春夏秋冬、迷子の僕たちは

伊津 薫

第1章

第1話 腐草、変化の兆しなし

 梅雨が明けて、太陽が湿度をからっと奪い去る季節が来ても、私はクラスで友達ができていなかった。

 中学生の頃とは違い、一応毎日学校には通っているし、授業も真面目に聞いている。おはようと言えばおはようと返してくれる人もいるし、必要最低限の会話を、普通にしてくれるようなクラスメートはたくさんいる。

 でも、友達、と呼べる、呼んでも許されると思えるような相手は、一人もいなかった。まだ、というか、やっぱり、というか。

 高校に入学して、クラス分けが発表されて、ホームルームで自己紹介のようなことをして、さあどうしようと思う頃には、もうクラスにはなんとなく、仲良しグループというか、そういう小規模の集まりが形成されつつあった。

 同じ中学校出身の人同士が固まっているということもあったし、初対面ですぐ打ち解け合った人たちもいたようだった。

 あれ、と思った頃にはもう、私は「どこにも属さない人」になってしまっていて、誰に声をかけるにも、上級生のクラスを訪ねるときのような気まずさを覚えるようになってしまっていたのだ。

 じりじり、とまだウォーミングアップ半ばであるような強さの日差しが、教室の窓を貫通して私の左腕を焼く。日焼け止め、が必要だとうっすら思ったが、家のどこにそんなものがあるのか私にはわからなかった。

 生まれたままのありのままの腕を、肉付きが悪く決して綺麗ではない腕を、皮膚を、太陽にくれてやったまま、私は何をするでもなく休み時間を過ごす。

 休み時間に教科書を読むほど真面目ちゃんになりたいわけではなかったし、文庫本を持参して開くほど活力があるわけではなかった。熱中できるような趣味も、集中力もなかった。

 授業中も休み時間も大差なく、私はぼうっと前の方を見て、たまに机の上を眺めたりして、そうやって時間が過ぎるのを待つ。

 毎日登校しているだけ、まだましだと信じながら。願いながら。


 まだ随分明るい夕方、夏の匂いを感じながら帰宅するも、いつも通り家には誰もいなかった。

 リビングの開け放たれたカーテンから西日が強く差し込んでいて、銅色の電気ポットが黄金に輝いている。もわっと空気が籠っている感じがしたので、少しだけ窓を開けて、換気を試みた。小虫が入り込むと嫌なので、網戸が閉まっているかのチェックを何度もした。

 制服を着替えて、手洗いうがいをして、顔を洗って、流し台に残ったままの今朝使用した食器を洗う。それが終われば、リビングのソファにぼすんと座った。

 惰性でテレビをつけるが、特に見たい番組があるわけでもなく。

 もう一度立ち上がって、麦茶を入れて、学校のカバンから宿題を取り出してテーブルの上に並べた。

 母が帰宅する前には、宿題を終わらせておきたい。

 幸い、宿題は自分一人の頭でギリギリ解けるくらいの難易度だった。授業の復習の練習問題なので、解けて当然なのかもしれないが。

 夜、十九時を回ってようやく、母が帰宅する。

 疲れた足取りでリビングへ入ってきた母は、テレビから発せられる芸能人の軽やかな笑い声に早速眉を顰めた。

「……宿題はしたの」

「おかえりなさい……。宿題はもう終わったよ」

「そう」

 母は買い物袋をキッチンの調理台の上にどかっと置き、あからさまな溜息をついた。今日も今日とて、とても疲れているようだった。

「そのテーブルで宿題したんじゃないでしょうね。消しカスが汚いって何度言えばわかるの。宿題は自分の部屋でしなさい」

「自分の部屋でしたよ」

「……そう」

 今にも舌打ちをしそうなテンションで、けれど決して舌打ちはせず、母は夕飯の支度にとりかかった。

「何か手伝うことある?」

「ない」

 ぴしゃりと跳ね除けられてしまい、少しだけ視線を彷徨わせたものの、諦めて座る。座ったと同時に、声をかけられる。

「洗い物したの」

「あ、うん。朝の分を……」

「カップに洗い残しがあるよ。ねえ、やるならちゃんとやって。できないなら中途半端にしないで」

「……ごめんなさい」

 ああ、もう、本当に消えてしまいたくなる。

 別に美人でもない、多分普通程度の容姿ですらない、特段頭がいいわけでもない、友達もいない、洗い物の一つもまともにできない。何もない。何もできない。

 何もできないくせして、こうして息をして、食事の準備をしてもらって、生かしてもらっている。

 みっともない。情けない。どうしようもない。

 消えてしまいたい。

 いくら望んだところで体がすうっと薄くなって消えることはなく、私はこれ以上母の気に障ることをしないように、息を殺して過ごした。

 夕飯の焼きそばは、いつもと同じで、ソースの味が濃くて美味しかった。

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