第16話 罪
男は、冥殿内を迷う様子もなく歩いている。
漆黒の髪と、同色の衣服を靡かせ歩く姿に、擦れ違う使用人たちが慌てて頭を垂れる。
「ルシフ様?どうかされましたか?」
カイは突然の来訪者に驚きながら、問いかけた。
尋ねられたルシフは、ぴたりと動きを止め、カイに視線を向ける。
その紅い瞳に見られ、カイも動きを止めるが、すぐに普段の真面目な表情で言葉を紡ぐ。
「リキ様に御用ですか?それでしたら、執務室にいらっしゃいます。今でしたら、話をする時間もありますので」
ルシフが返事をする前に、彼が欲しい答えをすらすらと答える辺り、有能な補佐官というべきか。
ルシフは、一瞬ぐっと眉を顰めたが、すぐに口を開いた。
「そうか、ありがとう。……カイ、一つ伺いたいのだが」
そこまで言ってから、躊躇ったように口を閉ざす。何かを探すように、キョロキョロと視線を彷徨わせた。
その、何かを、誰かを探すような様子を、カイはじっと見つめたが、すぐに瞼を閉じた。
「……ナギサ様でしたら、今日はいらしていないので、安心なさってください」
カイは再び先回りをして返答をした。
その言葉にルシフの動きがぴしりと止まり、視線だけをカイに向ける。
しかし、それにも動じず、カイは「では、失礼致します」と頭を下げると、そのまま廊下を歩き始める。通りすがりの執事長に、ルシフの来訪を告げ、茶の用意の指示を出すのも忘れずに熟していた。
その有能ぶりに、ルシフは思わず「ある意味、冥王より怖いな」と思ってしまった。
ルシフが執務室のドアを開ければ、大量の書類に埋もれたリキが見えた。いつも通りの光景ではあるが、苦笑いを浮かべてしまった。
「冥王、失礼するぞ。……相変わらず、書類に埋もれているんだな」
「わぁっ!!魔王!?びっっっくりしたー!!」
リキは驚いて声を上げるが、同時にバサバサと書類が落ちた。
ルシフも苦笑いのまま、その落ちた書類たちを拾いつつ、口を開く。
「こんなに書類仕事を溜めているところに申し訳ないんだが……」
そう言って、新たな書類を手渡すルシフに、リキは顔面蒼白になった。あまりのショックに床に倒れ込む。
「も、もう無理……俺、死んじゃう」
「はいはい。そんなんで死なないから安心しなさい。まあ、私も魔王になった頃はかなり苦戦したが……冥王と比べるのも烏滸がましいか」
そう自嘲した笑みを浮かべて言うルシフに、リキは何かを察したのか、すっと姿勢を正した。
「……どうかしたか?珍しく気弱だけど」
その言葉に、ルシフはハッとした表情でリキを見つめるが、すぐに苦笑いに戻った。
「悪い。いい歳して、こんなに態度に出して」
「いや、別にそういうのに歳は関係ないと思うけど」
リキの言葉に、ルシフは大きな溜め息を一つ溢した。
「……最近、夢見が悪くてな。嫌でも過去のことを思い出すんだ」
そういうルシフの言葉を遮るでもなく、リキは使用人から受け取っていた茶をテーブルに出し、聞く態勢に入った。
それに気付いたのか、ルシフもそのまま話を進めていく。
「なあ、リキ。例えば……人を生き返らせるとかできるか?」
ルシフの真面目な表情を見て、リキは「ぶっ!」と思わず茶を吹いた。
ぶっ飛んだ質問であると同時に、ルシフが「リキ」と呼ぶ時は大概が真剣な話の時である。
「できるか!いくら冥王の力が、光と闇の調和とは言え、人の生死まで関与できないぞ」
リキは思わずツッコんだが、すぐに溜め息を吐くと、頭を抱えながらも話を続けた。
「で?突然どうしたんだ?今更、ルカさんでも蘇らせてほしいってか?」
リキが不意に出した名前に、今度はルシフが驚いたような表情でリキを見つめる。何か言おうと口を開くが、そのまま噤むと、ゆっくりと首を振った。
「い、いや、彼女じゃない。……前月王、シュルネード=ルシードだ」
今度は、ルシフが出した名に、リキが眉を顰めた。
「ああ、なるほど。ナギサの父親か。そういうことか」
リキは察したように、そのままソファの背もたれにぼすんと埋もれた。
『そう言えば、ダークもナギサの……あの時の夢を見るから寝不足だって言ってたな』と、ぼんやりと思い出す。親子揃って、過去に囚われすぎでは?とも思うが、あの事件はナギサにとっても、この親子にとっても、トラウマとして残るのだろう。
「私は許されたいんだ。許されることなんてないのに。許されるなんてものは甘えなのに」
ルシフがくしゃりと表情を歪めながら言う姿に、リキは難しい顔をするしかない。
普段から、魔王として威厳に満ちている男の姿に、リキは思わず当時のことを思い出していた。
『六年前』
当時の記憶はあまりない。そもそも、リキもまだ十一歳で、当時の冥王であった実父が間を取り持つために奮闘していた記憶しかないのだ。
ただ、あの時……ルシフが冥王である父を訪ね、懺悔している姿を見たことは鮮明に覚えている。
「月王を殺めるつもりなどなかったのに」「許して」「許して」
そんな言葉と共に、父がその罪を認め、赦している声が聞こえたのを覚えている。
あの事件はたぶん、ルシフにとっても手違いだったのだろう。そう、幼心に思っていた。
それ以降、幼馴染だったダークとも遊ばなくなったな、とぼんやり思い出すが、すぐに思考から浮上する。
「どうして今更……」
思わず呟いたリキに、ルシフはちらりと視線だけ動かすと、リキを睨むように見つめた。
「今更、だと?この六年間、ずっと考えてたさ。許されたい。だけど、許されていいことじゃない。まして、ナギサ本人はあれがきっかけで、混界に留学という名目で記憶を消されていたんだ」
唸るように俯くルシフを見たリキは、そっと溜め息を吐いた。
そのナギサが帰還し、何なら先日バッタリ出会ったしまったせいで、その罪悪感が増長されているのだろう。
「その、償いたいって気持ちは、ナギサに届くと思うけど?」
リキがぼそりと呟けば、ルシフはすっと視線を上げた。
「あんなに避けられてるのか?」
その言葉を聞いて、リキは「うーん」と悩んでしまった。あの日、ルシフと再会した時のナギサの様子を思い出していた。
殺意の籠った視線。激しい非難の声。ただただ、憎悪だけを向ける。
「確かに、今すぐ何とかするのは難しいと思うけど……二人が話し合いできるように、俺も冥王として協力はするし」
リキが慌てて言うと、ルシフは溜め息を零した。
「いっそ、早々に罰を受けたいものだな。いずれ、償わねばならないのだから」
そう、ぼそりと呟いたルシフに、リキは「え?」と聞き返すが、ルシフは立ち上がると「では、仕事が残ってるので失礼する」と出て行ってしまった。
ルシフと入れ違いになるように執務室へとやって来たカイは、ソファにぼんやりと座り込むリキを見て、眉を顰めた。
「リキ様?どうかなさいましたか?今、ルシフ様も随分と暗い顔で出て行かれましたが」
「いや……思った以上に、魔王はナギサの件で参ってるな、って」
「ああ、なるほど」
カイはそう返事をすると、六年前のことを思い出していた。
カイは、リキの九つ上の兄である。当時、冥王であった父の手伝いをしていたため、あの時のことはリキよりも記憶にある。だからこそ、ルシフのあの状態には不安を覚えた。
「当時もかなり動揺していましたからね。心配ですね」
「……カイ、この後時間あるか?」
リキの言葉に、カイはリキを見つめると、すぐに頷いた。
「野暮用で居住区に向かいますが、すぐに終わります。その後でよろしければ」
「そしたら、ついでに魔界までお使い頼んでもいいか?」
「かしこまりました」
その返事を聞いて、リキは慌てて机へと向かう。
「キョウノと、ルミナ妃に手紙を書くから渡してほしい。魔王の監視できそうな奴なんて、彼らしかいないだろ?」
「そうですね。あのお二方でしたら、首尾よく事を運んでくれるでしょう」
「じゃあ、頼んだぞ」
リキはそう言って、慌てて認めた手紙をカイに渡す。
「かしこまりました。行って参ります」
カイは手紙を受け取ると、頭を下げた。
カイの背を見送りながら、リキは心から、「何事も起こりませんように」と願うしかなかった。
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