第14話
空が茜色に染まるころ、俺たちはエリシアの屋敷に到着した。
そう、屋敷だ。
さすがに騎士団アカデミーと比べたらスケールでは劣るものの、住宅や商店が隣接しているのがあたりまえの王都において、広い庭付きの一戸建てとは恐れ入る。窓の数からして三階までありそうだ。
それに他の建物がどこもレンガ造りだというのに、エリシアの屋敷は木造建築のようだ。ようは建材からして高級住宅というわけである。
壁は赤く塗られており、正面入口の上部には王都の紋章である青い宝石と白い薔薇が描かれている。
「薄々気づいてはいたが、エリシアってもしかして」
「お嬢様なのぉ?」
「うーん、まぁ、そうなのかも」
エリシアは照れくさそうに笑った。
屋敷の中に入ると、さっそくメイドが出迎えた。
「お嬢様! お帰りなさったのですね!」
「みんな! お嬢様のお帰りよー!」
メイドが叫ぶと屋敷中からわらわらとメイドたちがでてきた。
種族はばらばらだ。妖精もいれば獣人もいる。背が低いのはドワーフだろうか。
メイドたちは左右に整列し、会釈をしながら「お帰りなさいませ! お嬢様!」と口を揃えた。
「あはは、みんな大げさだなぁ」
「なんだかいろんな種族がいるねぇ」
「お父さまがいたころから、他の土地から来て仕事がなくて困っている人たちを雇っているの。エルフィン、今日は友達を連れてきたわ。おもてなししてあげて」
「かしこまりました。ささ、みなさまどうぞこちらへ」
「うおっ!?」
いつのまにか俺たちの背後に執事が立っていた。殺気がなかったとはいえ、全く気付かなかった。
エルフィンと呼ばれた執事ーー耳が尖っているからたぶんエルフだーーが俺たちを案内し、エリシアは着替えてくるといって別れた。
案内されたのは、ずいぶんと豪華な部屋だった。
天井にはシャンデリアがぶら下がっており、部屋中を照らしている。
シャンデリアがなくとも部屋の奥には大きなアーチ窓が三つ並んでおり、陽光を取り込んでいるだけにあきたらず、裏庭の白い薔薇園が一望できるという特典付き。
左右の壁にはなんだかよくわからないが素敵な感じの絵画が飾られており、部屋の中央には木製のテーブルが置かれ、テーブルを挟むように黒い皮張りのソファが横たわっている。
赤い毛長の絨毯は靴の裏を優しく受け止めて、まるで雲の上を歩いているようだ。
「どうぞ、くつろいでください。間もなくメイドがお茶をお持ちします」
エルフィンはちょび髭が生えた口をにっと歪ませた。
この執事、ただの執事ではない。かなりの実力者だ。
見た目は普通の中年。白髪交じりの黒髪を後頭部で結んでおり、右目にはモノクロームをつけている。体型はやせ型だが身長が高い。
服装は白いシャツに黒いベスト。タイトなスラックスといういかにも執事といった格好だ。
一見普通の執事なのだが、歩く時にまったく重心がぶれない。その上木製の廊下を歩いているときに一切足音がしなかった。
いまは常に俺たち二人が視界に入るように部屋の角を陣取るポジショニングをしており、目が合うたびににっこりと微笑んでくる。
恐らく彼はこの屋敷の執事兼護衛なのだろう。
妙なことをすると襲われそうだと思い、俺はソファに座って大人しくしていることにした。
「へぇー、けっこうセンスいいじゃん」
ナインもエルフィンの実力に気づいているのか、彼女にしては大人しい。
部屋の中の絵画を興味深そうに眺めている。
「芸術に興味がおありですかな?」
「芸術っていうより、芸術が表現しているものに興味がある感じかな。ほら、たとえばこの絵。これって黙示録でしょ?」
ナインがとある絵を指さした。
黙示録と呼ばれたその絵は、光輝く都市の上に暗雲が立ち込めている絵だ。
「次が静寂」
その隣にあるのはひび割れた大地の絵だ。枯れた木なんかも描かれており、荒廃した雰囲気を漂わせている。
「それから再生」
さらにその隣にあるのは緑が生い茂り、様々な動物が描かれた絵だ。
「繁栄」
森の中に巨大な塔が建っており、その塔の前には何人もの祈りを捧げる人々が描かれている。
あの絵、なんだか俺がいた塔に似ている気がする。
「これって、この世界の成り立ちを描いているんでしょ? この絵を飾った人はかなり信心深い人だったぽいねぇ」
「ほほう、ナイン様は博識でございますなぁ」
「まぁね。あーし、天才ってやつだからさぁ」
得意気に胸を張るナイン。
この世界の歴史については少しだけ本で読んだことがある。
かつてこの世界は科学こそが信仰の対象だった。けれど人類は自ら作り出した科学を制御できずに文明が崩壊。
あらゆる技術は失われ、世界は荒廃した。これが俗にいう、第一世界の崩壊である。
そんな砂と塵だけになった世界を蘇らせたのが女神アストラ。第二の世界の創造主。滅んだ世界を悲しんだ彼女は涙を流し、その涙が海を作った。
彼女の息吹は生命を運び世界に緑が戻った。
彼女は自身を信仰する人々に魔力を与え、再び生命の営みが始まった。
というのが、ざっくりしたこの世界の歴史である。
そんなわけで女神アストラはこの世界では最もポピュラーな神様なのだそうだ。
実際に祈りを捧げたり瞑想すると魔力は増大する。だから神は実在する、とこの世界では言い伝えられている。
「その絵を飾ったのは、いまは亡き当主様でございます」
「当主様って、エリシアのお父さん?」
黙って聞いているつもりが、つい反応してしまった。
エリシアの父親は俺の親父に殺された。
どんな人だったのか気になってしまったのだ。
「さようでございます。リーデルハイド様はとても信心深い方でした。毎日教会へいって女神アストラへ祈りを捧げ、わたくし共のような行き場を失った流れ者に恵みをお与えくださりました」
エリシアのいう通り、とても優しい人だったんだな。
「そのようなお方があの悍ましき暴君、グリード・アルデバランに打たれたと聞いた時はこのエルフィン・ゴンゾー。我が一族の秘術をもって
「お、おぉ……」
エルフィンが鬼の様な形相になり、俺は言葉を失った。
「ですが、残されたエリーゼ様とエリシア様を当主様に代わってお守りすることがわたくしの使命だと思い、いまなお深い憎しみにこの身が引き裂かれそうな思いではありますがなんとか正気を保っている次第であります」
「……もしもチャンスがあったら?」
「ぶっ殺します。そのために日々鍛錬に励んでおりますゆえ」
なぜこの人に執事には似つかわしくないほどの実力があるのかよくわかる話だった。
「ちなみにぃ、執事さんの秘術ってどんなんなのぉ?」
「ふふふ、それは秘密でございます」
エルフィンは口元に人差し指を当てて微笑んだ。
手の内は明かさない、ということらしい。
俺たちの話が一段落すると、客間の扉が開いた。
入ってきたのはエリシアだ。
いつもの鎧姿ではなく、薄桃色のワンピースを着ている。
手にはお盆を持っており、その上にはティーセットが乗っている。
「お待たせ二人とも! さあ、お茶にしましょう!」
「エリシア!? なんだか見違えたな!」
「きゃー、エリシアちゃん可愛いー!」
いつもの凛とした雰囲気とは違うエリシアに、俺もナインも面食らってしまった。
ふと、部屋の角をみると、すでにエルフィンの姿がなかった。
神出鬼没すぎるぞあの人。
それから俺たちは外の景色を眺めながらお茶を楽しんだ。
「庭の薔薇園すごいねぇ」
「あれはお母さんの趣味なの。メイドたちもあの薔薇園には触っていないのよ」
「お手入れ大変なんじゃないのぉ?」
「大変だと思うけど、充実もしていると思う。あの薔薇園はもともと一輪の白薔薇だったの。お父さんがお母さんに初めて渡したプレゼントを、お母さんは大事に育ててあんなに大きくしたのよ」
「なにそれぇ! すっごいロマンチックゥ! ねぇアレクくぅん、あーしにもちょーだーい?」
「お前は枯らすだろ」
「ああん、アレクくんってばいけずぅ」
エリシアのお父さんは、本当にみんなに愛されてたんだな。
エルフィンやメイドたち。エリシアのお母さんや、もちろんエリシアも。きっとそれだけじゃない。勇者と呼ばれるくらいだったのだから、この国のみんなに慕われていたのだろう。
そんな偉大な人を俺の親父が殺してしまった。
だからこそ俺は聞いておかなければならないことがある。
「なぁエリシア。君は、魔王についてどう思う?」
「……どうって?」
「その、恨んでる……とか」
「そりゃ恨むよ。お父さんの仇だもの」
「えー、エリシアちゃんって復讐のために戦ってたのぉー? やめときなよぉ、そんな重い人生歩むより面白おかしく生きてた方がいいよぉ。エリシアちゃん可愛いんだしいっぱい男を騙して遊ぼうよぉ」
ナインの意見には賛成だ。いや、一部は賛成できないが復讐を諦めることに関しては賛成だ。
だけど、俺の口からそんなことは言えない。
彼女の復讐を止める権利なんて、俺にはないんだ。
喉が渇く。俺は紅茶が入ったカップを手に取った。
「でも、本当は魔王を倒すことなんてどうでもいいの」
「え?」
「わたしはただ、お父さんが守ろうとしていたこの国を守りたいだけ。魔王と戦わなくてもいいなら、わたしはそれでもいい」
エリシアはそういって窓の外に顔を向けた。
「そっか……。うん、俺もそれでいいと思う。もしも魔王とたたわなくて済む方法があるならその方がお父さんも喜ぶはずだ」
「お母さん……」
「ああ、きっと君のお母さんもその考えに賛成するとーー」
「違うの。あそこにお母さんが……」
エリシアが指さした方向を見ると、中央のアーチ窓に麦わら帽子をかぶった女の人が顔を窓ガラスに押し付けていた。
あれが、エリシアのお母さん……?
あの、鼻息でガラスを白く曇らせているのがエリシアのお母さん……?
「いやー、娘が男の子を家に連れてくるなんて初めてだったからつい気になっちゃったのよ」
エリシアのお母さん、エリーゼさんはそういって紅茶を啜った。
こうしてみると本当にエリシアとそっくりだ。
エリーゼさんは庭いじりをしていたのか、両手に軍手をつけている。服は白いワンピースを着て麦わら帽子をかぶっている。
農家っぽいかっこうなのに、品がある顔立ちなのでお嬢様らしさは消えていない。
「お母さんはなにかと張り切りすぎて空回りしちゃうタイプなのよ」
「そうなの。本当、こまっちゃうわ」
「あー、たしかにエリシアも空回りしている感じがあるからねぇ」
「え!? そ、そうかな!?」
ナインの発言にエリシアは酷く狼狽えていた。
「そりゃそうでしょー。国のために魔王と戦うだなんて空回り過ぎぃ。自分の実力をわかってていってんのぉ?」
「そ、それは、そうかもしれないけど……」
「むやみに挑んだってダメダメ。あーしだって魔王を倒すためにコツコツ戦闘データを集めてるんだよぉ? なんの策もなしに挑んだってただ死ににいくだけだよぉ」
ナインの意見は厳しいものだったが正しい。
勝てる見込みがないのに挑んだって返り討ちにされるだけだ。
って、それは俺も同じか。
「策ならあるもん」
「へぇ、教えて教えてぇ?」
「ナインが意地悪いうから教えない」
エリシアはぷいっとそっぽを向いた。
「ふふ、この子がこんなに子供っぽいことをいうなんて、よっぽどあなたたちと仲良くなったのね」
エリーゼさんは優し気に微笑んでいた。
そういえば、出会ったばかりのころのエリシアはもっと大人びていたような気がする。
それだけ気を許しているってことなのかもしれない。
「ちょっとお母さん! 余計なこといわないで!」
「ところで、魔王と戦うってどういうことなのかしら?」
エリーゼさんの疑問に、エリシアが硬直した。
「そ、それは……」
「えー? お母さまったらきいてないのぉ? エリシアちゃんは闘技大会で優勝して魔王への挑戦権を手に入れようとしてるんだよぉ」
「そんな話、初めて聞いたけど本当なのかしら? エリシア?」
エリーゼさんに問い詰められて、エリシアは目をばっしゃんばっしゃん泳がせていた。
「そそそ、それはぁー、ええっとー」
「ふっ……まぁいいわ。やれるだけのことをやってみなさい」
「え、いいの?」
「ええ、あなたが闘技大会で優勝できるとは思えないもの」
エリーゼさんはカップをソーサーに置いた。
「それって、あーしたちにも無理っていってるよねぇお母さま?」
ナインがあからさまに不機嫌になっている。
たしかに少しばかり聞き捨てならない。
「どういうことか詳しく教えてくれませんか?」
「あら、礼儀正しい子ね。三人とも、三日前に魔王が世界に向けて発信したことを知っているかしら」
「知ってます」
「大会の運営委員会は、あの発言は魔王が強者との戦いに飢えていると判断したの。だから今年の闘技大会にはアステリア王国どころか、人間領ブルースフィア中から猛者が集まることになっているのよ。七日後に開催される大会は、正真正銘、人間最強を選出する大会になるの」
「なぁーんだ。じゃあなにも問題ないじゃん」
ナインがテーブルに足を乗せて言った。
「あーしたちが倒そうとしているのは人間最強どころか世界最強なんだしぃ? 人間の中で一番強いのはむしろ前提って感じぃ? ねぇそうでしょアレクくぅん」
俺の肩によりかさって、ナインは頬をつついてきた。
「そうだな」
「そうだよお母さん! わたしたちはどんな相手だろうと負けないよ!」
俺たちが抗議すると、エリーゼさんは人差し指でソーサーの上のカップを弾いた。
「ふふ、ごめんなさい。いまのはあなたたちを試したのよ。これでやる気をなくすようじゃ、大会で優勝なんかきっとできないもの」
なんだろう。いま、一瞬だけ妙な感覚がした。
気のせいだろうか。
「なぁーんだ。お母さまったら趣味わるーい」
ナインはなにも感じていないようだ。
やっぱり気のせいだったのかもしれない。
「んもー、お母さんったら!」
「ふふふ、ごめんごめん。それよりあなたたち、こんなにのんびりしてていいの? 大会は三日後よ。特訓した方がいいんじゃない?」
「うっ、確かに……」
「あーしは別にって感じぃ?」
「大会とか関係なく、俺はもっと鍛えたいな」
「うぅー、二人ともーわたしの特訓に付き合ってー」
エリシアが涙目で訴えかけてきた。
俺とナインはもちろん頷いた。
その時、ひゅう、と風が吹き込んできた。
窓をみると、エリーゼさんが窓をあけていた。
「それじゃあ、わたしは行くわ。エリシア。しばらく留守にするから、お花のお世話を任せるわね」
「え? どこにいくの?」
「野暮用ってやつよ。ああ、それとね」
エリーゼさんは麦わら帽子の唾を持ち上げて温和な笑みを浮かべた。
優し気なのに圧がある、不思議な表情だった。
「あんたたちが勝てないっていうのは、本音よ。それじゃあね」
エリーゼさんは庭にでると、さくさくと歩いていった。
「なんか感じわるぅーい」
「どうしたんだろうお母さん。いつもなら魔王に挑むなんて絶対に反対するんだけど……」
むしろ反対しない方がおかしいだろう。
ということは、それだけ確信しているんだ。俺たちの敗北を。
「こうしちゃいられないな。さっそく特訓しよう」
「そだねぇ」
「う、うん!」
この三日間でどれくらい強くなるかはわからないが、とにかくやれるだけのことはやるべきだ。
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