気狂い作家ノブオ
@rakuten-Eichmann
気狂い作家ノブオ
ある病院に精神異常者がいた。その男の名前はノブオ。髪は白髪混じりの散切りで、歯は一本もない。そして常に笑っている。なるほど一目で異常だとわかる見た目をしている。彼は幼少期から異常行為を繰り返したため、今の今まで精神病院に閉じ込められていた。
ノブオは何の娯楽もない病室で、壁にひたすら文字を書き連ねていた。真っ白だった壁は文字で埋め尽くされ、黒い壁になった。
ある日看守が何気なく、目を凝らして壁の文字を眺めてみた。すると驚くことに、壁の文字は意味のない言葉の羅列ではなく、れっきとした物語であったのである。これは面白いと思った看守が、新聞を使ってその文を公開した。その中の一つを紹介しよう。
【茹だるような夏の夕方。窓の外では熱気が渦をまき、蝉が気狂いみたいに鳴いている。入道雲が空を削り、我が物顔で体をどんどん広げている。真っ赤な西日が部屋に差し込み、窓際に置かれた白いテーブルを照らしている。そのテーブルの上にグラスに入ったメロンソーダが置いてある。グラスの淵には水滴がまとわりつき、光を受け止めてキラキラと輝いている。
グラスの中には大きな氷が三つ重なっていた。一番上に割れた氷、真ん中に四角い氷、一番下に丸い氷。西陽に照らされるメロンソーダを冷たく保っていた。
氷たちにも世知辛い上下関係があるのか、上の氷が偉いという風潮があった。所詮氷なので外の世界など何も知らないのに、世間の上下関係を持ち込んでしまう様子は非常に哀れではある。
『暑いなア』一番上の割れた氷がつぶやいた。
『非常に暑いですなア』真ん中の四角い氷が同調した。
『このままだと溶けてしまいそうですなア』一番下の丸い氷がなんともなしに言った。
炭酸の泡がゆらめき氷たちの頬を撫でている。光が乱反射して、影がうねる。その様は非常に美しく、部屋の中だけゆっくりと時間が流れていた。
太陽がゆっくりと地平線に近づき、西日もいよいよ強くなった。光が窓ガラスを貫き、メロンソーダの温度がジリジリと上がる。直接日光に射られている割れた氷は、急激に溶け始めた。
『暑い、あつすギルなア』割れた氷はぶくぶくと喚きはじめた。『アツイ、アツイ、エベベベべべ。』割れた氷の脳は完全に溶け出してしまったのだろう。口から意味のない言葉を吐き出しながら、ボロボロと崩れていった。
氷が溶けたおかげでグラスの中の温度は下がった。四角い氷が水面に浮かび上がった。四角い氷は不安そうに呟いた。『夜はまだか』
願いも虚しく、太陽はしずむ際、強い光を放った。その光は窓ガラスによって集約され、四角い氷の半身を吹き飛ばした。『ギャア、痛い…イタイ…』四角い氷は痛みのあまり気が狂い、脳が溶けたいないにも関わらず、気狂いのように意味のわからない言葉を喚き始めた。
日が沈んだからか、いつの間にか外で泣き喚いていた蝉たちは息を潜め、夜の闇と静けさが部屋に忍び込み始めた。その静けさに抗うように、四角い氷の叫び声が響く。
『エベべべべべべべべべえええべべべ。』
丸い氷は気が狂いそうになりながら、四角い氷が早く死ぬように願った。
その願いは通じ、間も無く四角い氷は砕け散った。
丸い氷が一番上に浮かび、周囲を見渡した。グラスは冷え、太陽は沈み切った。これでしばらく生き延びられる、そう思った瞬間、大きな人間が部屋に入ってきた。
人間は白いテーブルに近づくとグラスを持ち上げ、一息にメロンソーダを飲み干した。そして洗い場に氷が入ったグラスを置くと、温水を流し込んだ。】
やはり気狂いが書いた文章だ。風情もへったくれもあったものじゃない。思わず声に出して笑ってしまった。すると廊下の奥から革靴の音が響き、やってきた看守から、檻越しに怒鳴られた。危ない危ない。また殴られてしまうところだ。彼に殴られすぎて、歯も全部なくなってしまったっけなア。ヘラヘラと笑いながら、看守に向かってざんぎり頭を軽くさげ、鉄格子から外の景色を眺めた。
外から吹いてくる風には、少しの湿り気と土の匂いがした。もう直ぐ春がくる。
気狂い作家ノブオ @rakuten-Eichmann
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