異世界ブレス

らんまる

異世界ブレス

「10周年みたいだよっ」


そういえばと人差し指を立てながら、エーテルは空を閉じ込めたような瞳を輝かせた。


「なんの話ですそれは」


向かいに座っていたトライデントが手元の本から視線を上げる。

エールを飲んでいたわたしは、手入れの終わった双銃をラウンドテーブルの上に置いて聴く姿勢を整えた。

エーテルは左手で丸を作ると立てた人差し指に近づける。


「だからぁ、ほら見て、10。10周年なんだってば。ところで───」少し身を乗り出しながら、「トライちゃん、何をそんなに真剣に読んでるの」小首を傾げた。


ピンクの薔薇の髪飾りがついたエーテルのツインテールが揺れる。

読んでいた本に栞を挟み、トライデントは黒いアンダーリムのメガネを指でくいっと押し上げ、


「キミも興味あるんですか、この『世界の珍味百選』に」


真顔で本を掲げて見せた。表紙にはよくわからない触手やら、なにか口にするのもはばかられるようなグロテスクな何かを混ぜた炒め物らしきものが描かれていた。写真じゃないところにまだ救いがある。


「ひゃあっ」


エーテルが少し仰け反る。顔が少し引き攣っていた。

気持ちはわかる。


「興味があるなら今度作りますよ」

「えっ、それを!?」

「いや、これはよくある珍味ですが、他にもいろいろあります。例えばサンダープルンのビリビリサラダとか、デザートには暗黒ゼリーなんかも。これはくらやみまどうの3つの目玉を───」


それ以上聞いてなるものか、という勢いでエーテルは首を激しく左右に振った。両手で大きなバツ印を作っている。うん、気持ちは痛いほどわかる。今後、彼の趣味を深掘りするのはやめたほうが良いだろう。


「そうですか、それは非常に残念ですね」


たいして残念そうな表情を見せずにまた本を開けようとしたので、エーテルが先ほどの話題を珍味の世界からサルベージしてきた。


「だからぁ、おめでたいでしょ」

「確かに、10周年というのはおめでたいね」


トライデントの隣で苦笑しながらワインを飲んでいたアルカディアが頷く。相変わらず美しいロングヘアーは今日は後ろで束ねられていた。ここに来る前、エーテルに無理やりピンクの薔薇がついた髪留めでまとめられていたのだ。わたしも含め、なぜか全員がエーテルから渡されたピンクの薔薇のコサージュやら髪留めやらを身につけている。プレゼントしたい気分だったのかもしれない。


「ところで、いったい何が10周年なのかな」


おおっ、とエーテルは嬉しそうに頬を緩めた。


「さすがいいんちょ、話が早くて助かりますのだよ」

「のだよ?いや、何度も言っているがエーテル、委員長だったのも生徒会長だったのも昔の話で───」

「何言ってるの、いいんちょは委員長なんだよ、未来永劫」


未来永劫!

これは永続タイプの呪いと見た。

おもむろに立ち上がるエーテル。彼女は急に目を細めると、斜に構えながら人差し指を突き出し、アルカディアの声色を真似て言い放った。


「『キミ、そのふざけた格好はなに?よほどわたしに粛清されたいようだね』」


どうやらアルカディアがまだ学生だった頃のモノマネをしているようだ。そういえば、元は風紀委員でやがて生徒会長になったと聞いた事がある。なるほどそんな感じだったのね、密かにイメージの軌道修正をするわたし。スタート地点からの1ミリのズレがゴールでは思いもよらない誤差を生むことになるから注意が必要だ。何に注意するのかはよくわからないけれど。


自分のモノマネがツボだったのか、それとも単なる笑い上戸なのか、エーテルはお腹を抱えて笑いだした。

アルカディアは若干目を細めたものの、やれやれと言いながら、


「キミ、酔っ払ったのか。まだエール1杯目だろう」

「そうね、正確には───」


すると横からインフィニティがエーテルの銀色のグラスを覗き込んだ。


「1杯目の半分ね、まだ」


ふふっと優しく笑ったインフィニティは、「愚かね」と楽しそうに言いつつ、まだ笑っているエーテルを椅子に腰掛けさせた。


インフィニティのホワイトラベンダーのツインテールからは、ふわりとフローラルの香りがする。普段から冷静沈着、なおかつ優しい雰囲気を醸し出しているインフィニティだが、カジュアルドレスに身を包んだ彼女はさらに拍車がかかってお嬢様然としていて、ピンクの薔薇の髪飾りもそこにあるのが当然のごとく似合っていた。

何かここだけ異世界のような気がする。酒場で銃の手入れをしていたわたしとは雲泥の差がある。

何のシャンプー使ってるかあとで聞いておこう。


エーテルを見やると、ようやく落ち着いたのか残ったエールに手を伸ばすところだった。あ、これはそろそろまずいなと思っていると、周りの皆が止めるのも聞かずにぐびっと一気に呷り、


「酔っ払って当然なんらよ、もう二次会なんらかりゃ」


と何故かドヤ顔で鼻息を荒くし始める始末。案の定、この短時間でもうすでに呂律が回ってない。酔いチャージ2倍おそるべし。

エーテルのそんな姿を見てうんうん、と一同は神妙な顔で頷いているが、心の中ではみんなこう思っていたことだろう。

1次会ではただひたすら食べまくってただけだけどね!飲んでたのお茶だけどね!


明日の朝には村を出て、わたしたちは新しい冒険へと旅立つことになる。2チームに別れての大規模クエストだ。強敵ゲヘナと、そして倒したはずのあの火焔の王───プロミネンス。突如として出現したヘルタワーに、地獄の針を召喚する彼が復活したのだと言う。こちらはまだ未確認情報のため、まずはもろもろの情報収集が目的だ。


ゲヘナ討伐チームのメンバーはわたしを含めて5人。頼れるイケメンお兄さん、アルカディアと、たった今ゲテモノ料理家と判明したイケメンメガネのトライデント、隣のテーブルでにこやかにアルコール度数の高いお酒を飲んでいる、癒し系の癒しの女神、通称ガブちゃんことガブリエル。彼女、浴衣を着たらさらにめちゃくちゃ可愛いの最上級だから夏は要チェックですよ皆さん。そしてわたしたちパーティーのエース、エーテル───はテーブルに突っ伏してすやすやと寝息をたてていた。やっぱりダメだったか。エール1杯目の酔い方じゃないのよ。もはやエーテルじゃなく寝ーテルなのよ。


「ところで、今回リヴァさんはどうするんですか?」


隣のテーブルで何やら宝石を眺めている龍喚士に、その向かい側で、スパークリンググレープジュースを飲んでいた最年少のステラが訊く。いつもは梅酒を飲んでいるのに今日は珍しくノンアルコールだ。

彼女はエーテルにも負けない素質を秘めた若き天才。パーティーに加入してまだそれほど経たないが、今回のプロミネンスヘル偵察チームのリーダーだ。エーテルがお姉さんぶっていろいろ教えているものの、そのたびにミスをしまくり、結局ステラがフォローする側になっていたりする。しっかり者で責任感が強く頼れる次世代のエースと言えるだろう。弱点は甘いものに目がないこと。それで1度、敵───お菓子の森のスイートアメリアの罠にひっかかったことがある。本人は顔を真っ赤にして否定していたけれど。可愛い。


リヴァイアサンは指輪の宝石をうっとりとした表情で眺めながら、興味無さそうに答えた。


「宝石こそがわたしのすべて……、わたしの世界よ。そのプロフェッサーなんちゃらには微塵もミジンコほども興味はありません」


なにその謎の教授。

すかさずトライデントがメガネをクイッと押し上げる。


「いや、プロフェッサーではなくプロミスでしょう」

「プロミネンスだよ。何を約束するんだい」

「ふむ」


トライデントの間違いをきっちり訂正するアルカディア。

しかし、困った。リヴァイアサンはいつも気まぐれで宝石にしか興味を示さないのでなかなかクエストに参加してくれないのだ。ただ彼女、召喚士でドラゴンを召喚できます。強いです。その戦力を考えると、万が一に備えて偵察チームには参加してもらいたいのが本音。やはりここは───ステラに視線を送る。すると彼女は最初からそのつもりだったようで、小さく頷くと、さも今思いついたような素振りで誰にともなく、だが僅かばかり大きな声量で言った。ただし棒読み。大丈夫なのそれ?


「そうだ、そういえばヘルタワーに何か大きくて綺麗に輝いてるっぽい宝石めいた何かがあるって───」

「共に行きましょう」


大丈夫だった!


「なぜ行くのかと問われたならば、それはそこに宝石が待っているから、とわたしは答えるでしょう。まあ、そのついでにプロデューサーなんちゃらとか言う蛮族に鉄槌を下すのも良いかもしれないわね。わたしの宝石たちを独り占めしてほくそ笑んでるなんて愚行の極み」


ステラは宝石があるとは言ってないのだけれど、まあいいか。実際のところ宝石のような鎧を纏ったジェネラルという敵は存在するし、嘘は言ってない、かもしれない。

ステラはわたしをチラリと見ると、得意満面に可愛らしいウインクを飛ばしてきた。よくあの棒読みが通用すると思ったね。

リヴァイアサンはと言うと、視線を斜めに向けどこかの虚空に向かって陶酔するような眼差しになっていた。


「ああ……まだ見ぬわたしの宝石たち、わたしがそこに行くまで大人しく待っていて。必ずや蛮族の手から救ってみせましょう」


うん、頑張って。

とりあえずリヴァイアサンはもう放っておこう。


偵察チームも5人。ステラ、インフィニティ、リヴァイアサン、そして4人目が、隣のテーブルでガブリエルと楽しそうにお酒を飲んでいる彼女───パーティーの頼れる母性、優しさの中に厳しさあり、慈愛に満ちているけれど、このメンバーの中で決して、絶対に怒らせてはいけない女性。ホワイトブロンドの髪が美しい、みんな大好き彼女の名はジャッジメント。

その審判に逆らえる者なし。

ほんと怒らせたらダメ、皆も気をつけて。


最後の1人は、ジャッジメントの隣で静かにホットミルクを飲んでいる1番新しい仲間のカゲツだ。普段はあまり感情を表には出さず、物静かに喋るタイプで、常に周囲に浮遊する謎の狼の仮面を従えている。満月の光を浴びた仮面の力を借りることで半獣人化することができ、その性格さえも変貌させてしまう。どうやら月と仮面のパワーは内面にも影響を与えるらしい。


これで10人。

そう、”10”だ。

特別な数字───

わたしは残りのエールを飲み干すと”窓の外”を見やった。酒場の喧騒とは真逆に、”外の世界”は静かに穏やかだ、今はまだ。来たるべき”その時”に備えているのかもしれない。

良く考えてみると、ゲヘナはわたしたちが挑む”10”番目のタワーではないか。

そして、”10”人目のパーティーメンバーは”獣”人であり、今わたしが持っている武器は……双”銃”に他ならない。ステラが飲んでいたのは?そう、いつもは飲まないスパークリンググレープ”ジュ ー”スだ。

どこもかしこも”じゅう”が溢れかえっている。そもそも、わたしたちが飲んでいたのはエール(応援)ではないか。

つまりはそういうことなのだ。”世界”がわたしたちに告げている。教えてくれようとしている。だが今はまだ、気づいているのはわたしとエーテルだけということなのだろう。

そう、彼女はもちろん気づいているし、うっすらと見えているのかもしれない。10周年という言葉を口にしていたし、何よりエーテルが皆に渡していたピンクの薔薇、その花言葉は『祝福』なのだから───


ジャッジメントのそろそろお開きにしましょうかという声が聴こえてくる。

その言葉で皆が帰り支度を始めた。気持ちよさそうに眠っていた寝ーテル、いやエーテルは、インフィニティとステラが寄り添うようにして連れ出し、起きテルになった。


会計を済ませて外に出る。

風が心地よい。いい酔い醒ましになりそうだ。

あまたの星が瞬く夜空には優しい光を降らす満月。

木々の揺らめきの奥にライトアップされたモアイが浮かび上がっている。それに向かって何やら叫んでいるカゲツが見えた。満月のせいで半獣人化していた。

近くのベンチにはステラとガブリエル。空を見上げながら何か喋っている。

すっかり良いが醒めたのか、エーテルはなぜか体操を始めていた。元気だなぁ。微笑ましくそれを見守るインフィニティとジャッジメントの眼差しは、まるで姉と母親のそれ。

もちろん、リヴァイアサンが宝石を天にかざしてうっとりしていたことは言うまでもない。

ある意味不思議な踊りにも思えるエーテルの体操が、両手を波のようにうねうねさせる動きに差し掛かった時、トライデントが思い出したように言った。


「ところで、トライちゃんと呼ぶのはやめて欲しいのですが」


謎めいた動きを続けたまま、エーテルがトライちゃんはトライちゃんだよと答えると、


「原因は不明ですが、さきほどキミにそう呼ばれてから何故か家庭教師のビジョンが脳裏に浮かんできていましてね」


なにそれと笑うエーテル。トライデントも困惑しているようでメガネを上げながらしきりに首を傾げていた。


「ところで10周年というのはもしかして……」

「あぁ、トライちゃん、それはね───」


ふむ、トライちゃん……トライ……家庭教師……。

家庭教師のトライ!

わたしは声を上げて笑いそうになった。

向こうの世界で春から夏にかけてのこの時期だけ、”2つの世界”は重なり合うくらいに近づいてしまうのだ。そして、何かのきっかけがあれば、それの影響が心にも体にも現れてしまう。

つまり、トライデントにもようやく見え始めたという事だろう。


「何か考えごとかな」

「ひゃっ」


驚いて振り向くとすぐそこにイケメンの顔があった。


「アルカディア、驚かせないでよ」


ほんの一瞬、体温が上がったような気がしたが、きっと、そう、気のせい。


「それは失礼。今日は綺麗な満月だね」

「ええ、とても」


つられて見上げた満月は、1人で見るよりも余計に輝いて見える気がした。


「この月はどちらの月なんだろうね」


え?

アルカディアは微笑みながらわたしを見る。


「つまりこの月は、わたしたちの世界のものか。それとも───」


あぁ、そうか、アルカディア、あなたも気づいたのね。


「いつから?」

「エーテルにこの髪留めをつけられてから少しづつ」


なるほど、じゃあトライデントが気づいたのもあのピンクの薔薇が……。物に宿る言葉の───想いの力は、殊の外大きかったということなのかもしれない。


「気づかない人はずっと気づかないみたい」

「そのようだね」


気づいてしまった、かなりの至近距離で見つめあっていることに。

その途端、急に恥ずかしさが込み上げてきて視線を僅かに下に向ける。くっ、このイケメンめ!昔は粛清とか言ってたくせに!


「わたしたちのパーティーは、もう家族みたいなもの……だと思うんだけど、ずっと一緒にいるし。どう思う?」


少し間が空く。それが不安で下げていた視線を元に戻すと、アルカディアはほんのちょっぴり驚いたような表情をしていた。


「それに関しては個々の意見だから一概には言えないけれど、少なくとも帰るべき場所のひとつではあると思う」

「アルカディアは……あなたはどう思うの?」


知らず知らず力が入り、いつの間にか手を握りしめていた。

彼は数秒の間、視線を満月の方に彷徨わせたあと、


「わたし個人でいえば、もうそういう区分は超越したところにいる、と言えるかな。今の仲間たちがいることが当たり前になっているからね」


ほっとしている自分に少し驚く。


「わたしもそう、仲間の皆がいるのが当たり前になってる。厳密には家族とは違うのかもしれないけれど、わたしは家族みたいだなって思ってる。だから、これがずっと続いたら良いのに、って思ったりもする」


アルカディアは何か言いかけたが、結局何も言わずにわたしの言葉を待ってくれた。


「もちろん、皆の人生だし、これは単なるわたしの考えでわがままで自分勝手な妄想なのはわかってる。それでも、少しでも長く続いて欲しいと思うし、皆と一緒にいたいって願ってしまう」


独りよがりの願いは呪いにもなりうる、しかしそれはまた、希望という新たな星を生み出す側面も持ち合わせているのだ。

アルカディアは、そんな想いをも軽く請け負ってみせた。


「それが勇者さまの願いならば」


そして僅かに口元を緩め、


「永遠というものはこの世に存在しないのかもしれない。しかし、それを信じることは素敵なことなのでは?」


そう、永遠なんてない。それはわかっている。誰だってわかっているんだ。だからこそ、今を、そして少し先の未来を大切にできる。

それはもちろん、この世界のことだけに限らない。


「長く続くって……長く続けるってとても大変なことだよ」

「ええ」

「わたしたちはさ、ずっと応援してもらってたんだよね」

「ええ」

「長い間、長い長い間───」


そうなんだ、こちらの世界と時間の流れ方は違うのかもしれないけど、向こうでは10年もの間、応援してくれていた。その心のパワーは、その想いの力は、確実にわたしたちの背中を押してくれていたはず。いや、押してくれていたんだ。

なら、わたしたちが今できることは?

無論、そんなの分かりきっている。伝えることだ。応援してくれた”あちら側の皆”へ、わたしたちの想いを───

アルカディアを見ると、彼は微笑みながら頷いてくれた。


「勇者ちゃん、みんな一緒だよ!」


ふいにエーテルの声が飛んでくる。と同時に抱きついてきた。頬を赤らめたその笑顔がとても眩しい。

続くようにステラも、ガブリエルも飛んできた。

後ろから飛びついてきたカゲツがなぜか頬にキスをしてくる。

気がつけばジャッジメントとインフィニティが手を優しく握ってくれていた。

アルカディアの横ではトライデントがメガネをクイッと上げ、その隣でリヴァイアサンが───ほんの少しだけ微笑んで佇む。


全てのピンクの薔薇が一堂に会していた。

そうか、皆気づいてくれたんだね。


わたしは、いえ、わたしたちは振り返って”窓の外”を見る。

そして力いっぱい叫んだ。

”窓の外”───画面の向こう側から、こちらの世界を見ている”あなたたち”に向けて。


「いつも力を貸してくれてありがとう!」


そして───


「ポコロンダンジョンズ、10周年本当におめでとう!」


明日、わたしたちは冒険の旅に出る。

どうか、あなたたちも、あなたたちの冒険を精一杯楽しんで、恐れず、歩んでいって欲しい。


───この願いよ、星(希望)になれ。














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