第20話 教師(3)
――その日の午後、体育の授業での事だった。
「うぐっ!」
思い切り畳に叩き付けられた僕は、喉の奥からくぐもった声を漏らす。
「おい、どうした、夏野! まだ背負い投げが出来てないのはお前だけだぞ! 早く立て!」
「ゲホッ、ゲホッ……」
今日の体育の授業は、武術館を利用しての柔道。
生徒同士でペアを組み、互いに技を掛け合って演習をするという内容だった。
だが、生徒数的に二人一組を作っていくと一人余る。
そこで、何故か担当の田山先生は「夏野、お前は俺と組め」と、僕を指名してきたのだった。
違和感があったものの、断るわけにも行かず授業開始。
そして現在――僕は田山先生に演習を名目に、柔道の技を掛けまくられていた。
「お、お願いします……」
今は、僕が田山先生に背負い投げを掛ける番だ。
相手側も、授業なのだから自分から掛かるように協力するのが普通のはずだ。
なのに、田山先生は――。
「弱い! そんな弱い力で俺を投げられるか!」
襟を掴んで引っ張っても、びくともしない。
至近距離で大声を張り、逆に僕の襟首を掴んでくる。
「よく見ておけ! 背負い投げはこうやるんだ!」
そして、今日何度目だろう――僕の体を、床に叩き付ける。
力加減がまるでされていない。
ほとんど全力じゃないだろうか?
「う、ぐぅ……」
「……くくっ、前はよくもやってくれたな」
畳の上に倒れた僕の腕を掴み、田山先生が引っ張り起こす。
その際、荒い息遣いの間から、呟くような声が聞こえてきた。
「記憶を失ってるなんて好都合だ……確かに、全く覇気を感じねぇ」
「……ぇ」
「調子に乗りやがって……お前さえいなければ」
……まさか。
田山先生と僕との間に、過去に一悶着があった事は予想できている。
多分、諏訪部先生を助けるために、昔の僕が田山先生を痛い目に遭わせたとか……きっとそんな感じだ。
だからつまり、田山先生は僕を恨んでいる。
そして……今、確かに言った。
記憶を失っている事が、バレてる?
(……こ、これって、やばいんじゃ……)
「オラッ! 次は大外刈りだ! 立て!」
田山先生は、僕が昔の僕じゃないと知っている。
さっきの諏訪部先生との会話を盗み聞きでもされた?
だから、こうやって授業を名目に、僕をいたぶっているのか……。
「せ、先生、ちょっと休憩……」
「お前等も見ておけ! まずは相手を引き手側に引く!」
ダメだ、聞いちゃいない。
この千載一遇のチャンスに、意気揚々だよ、この人。
痛みと呼吸困難で思考が鈍る。
その間に、田山先生は僕の軸足の後ろに足を回し、バランスを崩し――。
受け身。
間に合わ。
――大外刈りを食らった僕の体は宙に浮き、側頭部から床に落ちた。
――――――。
『なんだ、お前?』
『うちの中学の生徒か?』
『……お前には関係無いだろう』
『ガキのくせに、大人の世界に足を突っ込むんじゃねぇ』
『痛い目を見なくちゃわからねぇのか?』
『……ガッ! こいつ……グゥッ!』
『おい、やめろ、やめ……』
『…………わ、わかった、もう彼女に何もしない……許してくれ』
――――――。
なん、だ? 今の、記憶。
一瞬、脳裏に映像が流れた。
どこかの夜の街で……少し昔の、田山先生と、会話していた。
そうだ、思い出した。
昔、僕が通っていた中学に、田山先生と諏訪部先生が勤めていたんだ。
ひょんな事から、諏訪部先生が、田山先生にセクハラ紛いの嫌がらせを受けているのを見掛けて……。
それで……。
「いつまで寝てる! 立て、夏野! 次はお前の番だぞ!」
「………」
僕は立ち上がる。
そして、目前の田山先生を見据える。
顔に愉悦の笑みを浮かべる巨漢。
僕は、両腕を前方に構える。
重い胴着を纏っているはずなのに……なんだか、体が軽く感じる。
「なんだ? もう体力の限界か? 最近の男子は薄弱――」
「始めていいか」
気付くと、そんな声を発していた。
その声に田山先生が反応すると同時、僕は前に踏み込んでいた。
まるで流れるような動作で、僕の体は自然に動く。
田山先生の胴着の襟を掴み、重心を崩し――。
気付けば、田山先生の体は大きく仰け反った後だった。
「……は?」
「死にたくないなら全力で受け身を取れ」
また、僕の口が勝手にそんな言葉を呟く。
真横――目を丸めて驚きの表情を浮かべていた田山先生の顔が、一気に恐怖に染まったのが分かった。
――次の瞬間、僕は田山先生の巨体を畳の上に叩き伏せていた。
「ごはっ!」
後頭部、背中、全身を隈無く打ち付けた田山先生は、肺の中の空気を全て捻り出したような声を上げる。
「な、なん、で……」
「………」
僕は田山先生の前に立ち、彼を見下ろす。
「ひ……」
田山先生は、まるでバケモノを見るような目で僕を見る。
「ひ、ひいいいいいいい!」
そして、悲鳴を上げた。
――次の瞬間、僕も意識を失った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……え?」
意識を取り戻すと、僕はベッドの上にいた。
周りを見渡すに……どうやら、学校ではない。
病室のようだ。
「夏野君!」
横を見ると、諏訪部先生がいた。
「えと、諏訪部先生……ここは……」
「大丈夫? 頭は、痛くない?」
諏訪部先生が、僕の額に手を伸ばす。
ひんやりとした彼女の指に触れられ、ちょっとビクッとなった。
「あの、僕、確か体育の授業中で……」
「……ええ、事情は聞いたわ」
諏訪部先生によると、僕は授業中に気絶してしまったようだ。
救急車を呼ばれ、学校の最寄りの病院に一旦運ばれたらしい。
理由に関しては、授業を受けていた他の生徒達の証言で――田山先生による行きすぎた、というか危険な指導が原因だとわかっているらしい。
「親御さんにも連絡してあるわ。医師によると、脳波等には異常は無いそうだけど……完全に学校側の責任よ。だから、私が付き添わせてもらったの」
「そう、ですか」
そこで、諏訪部先生が僕の手を取る。
「ごめんなさい……こんな事になってしまうなんて」
「……いえ、そもそも過去の僕がやった事が原因というか……まぁ、悪いのは完全に田山先生一個人だと思いますので」
頭部に衝撃を受けた時、過去の事を薄ら思い出した。
諸悪の根源は田山先生。
中途半端な人助けをした僕も原因の一端。
「諏訪部先生は気にしないで下さい」
「……夏野君」
諏訪部先生は、涙の滲んだ目で僕を見詰め、やがて困ったように口角を上げる。
「あなた……本当に、何者なの? まだ子供なのに、ビックリするくらい強くて……まるで、漫画やアニメの中の人物みたい」
「………」
いや、それは僕が一番知りたいんですけどね。
よくよく考えてみたら、昔、僕が田山先生をボコボコにしたのって……記憶を失う前の事だから……。
……中二?
中二の頃に、あんな屈強な大人を一方的に倒したってこと?
色々判明するにつれて、自分が異星人か何かとしか思えなくなってくる……。
「ふふっ」
そこで、諏訪部先生の手が、もう一度僕の額を撫でた。
「でも……そうね。確かに記憶喪失が原因なのか、今のあなたからは、昔みたいな雰囲気は感じられないわ」
「そ、そうですか?」
「本当に、不思議なヒーロー」
クールで凜とした印象の諏訪部先生。
しかし、今の彼女は、なんだかそんな感じではなかった。
まるで恋い焦がれる乙女みたいな、そんな顔をしている……なんて、気のせいだろうか。
――それから数分、母さんが病院に来るまでの間、僕は諏訪部先生に頭を撫でられ続ける事になった。
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