下らない淡光:prototype

クラムボンはドナネルルが好きだよ/ペンネ

田舎の青

 道すがらで黒光るランボルギーニとすれ違う。スタイリッシュに走る高級車は、どこか怒っているようにも見えた。黒ガラスで隠れた後部座席を確認することは叶わなかったが、どこかのお金持ちが彼に追い返されたのだろう。そう推測して、車椅子を押してくれている息子と一緒にくすくす笑った。彼の出身でなければ、あの高級車はこんな田舎には来なかった。


 私には誇るべき友人がいる。

 彼は世界的に評価されているアーティストで、特に画家として名の売れている男だ。

「青の中の少女」──名前だけならば聞いたことがあるだろう。霧の濃い黒い夜の森を背景にして、正方形の青い鳥居の前で青色の天狗の面をつけた背丈の低い少女が佇んでいる幻想的な油彩の絵画。少女の姿はまさに不定形で、黒い鳥の羽が背に生えているようにも、鈍く光る黒い爬虫類の尾を尻から揺らしているようにも見える。着ている服も不可解。セーラー服を着ているようにも、白いTシャツを着ているようにも、あるいは全裸のようにも見える。見えるが、それが調和して”青い天狗面をつけた少女”としか形容させない。そんな奇妙な絵だ。

 また、彼は「青」を使うのが上手い画家とも言われていた。彼の「青」は「ユウヤブルー」という名前で呼ばれた。恰好の良い呼称とは到底思えないが、とにかく彼は殆どの作品でこの「ユウヤブルー」を主役として使用している。絵画に疎い私でも分かるほどに、その青は異常だった。もう少し具体的に言えば、人の目を奪う力を持っていた。

 フランスの美術評論家が「彼の青が素晴らしいのは、周囲の色だ。彼は青がどうすれば引き立つのか分かっているように思える。あえて青の周りに彼独特の色の置き方で描くことで──嫌な言い方をしてしまうと、周囲の色を台無しにしてしまうことで、主役である青に特別感が生まれる。そして、なぜか絵が腐らない。これは特異な才能だ」と、ある雑誌で述べていた。私の頭に最も嵌った説明がコレだ。

 当然「ユウヤブルー」は「青の中の少女」にも使われていた。


 今日はその友人に会いに来た。年に一度の夏、田舎にある彼の家に集まることにしているのだ。世界を放浪する彼にとっては別荘に近いが、それでも彼の唯一の住処で、私と彼は再会する。

 無人駅から、住宅街を抜け、田圃道から続く長い坂を上って見えてきた屋敷。

 森を背にして建つ横長の洋風建築。クリーム色の外壁にはところどころシミがついていて、枯れた蔦が張り付いている部分もある。雑草が無造作に生えた庭に、彼の黒いバンが見えた。運転席のドアが開いて、彼が出てきた。

 背丈は小さく、ハサミで適当に切ったみたいなボサボサのショートヘアで、四角い顔に目は大きく鼻は低い。よれよれの無地の黒いTシャツに、黒のチノパン。

 今年で三十五歳になる男だが、少年みたく幼い印象を受けてしまう。

 そんな少年が、こちらに走ってくる。

「お姉さん!」

 と飛びかかって来たものだから、車椅子が倒れないか心配しながらも私は静かに少年を受け止める。

「お姉さんって歳じゃないんだけど。──元気?」

「はい!お姉さんが死なない限り僕は元気です」

 腕の中の少年が、にこにこ笑顔で私を見てくきた。

「そりゃあ、良かったわ」

「はい!それじゃあ、時間も遅いんでお願いしても良いですか」

「そうね。お前は忙しいもんね」

「っへ、おかげさまで──えと、山村さん。代わります」

 彼は息子から私を奪い取った。私の息子も彼の性格は重々承知しているから「裕也君。お母さんをよろしくお願いします。お母さんまた明日の夕方頃に」と言われるがままに私を受け渡した。

 坂を下って帰っていく息子を、少年はうんうんと頷きながら見送って。それから私に向き直った。

「それじゃあ、モデル、お願いします」

 広い玄関に迎えられ、小さな段差を越えて廊下を渡る。いくつものドアの横を通り過ぎ、そして案内されたのはインテリア一つない寂しい部屋だった。一面漆喰の壁で、唯一の窓から森が見える。家の裏にある山の景色だった。私が意味もなく外を眺めていると、少年は私の肩を掴んで笑う。

「午前中に、僕が掃除したんですよ?」

 鼻高々に笑う少年は、まるで母親にお手伝いを自慢する子供のようだった。私は「偉いね」とだけ言って頭を撫でた。彼は目を細め、口の端を伸ばして笑った。これまた無邪気な子供のようだった。

 私の次に部屋へと運び込まれたのは、かごに入れられた白い蛇だった。

「アオダイショウです。最近飼い始めました」

 首に蛇を巻き付かせながら彼は笑った。

 それから彼は絵を描くのに必要なもの──イーゼルにキャンバス、画材や絵具の詰まった箱に椅子を運び込んだ。何も無かった部屋が絵を描く為のアトリエに変わった。

 彼が準備をしている間、彼の蛇と戯れることにした。彼に巻き付いている蛇に私の腕を近づけてみる。すると、のっそりと乗り移ってきた。

 そのまま首や肩に巻き付いてきた蛇の重さを感じながら、指で静かに触れてみる。

 蛇の身体は不思議だ。しっとりとした鱗を尻尾に向かって撫で下ろすと滑らかなのに、反対に撫で上げるとざらついていて痛いくらい。ずっと撫でていると次第に熱が感じられる。ひんやりとしながらも、命としての生生しい温さが私に伝わってくる。

 丸みを帯びた三角頭に手を伸ばすと、流石に嫌がられてしまった。

「こういうのをアルビノって言うんだよね?」

 蛇の触り心地を堪能しながら、少年に訊いてみる。返ってきたのは意外な答えだった。

「いえ、お姉さん。それはアルビノじゃないです」

「マジ?」私は驚く。

「普通ならばアオダイショウの目って黄色でしょう」

「知らないけど」

「アルビノなら、赤い目なんです」

 白蛇の眼を確認する。黄色かどうかは判らなかったが、少なくとも赤色ではない。

「じゃあ、このアオダイショウはなんなの?」

「なんなのと言われると、白変種と言いますか」

「アルビノとの違いは?」

「うーん、難しいな。アルビノに比べれば日光に強いとか。でもコイツは暗い方が好きだもんな」

「体が弱いとかないのかしら?目が色々ある……とかそういうのはないのかしら?人間だったら、そういうのがあるでしょう?」

「そうかもしれませんが。正直なところ分からないです。でも、僕は普通に育ててますよ。この説明じゃ駄目だな──違いが難しい」

「じゃあ、この子もアルビノみたいなもんじゃない?」

「お姉さんがそういうならば、もうそれでいいです。この場においては」

「アッハッハ!──この場においてはね?笑える、最高」

 笑いながら私は蛇の顎を撫でた。

 白い蛇を首と腕に巻いた私は、窓の奥に映る森を背にして車椅子に座っている。私と蛇は彼の絵のモチーフになるのだ。それを実感する。スマホで私を簡単に撮影してから、彼は椅子に座り、膝に乗せたスケッチブックに線を引き始めた。そして、真剣な面持ちで言った。

「僕の話を、聞いて下さい。お姉さん」

 ──やっぱり、また聞かされるのね。

 彼は私を絵に描く際、必ず同じ話を述懐する。それは下書きでも同じなのだ。

「ええ、聞きましょう。なにかしら」

「これは僕が小学生だった時の話です。まさに若気の至りって感じのお話です」

「少しだけ、冒頭の入りが変わったわね」

 私はそう呟いた。しかし、集中している彼の耳に私の言葉は入らない。

彼の言葉に耳を傾けながら、蛇をもう一度撫ててみる。蛇は既に準備万端らしく、凍ったように動かない。私も、彼の為に気を引き締める。

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