流星

横瀬 笙

第1話長篠の戦い

 真青な空に、もくもくと白い雲。

 天正三(1575)年五月、梅雨の晴れ間の日差しのなか長身白皙の少年が春日山城内を歩いている。「斯波義長」少年はかなり大きな声で独り言を言った。


 信長公が御実城様おみじょうさま(上杉謙信)のような性格であれば主家である斯波の名跡を継ぎ将軍のいみなを頂戴して、たぶん義長と名乗っておったはずじゃ(三管領筆頭の家柄である斯波氏は将軍の通字である「義」を賜るのが慣例)。義信では武田信玄の息子と紛らわしいしな。そして管領となり幕府の柱石として将軍をお支えしておるはずじゃ。 

 信長公は御実城様と全く違う性格じゃ。現に将軍を京から追放して何の不都合も感じてないようじゃな。今、上杉は武田に対抗するため織田と同盟をしておるが、いずれ織田と戦う日が来るやも知れぬ。「昨日の友は今日の敵」が戦国の習いじゃ。

 

 考え事をしながら少年は、勝手知ったる他人の家、直江屋敷に入っていく。

「おお、与六殿。奥方様がお待ちです。こちらへ」

通された部屋では三河の国の大きな絵図面を前に美貌の女性が思案の様子。

「おはようございます。奥方様」

「おせんでよいぞ」

「では、おはようございます。お船殿」

 苦手じゃ。子供の頃にいじめられた記憶しかない。

「三河の国で何か起きましたか」

 徳川の本国じゃが。

「岡崎城町奉行の大岡弥四郎とか申すものが鋸引きの刑を受けたそうじゃ」

地面に首まで埋めて首を鋸で切る刑罰じゃな。極刑じゃ。

「妻子もはりつけにかけられたようじゃ」

「妻子までも。おそらく謀反の罪でございまするな」

お船がおとがいに指先を添わせながら考え込んでいる。

「徳川は大岡弥四郎が頭がおかしくなったという噂を流しておる」

お船が頭を軽く振る。

「町奉行は要職じゃが、単独で謀反を企むとも思えぬのう」

なるほど。

「もっと大がかりな陰謀のように思えるのじゃ」

長い間、上杉家の外交内政を統括してきた家老直江景綱の娘だけあって流石に鋭い。

「徳川は家康公が浜松城、嫡男信康公が岡崎城に在って武田に対抗しているのじゃが

三方ヶ原の戦い以来、負け戦続きじゃ。領地も武田に相当取られておる。徳川の家中に武田に対する和平派が生まれても不思議はあるまい」

「高天神城を武田に攻め落とされた時も織田の援軍は来ませんでしたな」

「信長公は兵を出したが間に合わず、代りに伊勢長島の一向一揆を殲滅したな。家来のようにこき使われているのに、いざと言うときに頼りにならない織田を離れて、武田に近づこうと考えるものがおっても、そんなにおかしいことではあるまいて」

わかった。

「岡崎城におる家康公の正室築山殿は信康公の母でもありますが、もとは今川の出、怨敵信長公の下風におることを良しとしておられぬのではありませぬか」

うなずくお船。

「信康公あるいは築山殿を中心とする岡崎衆が家康公に対する謀反を企んだ。武田の軍勢を岡崎城に引き入れる積りだったのではないか?未然のうちに防いだが、巨大な陰謀が明るみに出たら影響も大きい。ただでさえ武田の調略に靡きかけておる遠江・三河の国人も雪崩をうって武田に寝返りかねぬ。ゆえに大岡は頭がおかしいという噂を流して事件の矮小化をはかっておるのじゃ」

そうじゃ。

「これすべて武田の調略の結果やもしれませぬな。武田の調略は人の心を操ることに長けておりまする。われらも何度、煮え湯を飲まされたことか」

驚いた顔をするお船。

「そうやも知れぬ。上手いこと言って、家康公に疎んじられておる築山殿に取り入ったのやも知れぬな」

色仕掛けかもしれぬ。

「細作からの報告は雨粒のように届いておるのじゃが今ひとつ確証が持てぬ。何か、大きなことが起きそうな予感がするのじゃが。わらわが直接赴きたいくらいじゃ」

「そっそれがしに、そのお役目賜りたい」

急に素に戻ったお船。

「そなたは幾つじゃ。子供に危ない橋は渡らせることはできぬ。それに御中城様おちゅうじょうさま(上杉景勝)がお許しになるまい」

「もう十六でございまする。元服も初陣も去年すませております。武田四郎は御中城様が好敵手と思い定めておられる唯一人の敵でございまする。それゆえ、こちらにそれがしが日参して武田の情報を教えて頂いておる次第で。どうかお船殿よりもお口添え願いまする」

「かわいい子には旅をさせよということか」

 大人ぶってるけど、あなたもまだ十九歳でしょ。と言いたいのを堪えてにっこり笑い、丁寧なお辞儀をする樋口与六兼続である。


 武田四郎、四月上旬に甲府を出陣

 武田の軍勢は四月二一日より三河長篠城を包囲中


 兼続が直江屋敷から貰って来た細作の報告を読みながら景勝は考えこんでいる。

 昨年二月には東美濃に攻め込んで明知城など十八城を攻略し、六月には遠江の要衝高天神城を攻略、信玄でさえ落とせなかった城を落としておる。武田は代替わりの混乱から完全に立ち直り、さらに強くなっておるようじゃな。

 武田四郎勝頼。三方ヶ原の戦いでの戦闘指揮も見事なものじゃったと聞いておる。御実城様も信玄の衣鉢を継ぐ侮りがたい男じゃと褒めておられた。勝頼は信玄以上の武将やも知れぬな。

 いずれ戦場で相まみえる日もあるじゃろうが、その時わしは勝てるのじゃろうか。


 弘治元(1555)年生まれの上杉景勝は、この年二一歳。

 正月二一日に上杉謙信の正式な養子となり、名を長尾喜平次顕景から上杉弾正少弼景勝に改めた。謙信にとって越後国主になったことを記念する官位とも言うべき弾正少弼を与えられたことは越後国主の後継者と見なされたことを意味する。

 二月十六日に謙信が定めた新しい軍役では、御中城様と尊称され、一門衆の筆頭として鑓二五〇丁・手明四〇名・鉄砲二〇丁・大小旗二五本・馬上二五騎を負担することとなった。上杉の家臣団の中でも最大級の戦力を誇る上田長尾家の当主として、名実ともに後継者の立場を固めることになった。

 謙信の後継者を自任する景勝にとって、信玄の後継者である勝頼はすべてが気になる存在であり、勝頼の動向については、特に家老の直江景綱に頼み込んで細作の報告を見せてもらっているのだ。


「こたびは決戦になるやもしれませぬな」

景勝の傍らに控える小姓の兼続が呟いた。五歳の時から景勝に仕えており、景勝の考えていることは以心伝心で分かる第一の側近である。


「三方ヶ原の戦いで大敗した徳川は、まだその傷が癒えてはいまい。織田の援軍が来なければ兵力の面でも勝負になるまいて。しかし織田も昨年の東美濃の戦いで、したたかにやられておるようじゃが。昨年の高天神城の時のように決戦を回避するのではないか」

同じ小姓の泉沢久秀が兼続に反論する。


「さればこそでございまする。昨年の高天神城の戦いで二ヵ月敢闘した城兵を見殺しにして降伏を余儀なくさせております。また決戦を回避して、手をつかねて長篠城を奪還されるようなことがあれば徳川は持ちませぬ。長篠城城主の奥平貞昌は、山家三方衆として武田に服属しておったもの。武田を裏切り徳川に寝返ったため、妻子を磔にされ、憐れんだ家康公は自分の娘を娶せることを約定したと聞いております。娘婿の奥平まで見殺しにすれば、遠江・三河の国人で徳川に従うものはいなくなるのではございませぬか」

「徳川は滅びるのか」

「いや家康公は武田に寝返るやもしれませぬ。しぶといお人ゆえ。さすれば信長公は東の藩屏を失うことになりまする。それゆえ、こたびは援軍を出すのではございませぬか」

「それゆえ、決戦になるというのか」

景勝が初めて口を開いた。

「御意。先ほど、岡崎城町奉行の大岡とか申すものが謀反の疑いで捕らえられ鋸引きの刑で処刑された報告を聞いてまいりました。なんでも岡崎城へ武田勢を引き入れる陰謀を企んでおったとか。有能な行政官であった大岡は武田が勝つと考えたのでございましょう。武田に民心が傾いておる、ひとつの証左ではございませぬか」


 長篠城は、もともと信玄が造った城じゃ。信玄急死の混乱のなか放棄され、徳川のものとなっておるが要衝じゃし、近くに鉄砲玉の原料となる鉱山もあると聞いておる。武田は必ず奪還するつもりじゃろ。

 それに勝頼にも焦りがあろう。信玄急死の混乱で武田が動けない間に、将軍が京を追放され、浅井・朝倉が滅ぼされ、長島の一向一揆も焼き殺された。ここで信長公を叩いておきたいじゃろうな。やはり、決戦になるようじゃ。天下分け目の決戦じゃ。

 勝頼はどんな陣立てで戦をするのじゃろう。


「それがしが見てまいります」

兼続が言上する。

「はっはっはっ。与六、武田領内の信濃を通過せねばならないのだぞ。すぐに捕まるぞ。そなたでは無理じゃ」

小姓たちが爆笑する。

「細作にできることが、それがしにできぬとは思いませぬ」

最年少の兼続だが、冷静に反論する。


 そうじゃな。心ききたる細作をつければ大丈夫やも知れぬ。こたびは有無の一戦。細作の報告だけでは心許ない。与六は若いが具眼の士じゃ。

「与六、見て来てくれるか」

「はっ。早速発ちまする」

「いや、直江殿にお願いして護衛をつけてもらおう」

直江家は上杉の諜報の大元締めじゃ。手練れの細作もおるじゃろう。

「そなたはわしの腹心。危険な任務じゃが、くれぐれも命を粗末にしてはいかんぞ」

「はっ」

平伏した樋口与六兼続は涙を流していた。


 

 信越国境を長身の若い男が老婆を背負ってとぼとぼ歩いている。本当に大丈夫かな。兼続はお船に言われたことを思い出す。

「昨年、御実城様が信濃に兵を入れ、勝頼の軍事行動を牽制したことがあったため、こたびは海津城に高坂弾正が残り、八千の兵が要所に配置され上杉の動向を注視しておる。信濃への潜入は、なかなかに難しい任務じゃ」

「しかし、いつ大戦が始まるやもしれませぬ。それがしは一刻も早くいかねばならぬのです」

哀願する兼続を、面白そうな顔をして見ていたお船、しばらく考えて

「この者を連れて行きなされ」

と押しつけてきたのが、この老婆である。

 お船殿の目が意地悪そうに光って見えたのは、それがしの僻目じゃろうか。子供のころによく見た目じゃったような気がする。


 まずは国境の関所を突破すること。病気の老母の快癒祈願のため、善光寺にお参りするという体裁をとる、ということで老婆を背負っているのだ。本当に死にそうな婆さんじゃな。大丈夫かな。


「なかなかの孝行者じゃ。しかし善光寺の御本尊は甲府に送られておるが、御利益はあるのじゃろうか。まあ鰯の頭も信心からとも言うし許す。早う連れて行ってやれ」


 あっさり関所を突破することができた兼続。老婆の始末を考え出す。いくらなんでも全行程、老婆を背負っては行けまい。しかし道端に捨てて行くわけにも参らぬ。どこかの農家に預けて、帰りに拾うことにするべきじゃろうか。


「与六様、うまくいきましたね」

突然、瀕死の老婆が話しかけてきた。しかも若い女の声で。びっくりした兼続、老婆を落としてしまう。

「すまぬ」

振り返った兼続の前に、若い女がひざまづいていた。

「エッ!」

顔を上げた女は

「うちは直江の細作、波里と申しまする」

と真珠のような白い歯を見せて、にっこり笑った。

「なみり、なみりと申すのか。婆さんはどこに行った」

「ふふっ、老婆はうちが化けておったのでございまする」

本当か。しわくちゃの婆さんを負ぶっておったはずなのに。

よく見ると若い女というより少女じゃ。

こっ腰が抜けそうじゃ。


「先を急ぎまする。ついて来てくだされ」

波里は街道を外れ山奥に兼続を誘導する。

どこに行くつもりじゃ。遠回りになるじゃろ。

「今回の任務は一刻を争うと聞いておりまする。それゆえ武田の使い番に化けて関所を突破するつもりでございまする」

豪胆すぎるじゃろ。

「着きました」

波里が山奥のひなびた農家の納屋に兼続を案内する。そこには武田の具足と旗指物があり、二頭の馬がいた。

「これらは潜入させておる眠り草という種類の細作が手配したものでございまする」

「眠り草?なんじゃ」

「潜入しただけで十年でも二十年でも諜報活動など一切しない細作のことでございまする」

「そんなに」

「こたびは特別任務ということで起こしました。先を急ぎまする。お早く御準備を」

波里は旅衣裳を脱ぎ捨てて、全裸になり手早く具足をつけ始めた。大きくて白い乳房がいやでも目に入る。これが、それがしの背中を押しておったのか。いやいや、そんなこと考えておる場合か。兼続も着替え始めた。


「われらは海津城城主高坂弾正様より書状をお預かりし、御館様にお届けするように申しつかったものでござる。先を急いでおるのじゃが」

「お役目、ご苦労様でございまする」

「すまぬが馬を替えたいのじゃが」

「すぐに連れてまいります」


飯田に来る頃には兼続の演技も上手くなっていた。


「与六様、馬を止めてくだされ」

うん、どうするのじゃ。

振り返ると波里は道端の松の木をするすると登り、松ぼっくりを取っている。

何をしておるのじゃ。

枝の上から飛び降りた波里が松ぼっくりを割りながら走ってくる。

「細作の報告でございまする」

なに。


 五月十三日 信長公 岐阜城を出陣 織田勢の全容は不明


「われらのために情報を置いてくれたようです」

今日は二一日じゃ。急がねば戦が始まる。

「そろそろ馬を捨てねばなりますまい。戦場が近こうございまする。民草に化けないといろいろ面倒なことになりませぬか」

気持は逸るが、それもそのとおりじゃな。


伊那路に入る。南信は緑が濃いように思うな。

「それがしのご先祖は木曽に住んでおったのじゃ」

夫婦の設定で並んで歩いているので自然といろんなことを話すようになっていた。

「それがしのご先祖様は木曽義仲様の家来樋口兼光と申すものなのじゃ」

「平家物語に出て来るお方でございまするね。巴御前の父上とか兄上じゃと言われておる。義仲様と今井兼平様が討ち死にした後、涙を流して死に場所を求めて都に上る場面は、よく覚えておりまする」

「よく知っておるのう」

「琵琶法師は細作が化けやすい職業でございまする。盲目ということで警戒されませぬし。それに細作は体力・技術だけでなく、知力も必要な仕事でございまする。軍記物は知識と教訓の宝庫でございまするゆえ、よく読んでおりまする」

なんと。

「そなたには、よい師がおるようじゃな」

波里は笑うだけで答えない。にっこり笑う、その横顔のかわいらしいこと。

「そなたは、何故細作になったのじゃ」

「なったのではございませぬ。細作の家に生まれたのでございまする」

ふうむ。

「そなたは幾つじゃ」

「十五でございまする」

この若さで任務を任されておるのじゃから相当にできる細作なのじゃろうな。


 伊那路は日が暮れるのも早い。正午を過ぎて間がないのに日が陰っている。

ご先祖様たちは偉かったのう。こんな貧しい山峡から都に上り天下にその名を轟かしたのじゃから。惜しむらくは戦は滅法強かったが、義仲様を初め、みな政治というものがわかっていなかったな。石橋山の挙兵以外、戦らしい戦をせずに幕府を開いた頼朝公とは対照的じゃ。


「与六様」

突然、波里が袖を引っ張り、道を外れ木々のなかを登っていく。

どこに行くのじゃ。

波里は兼続の口に指をあて、街道の南を指さした。

どっどっどっ、という地響きのような音を響かせながら、武田勢が走り込んでくる。

おかしい。なにか、おかしい。

 よく見ると、通り過ぎた道には旗指物や鎧兜が散乱している。槍も落ちている。

どう考えても、算を乱して敗走しておるようにしか見えぬのじゃが。

武田は敗れたのじゃろうか。

「穴山信君の軍勢でござりまする」

旗指物は確かにそうじゃが。

「しかし手負いの者はおらぬようじゃが」

「また、別の部隊が近づいておりまする」

どういうことじゃ。

「もっと情報が欲しい。戦場に近づくぞ」

木々を抜けて道なき道を南下する。

「ここはなんというところじゃ」

「鳳来寺あたりかと」

やっと、街道が見える場所に出ることができた。

「うわぁ。なんじゃ。これは」


 そこは道といわず川といわず、夥しい死体が転がっていた。

なんということじゃ。なにが起きたのじゃ。

「そこの川は寒狭川と申しまする」

死体でいっぱいじゃ。

渡り切れずに力尽きて亡くなったのじゃろうか。

いったい何が起きたのじゃ。

「徳川勢が追撃しております」

徳川の騎馬武者が、足を引きずりながら退却する武田の兵の背後から太刀を一閃させて首を飛ばした。ほれぼれするような太刀さばきじゃが感心はせぬな。卑怯じゃ。


「そなた水を持っておろう」

波里が行き倒れになっている武田の若武者を抱きかかえ口移しで水を飲ませる。

気を失っていた若武者、目を開く。

「何があったのじゃ」

「鉄砲にやられた」

「鉄砲?鉄砲にやられたのか」

「織田の鉄砲は無尽蔵で、嵐のような銃撃を受けた。わしも被弾しておる」

見ると腹が真っ赤に染まっている。これは助からんな。

「そなた、言い残す言葉はないか。大事なお人に残す言葉があれば伝えるが」

すると若武者はにっこり笑って

「仇を取ってくれというてくれ。それがしは」

と言いかけて、こと切れてしまった。

「おい、目を覚ますのじゃ」

「亡くなっておられます」

残念じゃな。

「これ以上、この場所にとどまるのは危険でございまする」

「なぜじゃ」

「武田の兵が付近一帯に潜んでおりまする。追撃してくる織田・徳川勢に一矢報いんとしておるようでございまする」

「なぜ、それがわかる」

「全山、殺気に満ちておりまする」

もう少し、武田領内に戻って情報を集めた方が良いかもしれぬな。


「与六様、動いてはなりませぬ。その茂みに隠れてくだされ」

山中を移動中に波里のささやき声。

すると四、五十人ばかりの武田の兵が兼続たちのそばに集まってきた。

「待機」

物頭らしい男がいう。

どうなるのじゃ。

「(与六様。こちらへ)」

波里が手招きする。

匍匐して波里のところにいくと、すでに穴を掘っていた。

「入りなされ」

しゃがんだ兼続に覆いかぶさるように波里が体を重ねてきた。

「これから口を開いてはなりませぬ。寝てもなりませぬ。呼吸をうちに合わせて」

波里の体の暖かさを感じながら耳を澄ましていると

「曽根殿よりお達しがあった。徳川家康、本陣を鳳来寺麓まで進めておるとのこと。夜になれば諸隊、打って出る。家康の首を取り、こたび亡くなられた方々の墓前に供えるのじゃ。明朝には高坂弾正殿が兵八千を率いて飯田に到着される。戦はこれからじゃ。しょぼくれておると、許さんぞ」

 なんと武田はまだやる気じゃ。

曽根とは昌世とか申す、真田昌幸と併せて信玄の両眼であるといわれたお人じゃな。

高坂弾正が来たとなると北信はがら空きじゃ。

今こそ武田を滅ぼす願ってもない好機じゃ。


 しかし御実城様は決して攻め込まぬじゃろうな。弓矢に傷がつくとか申されて。

いや、むしろ武田と協力して織田を討たねばならぬとお考えになるやも知れぬ。

将軍も織田討伐をお望みじゃろうから。

いやいや、こたびの武田の壊滅的大敗北。

天下の行く末も変わっただろうし、上杉の外交方針にも大転換をもたらすやも知れぬな。

「ふえ」

兼続、急に鼻がムズムズしてきた。

「はっ。はっ、は」

くしゃみが出そうになった兼続の鼻をつまんだ波里、今度は唇を重ねてきた。

びっくりした兼続、くしゃみもとまる。

思わず波里の顔を見上げると波里の耳も赤くなっていた。

落ち着いているようで、まだ十五歳じゃ。


「与六様、眠れませぬか」

武田の兵はいなくなっていた。

「家康公は日没前に長篠城に退いたようでございまする。それゆえ、ここにおった者共も敗残兵の収容のために山を降りました」

細作の聴覚には超人的なものがあるようじゃな。

兼続が全然聞き取れてない風に乗った声を拾ったようだ。

「暗闇のなか、移動するのは危険でございまする。このまま朝を待ちましょうぞ」

「与六様、寝てくだされ」

「いや体は疲れ切っておるのじゃが、頭がさえて眠れないのじゃ。今日見た情報が多すぎる」

「よく寝て疲れをとることも大切でございまする」


 波里の手が兼続の股間にのびてきた。ゆっくりと兼続の陰茎をもみほぐす。ゆっくりゆっくりと。もうひとつの手は下着を解いていく。落ち着くわ。すると波里が立ち上がり、あたりを見回しながら全裸になる。月明かりが白い肌に映る。波里は、体の向きを変え丸く大きなお尻を兼続の顔に押しつける「与六様が声を出せないようにするため」独り言のように言い訳して、体を折って兼続の陰茎を咥えこむ。舌が陰茎を包み込む。細作は色仕掛けの修行もするのじゃろうか、ちらっと思うが、気持ち良すぎるわ。すぐに暴発してしまった。「もう一回」今度は体を正対させ唇を重ねる「与六様、うちの乳房凝視してましたよね。吸って」うん。また大きくなった陰茎に腰を沈める波里。気持ちいいな。なんか緊張がほどけたような気がする…


「与六様起きてくだされ」


 いつの間にか眠り込んでいた兼続。ぐっすり寝た後の爽快な目覚めだが、かすかに漂ってくる死臭で、ここが戦場だったことを思いだす。

「われらも撤退する。それで波里、そなたに頼みがある。御中城様に武田勢壊滅的大敗北と報告してもらいたいのじゃ。それがしはもう少し情報を収集してから、戻る」

「情報なら、すでに他の細作が入れておると思いまするが。それに、おそばを離れてはならぬ。命に代えてもお守りせよと言いつかっておりまする」

「そうか。ならば約束してもらいたいのじゃ。それがしが、どのような目に遇おうとも決して手出し無用じゃ。これだけは守ってくれぬか」

「でも」

「主命である」

「御意」


「高坂弾正の軍勢、到着したみたいだな」

先発の騎馬隊だけみたいじゃが。

飯田まで戻ってきた兼続と波里。

「待たれよ」

街道を歩く二人は、いつの間にか数十名の武士に包囲されていた。

槍ぶすまをつくり、じりじりと距離を詰めて来る。

「かかれっ」














































 

 



























 

 






























それに岡崎城におる信康公の母築山殿は今川の出じゃ。織田の家来
































 

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