第20話

「あなたって、優しいのよね。」

 桂香が京太郎に話しかける。

「何のことだ?」

「もう、しらばっくれちゃって。あの子達を家に帰したのって、無関係の子達が事件に巻き込まれないようにするためでしょ。たまたま興味本位でリセットしただけだもの。通っている高校全部のクラスをリセットしようとする意気込みは良かったわ。」

「……。」

「もう…。そんな不器用な所も好きよ。」

 車の助手席で桂香は、京太郎の肩をぽんぽんと叩いた。何千万とする外国の高級車を、立体駐車場の一階部分に停めて涼からの連絡を待っていた。


 その頃。

 ピンポーンとチャイムが鳴って、アリアは急いで玄関に向かった。一度、一階の玄関のモニターで顔を確認し、住人がチェックしてからエレベーターに続くドアが開くようになっている。とりあえず、アリアは通した。

 ちょうど明が言っていた時間である。もし、スパイがいるなら、宅配業者を装って来たはずだ。だからと言って、警察を張り込ませておくわけにもいかない。

 アリアはエプロンのポケットにスタンガンを忍ばせ、印鑑を持って玄関の鍵を開けた。サインでもいいが字体を真似されるのを防ぐためだ。

 チェーンは外さずに、まずは確認をする。宅配業者の制服を着て、帽子を被りマスクをしている。げほっ、と顔を横に向けて若い宅配員は咳をした。

「すみません、ちょっと風邪を引いていて。」

 本当にゴロゴロした様子の声で言うので、アリアはチェーンを外した。

「すみません、ほんと。印象悪いでしょ? すぐに行きますから、ここに印鑑をお願いします。」

 若い宅配員は他で何か言われたのか、急いで言い訳した。

「いいんですよ。気にしないで。ここね。」

「はい。荷物、置いていいですか?」

「ええ。」

 つい、アリアは丁寧な様子にうなずいた。ドアを大きく開け、青年が荷物を持って玄関の床に置いた。視界の端にドアが閉まるのが見えた。思わず顔を上げると、男がアリアに銃を突きつけている。よく映画で見る、サイレンサー付きの銃だ。

「!」

 思わず息を呑んで青年の顔を見上げる。青年の引き金にかかっている指に力が入る。

「ママー。」

 その時、奥から廊下を昇が走ってきた。

「! 昇、来ちゃだめ!」

 叫ぶと同時に体に衝撃しょうげきが走った。勢いで後ろにひっくり返った。だが、致命傷にはなっていない。

「ママー、何かあったの?」

 昇が走ってきた。姿を現してしまう。とっさにアリアは、息子の昇も共に男の標的になる可能性にぞっとした。その時、わずかに男の目に迷いが生じたのを、アリアは見逃さなかった。アリアの頭に向けようとした銃口は、そのままで火をいた。さらにお腹に衝撃が走る。

 そして、男は急いで出て行った。玄関のドアが開いて閉まる。

「ママー、ママー、どうしたの!? 何があったの、ママー! お姉ちゃん、きてー! ママがうたれちゃった! お姉ちゃん、きてー!」

「……昇、だいじょぶ、だから。だいじょうぶ。ね? ……だいじょうぶだから。」

 大きな声で叫んで泣き始めた昇に、アリアはなんとか声をかけた。防弾ベストを着ていたのだ。だが、それでも至近距離から撃たれた衝撃はすさまじかった。防弾ベストを着ているから大丈夫だろうと、甘く見ていた。撃たれた箇所に激痛が走っている。

「ママー…!」

「もう、どうしたの、昇?」

 奥からイヤホンを首にかけたままの花月がやってきた。昇が叫んだので、音楽を聴いていても聞こえたのだ。

「ママがうたれちゃった!」

 泣きながら昇が答える。

「ママ!? どうしたの!」

「二人とも、ごめん。ほら、大丈夫。血も出てないでしょ。でも、パパに電話してくれる? 痛くて立てないの。」


 涼から電話が来た。

「もしもし。上手くやったか?」

「すみません、京太郎さん。たぶん、失敗しました。」

 涼の初めての失敗だ。

「どうした?」

「それが、たぶん、防弾ベストを着ていたと思います。この間の荷物の話、たぶん、罠だったかと。あいつ殺しましたが、リセット内のスパイについては、バレたと思った方がいいかもしれません。」

「分かった。止めをさせなかったのか?」

「……すみません。子供が来て……。」

 京太郎はため息をついた。

「分かった。気をつけろ。リリーが何か企んでいるようだ。」

「はい。」

 電話を切ると桂香が心配そうに聞いてきた。

「…涼君、失敗しちゃったの?」

「ああ。そのようだ。」

「…あの子、優しい所があるもの。」

「ああ。分かっている。そこがいい所でもあるが、暗殺者にはきついな。」

 京太郎は考えていた。子どもの頃から殺しの訓練だけを受けてきて、飛び抜けた射撃の才能があった涼は、少年時代から指令を受けて仕事をしてきた。もしかしたら、あまりに若い頃から何人も殺してきたので、限界が来たのも早いのかもしれない。

 組織の孤児達は特殊だ。確かに親が暗殺者なんかで死ぬこともある。だが、ほとんどは組織が不要と判断した者、もしくは敵対者を暗殺し、その孤児達を見張りながら組織の暗殺者として養育するのだ。そして、失敗すれば捨て駒にする。涼もその中の一人だった。

 車にエンジンをかける。静かに走り出し、桂香を家に送り届けた。

「すまないな。今日は一緒にいると約束したのに。」

「いいのよ。仕方ないもの。それより、涼君を助けてあげるんでしょ。」

「……ああ。」

 京太郎は桂香の家の玄関を出ると、自動ロックの音がしてから去った。

 桂香は一人になるとソファに横になった。もう一台持っているスマホを取り出すと電源を入れる。そのスマホは京太郎と連絡する時だけに使っている電話だ。こうして離ればなれになる時に電源を入れている。

 いくつか撮ってある写真をファイルから開く。病院での写真だ。今夜、京太郎に話そうと思っていた。お腹の中の子供の写真。

 その時、手に持っていない方のスマホがなった。少し身構えてから電話に出る。

『はい。』

『桂香。京太郎はどうだ? 上手くいったか? 問題はないか?』

『…何もありません。少し準備に手間取っていますが、計画を進められるはずです。』

『……そうか。桂香。何も隠していないな?』

『…はい。何もありません。』

『…本当にそうか? 間違いないな?』

『はい。』

 妙に聞いてくるので、いぶかしんだものの桂香は答えた。

『分かった。体に気をつけろ。』

 その言い方に引っかかった。電話が切れても、桂香はスマホを見つめ続けた。

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