか。まぁ、やってみろ」

 父親はぶっきらぼうにそう言うと、概要をしっかり読んでおく様にとだけ付け加え、お茶を一気に飲み干した。机に戻った湯呑が勢いで、ガタガタと回る。

 ここで襖が開いた。母親が3人分の昼ご飯を持ってきてくれていた。


「さぁ食べましょう。ラク、お腹すいたでしょう」

 母親の声が、いつもより、少しだけ震えているような気がした。

 それに気づかないふりをして、「うん」とだけ返事をする。

 目の前に置かれる肉うどんに反応するように、腹がグーっと鳴る。

 昆布ダシを使った汁に浸かる真っ白なうどん。その上には大量の肉が乗っており、甘めの汁と共に食欲をそそる。

 手に持っていた紙を、少しだけ気を使いながら床に置く。


 手を合わせて、うどんをすする。目の前の父親も、母親も、同じものを食べている。

 ちらりと「詰所採用試験概要」を見る。そこには今までの生活には無かったモノがたくさんある。それがどんなものなのか、俺はまだ知らない。


 けど今だけは見て見ぬふりをして、目の前の食事を楽しもうと思った。

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