第8話 虎太郎Side③ 二人

★★★虎太郎Side★★★


 数日が経った。

 ここ最近いろいろありすぎて、俺としてはもっと時間が過ぎたような感覚なのだが。


「……それじゃあ打ち合わせをはじめようか」


「よ、よろしくお願いしますっ」


 放課後の空き教室にて、俺は凛と文化祭の件で待ち合わせをしていた。

 告白された相手と二人きりという状況には、否応なしに緊張してしまうところではあるが……。


「と、とりあえず、曲目を決めるところからだよな」


「そ、そうだねっ。あくまでプログラムの余興だから好きな曲を演奏するだけでもいいって言われてるけど……そうもいかないよね……」


 少しぎこちないながらも、机を向かい合わせにして話し合いを進めていくことにする。

 うちの高校の文化祭はかなり大規模なので、ちょっとしたお祭りとして地元の人や受験生なんかも遊びに来ることが多い。

 文化祭を体験してうちに進学を決めた人もいるくらいだ。つまり在校生の立場からしてみれば、未来の後輩を確保するためのアピールの場でもあるということ。

 プレッシャーで荷が重いよ。

 まして昨年は規模が縮小されたらしく、イベントは全部キャンセルになったと聞いている。

 個人的には無難な選曲でまとめたほうが凛の負担も小さいのではと思うところだが、去年のぶんも爆発させてほしいと懇願されていることもある。期待はされているだろうな。


「そうだなあ。それでもまず凛が弾けるかどうかが一番大事じゃないか? 練習時間もそんなに取れないだろうし」


「楽譜あればだいたいの曲は大丈夫だと思うよ。事前に何回か練習したほうがいいとは思うけど」


「流石は天才ピアニスト……」


「難しい曲はできないけどねっ」


 凛は恥ずかしそうに謙遜する。

 実際彼女は大きなコンクールで賞を取るくらいすごい人なのだが、いい意味で凄みを感じない。ま、もう少し自信を持ってもいいとは思うけど。


「何はともあれ、ひとまず先人の知恵を借りるべきだろうな。ここ数年の文化祭のしおりもらってきた」


「ありがとう! ……そういえば虎太郎くんは去年の文化祭、行った?」


「……いや、行かなかったな」


「そっか」


 会話終了。

 せっかく凛が気を利かせて話題を振ってくれたというのに、俺のコミュニケーション能力が低すぎる。


「「……」」


 凛の顔が直視できなくて、しおりに目を落とす。向こうも同じことをしたと気配で分かった。

 こういうところは似た者同士だと思う。

 むしろ幼馴染の中であやかだけが異質なのだ。陰キャだの陽キャだの考えないで誰とでも友達になれる幼稚園児時代はおそろしい。


「や、やっぱりみんな知ってそうな曲をセレクトしたほうが喜ばれるのかなっ」


「そ、そうだな」


 だからコミュ力よ。


「クラシックでもショパンとかモーツァルトの有名どころならわたしもすぐ弾けるし」


「お、それいいかもな」


 凛が軽く口ずさんだメロディは、俺でもよく知っている曲だった。


「学校の下校時間とか、どっかのCMとかで使われてる曲だね」


「ふむ」


 来場者は音楽に詳しくない一般客。

 特に耳が肥えてるわけでもないし、耳馴染みのあるアップテンポで盛り上がる曲なら十分満足するだろう。


「……あるいは当日の気分で即興で弾くとか?」


「当日は緊張で頭真っ白になってるからダメ」


 想像しただけでも恐ろしいと目をバッテンにして嫌がる凛。


「それに、虎太郎くんと一緒に練習できなくなっちゃう」


「……」


「……ね、ダメでしょ?」


「そう、だな」


 ダメなのは上目遣いで恥ずかしいこと言い出して俺の脳を破壊してくるお前だと言いたい。雑談からクリティカルへの緩急がすごすぎる。


「だから……どっちかというと虎太郎くんの知ってる曲がいいんじゃないかな」


 それは本末転倒じゃないか、なんて言えなかった。


「な、なるほど」


「参考までに、虎太郎くんはどういうジャンルの音楽が好き? 虎太郎くんが最近聞いてる音楽も知りたいな。どうせならいつもと違うジャンルの曲を練習するのも楽しいと思うし、わたしは合わせられるから」


「俺の好きな音楽か……」


 こくこくと凛は頷いた。

 自分の引き出しにはないアイデアを期待するような目。


 ……アニソンしか聞いてないですとは言いにくかった。

 だってかわいい女の子に「うわあ。虎太郎くんってけっこうオタクなんだね(笑)」とか引かれたらちょっと立ち直れない可能性がある。いや凛はそんなことで引くような子ではないけどね。


「……まあ、強いて言えばクラシック……かな」


 俺は仮面をかぶることにした。

 なお俺は普段から趣味を隠しているので、陰キャだけどオタク友達もいないという隠れオタク特有の二重苦を背負っている。


「えっ、そうなんだっ! わたしと一緒だねっ!」


 そしてどうやら俺は正解の選択肢を引いたようで、凛は彼女に似合わない速さで俺の手を取って無邪気に喜んでいた。

 ……少しばかり心が痛むのは内緒だ。


「り、凛はどの曲が一番好きなんだ?」


「クラシックは全般的に好きだけどねー、一番好きなのはショパンの幻想即興曲かなあ。子供のときにはじめて行ったコンサートで聞いて感動したんだ。わたしが音楽を好きになったきっかけなの」


 きらきらと目を輝かせて熱く語る凛。

 幻想即興曲はショパンの死後に友人の手によって出版されたもので、クラシックの中でも特に人気の高い名曲だ。


「虎太郎くんは?」


「……俺はベートーヴェンの月光が一番好きかな」 


 凛は「うんうん。月光も名曲だよね!」と同意する。

 嘘はついていない。俺の知る数少ないクラシック音楽の中では一番好きだから。そういえばこの曲はショパンの幻想即興曲と構成が似ていると言われていたりもする。

 どちらも難易度が高いと言われる曲だけに普通の女子高生がこの二曲を演奏するのは相当難しいが、凛の実力なら問題なく演奏可能だろう。


「でも、流石に文化祭で弾くのはちょっと微妙……かな?」


「まあ喜ばれるのは有名な邦楽あたりだろうな。あるいはア、アニソンも悪くはないか。俺はあまり詳しくないが」


「そうなの? 虎太郎くんはアニソンしか興味ないって聞いたけど」


「ひょ?」


「前にあやかが言ってた」


 俺の知らないところで俺の株を暴落させているやつがいた。

 なにしてくれてんだあいつ。


「ま、まあ昔ちょっとハマってた時期もあったってだけだ。今はそんなにだから」


「ふーん」


「アニソンって言ってもコアなやつじゃなくて国民的アニメの主題歌とかそういうつもりでだな」


「うんうん」


 ニマニマと生暖かい目を向けられる。これは中途半端に擬態したせいで隠そうとしたことまでバレて一層ダサいやつだ。

 やはりその場しのぎで浅い隠し事なんてするもんじゃないな。


「ふん。そういえば凛のクラスは模擬店なにやるんだっけ?」


「す、すごく不自然に話が変わったね」


「話を変えたかったんだ」


 隠さず堂々と答えたら苦笑いされた。


「そ、そっか。えっとねー、うちのクラスはメイド喫茶だよ」


「飲食系か。うちもそうだけど準備大変そうだよな」


「みたいだね。でも衣装考えたりするのも楽しそうだなーって思うよ。いかにも高校の文化祭って感じするし」


 少し羨ましそうな凛。

 文化祭実行委員はクラスの戦力にカウントされていないので、教室では仲間はずれになってしまう。

 クラスでほんの少しだけ浮いている俺はともかく、凛は友達に混ざって普通の高校生活を送りたかったのかもしれない。


「……凛が接客してくれたら行列間違いなしだったのにな」


 胸元が開いたメイド服を身にまとった凛がオムライスを運んできて、ケチャップでハートマークをつけてくれるイメージを頭に浮かべる。

 これだけで売り上げ一位は確実と言っていいだろう。


「……虎太郎くんが来てくれるなら、そのときだけメイドさんになろうかな。えへへ」


「お、おう」


 そっと添えられた手から熱が伝わってくる。

 ここまで包み隠さず好意を向けられているというのに、かろうじて相槌を打つのが精いっぱいだ。


「学校行事くらいたまにはピアノ以外のことやりたかったなー、なんてね」


「……凛がやりたくないなら断ってもいいんだからな?」


「ううん。イベントの花形をやらせてもらうのに、贅沢言っちゃよくないよ。わたしも今まで迷惑かけちゃってるのに」


「……」


 凛は珍しくおどけた仕草で肩をすくめ、俺の提案を否定した。


「それに、ピアノの演奏ならクラスが違う虎太郎くんと一緒になれるし……そのほうがずっと……うう、なんかわたし下心ばっかりでごめんなさい」


「い、いや別に」


 ささやかな幸せを宝物のように語る凛がどこまでも健気でいじらしく、白馬の王子様を待つヒロインに見えた。


「虎太郎くん……」


「凛……」


 お互い正面に向き合って、特に意味もなく名前を呼び合う。

 放課後、空き教室、お年頃の男女が二人きり。

 そんなことを意識した途端、身体は妙な熱を帯びてくる。今日の天気予報では肌寒い一日になるでしょうと言っていたのに。

 気づくと凛はシャツの第二ボタンまで開けていた。広がった胸元からむわっとした体熱が蒸気になって、教室に充満していく。

 それにスカートも心なしかいつもより短く織り上げられていて、隙間から見える健康的な肌色に視線が吸い寄せられる。

 完全に二人の世界だった。


 ――キーンコーンカーンコーン。


「「あっ」」


 が、そのときちょうどタイミングよく下校のチャイムが鳴りだした。

 それと同時に俺たちの間にあった怪しげな雰囲気も、まるで魔法が解けたように霧散していった。


「じ、じゃあその、帰らないと……な」


「う、うん」


 微妙にぎこちない笑顔で頷く凛。


(……やらかしかけた)


 反省する。

 だけど謝ったり余計なことを言うのも変だ。ただ見つめ合ってお互いの名前を呼んだだけ。やらかしてはいない。まだ。

 心ここにあらずでぼーっとしたまま動かない凛の代わりに、彼女のバッグを背負って教室のドアを開ける。


「凛?」


 そのまま教室を出ようとしたところで、弱い力で制服のすそを引っ張られる。

 振り返ると、凛が潤んだ目でこちらを見上げていた。


「こっ、虎太郎くん。まだ、もうちょっと打ち合わせしたい……」


「……打ち合わせ、か」


 ぼーっとした頭で復唱する。

 妙に卑猥に聞こえるのは、きっと俺の頭がバグっているせいだろう。


「本番まで時間あるわけじゃないし……早く曲決めて練習しないと」


「お前練習いらないんじゃ」


「虎太郎くんの練習だよ。虎太郎くんがやりたくないなら……いいけど」


「……」


 そう言われてしまうと頭をかくしかない。

 俺が凛の足を引っ張るわけにはいかないからだ。

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