アラスターの真意


 アラスターは、ノストラ家の執事だ。


 僕が七歳のころにひょんなことから出会い、以来十年間僕の執事として仕えてきた。


 スラム出身で、孤児という身分でありながら「転移ワープ」という能力スキルを持っており、自分が行ったことのある場所ならいつでもその場所へ行くことが出来るという便利なものだった。


 しかもこの能力スキルの凄いところは、袋などの物体に使う事で、異世界転生ものによくあるアイテムボックスや収納魔法としても扱えるというところだ。先の万能袋も、アラスターの能力スキルによって作られたものである。


 この能力とアラスター自身の手際の良さによって、彼はあっという間に使用人たちを束ねる立場になった。僕自身も、彼のさりげない気遣いや有能さに助けられており、程なくして彼を一番信頼するようになった。


 しかし今日、彼は僕を裏切り、レオに言われるままこの森に放逐した。


 その彼が何故、今頃になってこの場に現れたのだろう。



「……何の用だ。アラスター」



 最大限警戒し、グレモリーを守るように後退ながら、僕は彼に尋ねる。すると、後ろの彼女が興味深そうにアラスターを眺めては、僕の服の袖口を引っ張る。



「ねぇステラ、この人は誰?」



「アラスター。僕の家の執事だよ……今は裏切った敵だけど」



 苦々しく、嫌味を込めて答える。それでも当のアラスターはすました態度を崩さない。



「先程ぶりですご主人様。少しばかり、お渡ししたいものがございまして」



「渡したい物? 今更僕に何を渡す必要があるのさ」



「言い分はごもっともです。お疑いになる気持ちも分かります。ですが……送り込んだ手前言いにくいことですが、その格好のまま、この森を抜けるのは自殺行為かと存じます」



 言われて気づいた。


 そういえば今の僕は、いつも身につけているホルスターと万能袋以外は、完全部屋着のガウン姿だ。式のリハーサルを終えて礼服を脱いだのが夕方ごろ。襲われたのはそこから少し経った後だから、着替える余裕なんかなかった。


 確かに、動きにくいこの格好でモンスター蔓延る森を突破するのは至難の業だ。さっきだって、必死に避け続けていた事自体が運の良い事で、普通だったら服が引っかかって動けなくなったところを、美味しくいただかれていた事だろう。



「ですのでこちら、お召し物数点とその他必要になりそうな物を見繕ってお持ちしました」



 アラスターはそういうと、能力スキルで大きめの皮袋を出現させ、僕の目の前に差し出した。



「……受け取らないぞ。レオの差し金で変な魔法がかけられていてもおかしくないからな」



「ん、それについては大丈夫。ボクが見た限りじゃ、魔力残滓は見つからなかったから」



 いつのまにか僕の隣に来ていたグレモリーが、袋を受け取りそう告げる。


 それでも開ける事を躊躇っていると、「いらないならボクが貰っちゃうね〜」と勝手に袋の中を漁り始めた。


 それを見たアラスターの顔に、若干の驚きと困惑の表情が浮かぶ。



「……ご主人様、この子は……?」



「……この子はグレモリー。僕の袋に入ってたタロットカードの妖精だよ」



「なるほど……」



 アラスターが納得した表情でグレモリーを眺める。そのグレモリーは、目を輝かせながら袋の中の物を取り出して確認していた。



「コンパスに少しの路銀、後は地図と飲み水入りの瓶と、携帯食料……へぇ、執事さんは裏切った割に準備が良いんだね」



「……恐縮です」



「特に飲み水まで用意してるのは……って、おお、これは……!」



 すると、何かを見つけたのか、袋の奥をガサゴソとそこの方を掻き分け始めた。



「ほほう……! この時代にもこれがあるなんて……!」



「……っ!それは……!」



 そう言って取り出したのは、鮮やかな青色のローブだった。よく洗濯され、手入れが行き届いており、畳まれたフードや袖口からは、無数のルーン文字が刻まれているのが見える。


 それを見て僕は言葉を失ったが、反対にグレモリーは目を輝かせ、興奮気味に捲し立てる。



「高級感のあるツヤに肌触り良いフワフワの質感……! やはりこれはタリスマンギルドのローブ……! しかもこの高級品をここまで綺麗に出来るなんて……!」



「……勿体無いお言葉。当家のメイドが聞いたら喜ぶでしょう」



 ここまで表情を保ち続けていたアラスターの顔に、初めて笑みが浮かんだ。



「わざわざこんな貴重品を旅の荷物として持っていくって事は、察するにこれがステラの正装って事なのかな?」



「……あぁ、そうだ。そのローブは父からのプレゼントで貰って、家の仕事を行う時は必ずこれを着てたよ」



 そう言って僕はアラスターと目を合わせる。



「なぁ、アラスター、お前は何を考えている?」



「……どう、と申されましても……」



「惚けるな。この事がバレたら追放どころの話じゃないのは、お前なら絶対分かるはずだ」



 裏切られてから昨日の今日とはいえ、僕の私物はすぐに全て処分されていてもおかしくはなかった。そうでなくても、追放した者の荷物を保管しておく道理はない。


 その場で処分したと見繕ったとしても、僕があの格好をしているところを噂されたら終わりだ。そうなったら責任問題として最悪殺されてしまうだろう。


 そう、このローブを持ってくる事に、アラスターのメリットはない。寧ろ、それを行えるのは彼しかいない分、疑われるリスクの方が高くなる。


 そこまでして、持ってきた理由。


 その心当たりを、僕は知っている。



「なぁアラスター、質問させてくれ。ノストラ家に錆鉄の黎明団と繋がっていたやつは、レオ以外に何人いた?」



 その質問を口にした瞬間、すましていた彼の顔に、僅かながら動揺が走った。



「答えろアラスター。答えなかったら僕は自害してやる」



「ちょっ、ステラ……!?」



 隣でグレモリーが驚いていたが、それを手で制してアラスターを凝視する。


 彼は言うべきか言わざるべきか逡巡した後、観念したかのように肩を落とした。



「……二年前、新たに配属されたメイドと庭師の二人。どちらもレオ様が自ら雇い入れました」



「アイツ……」



 そんな早くから行動を起こしていたか。僕はその二人のことを知らないから、恐らくレオが命じて徹底的に会わせないようにしたのだろう。



「まぁ、入り込まれたのは仕方ない。問題は、何故それを分かっていながら僕に報告しなかった?」



「そ、それは……」



「大方、バラしたら僕を殺すと脅されたのか? 昔から、が僕に隠し事をする時は、決まって僕に危害が及ぶ時だったからな」



 アラスターの表情に怯えのようなものが走った。これはもう確定でいいだろう。同時に僕を殺されるリスクが低い場所に送り込んだことも、なんとなく察せられた。


 僕は溜め息を吐きながら彼に近づいた。



「なぁ、アラスター。僕はキミの中ではまだ子供か? 嘘をつかれてまで守ってもらわなきゃいけないほど、僕は頼りないご主人なのか?」



「そ、そんな事はございません! ただ私は、ご主人様の命を守るために……」



「それは僕も同じだ! あの日から十年、ずっと一緒にいたキミを守るためだったら、自分の命だって惜しくない!」



 叫びながら僕は彼の手を取った。



「アラスター、抱え込むのはやめてくれって前々から言ってるだろ? 確かに僕は魔術も武術も出来ない十七のガキだけどさ、それでも知恵比べなら少しは力になれる。もし知っていれば、何か手は打てたじゃないかな」

 


「ご主人様……」



「それに、どういうつもりか知らないが、奴は僕から能力スキルを封じるだけに留めた。それ以外に何も出来ることがないと連中が思っているなら、まだ打てる手はある」



 それでも未だにはっきりしていない事や分からない事が多すぎるが、それを今精査している時間はない。


 しかし、現状わかるのは殺されるにはまだ猶予がある事と、こちらには反撃の手段が残っている事。


 だとすれば、ここからしっかりと計画を練れば、充分奴らに一泡吹かせられる事は可能だ。


 僕はそう思いながら、アラスターを握る手に少しだけ力を込める。



「アラスター、僕はキミを疑ってしまった。脅されていたとはいえ、僕をここに追放したキミを、信じる事が出来なかった。けど、まだキミに、一欠片でも僕への信頼と忠誠が残っているのなら、僕を信じてくれ。僕にもう一度ついてきて欲しい」



 頼む、と僕は頭を下げた。

 


「……お人よしがすぎます。ご主人様」



 震える声に顔を上げると、アラスターが涙ぐんで見つめていた。



「何処まで貴方は優しいんですか! 普通だったら私のような裏切り者は処刑されて当然なのに! また貴方を裏切るかもしれないのですよ!? 最悪の場合は本当に殺されるかも——」



 堰を切ったように感じるアラスターの疑問と不安をほぐすように、僕はゆっくりと答える。



「キミは理由がなければ僕を裏切らないっていうのは、この一件で改めて認識したからね。もしそうなったら連中が絡んでるって事だろう。だから細かい報告は必ずする事。読心術とか使えないから、次やったら今度はホントに許さないからね?」



「ご主人様……」



「だから安心してくれ。僕は死なない」



 力強くそう言い切ると、アラスターはしばらく逡巡した後、覚悟を決めたように僕の足元に傅き、握っていた右手にキスを落とした。



「……かしこまりました。このアラスター、貴方のお慈悲に感謝し、命尽きるまで貴方の事を信じ、忠誠を尽くす事を誓います」



「うん。じゃあ改めて、これからもよろしくね」



 唯一気になる事は、結果的に彼には二重スパイじみた行動をさせてしまう事。


 それだけが少し心苦しいが、アラスターが危険を犯してまで僕を逃した事を、最大限意味あるものにしたい。


 そうでなければ、アラスターに報いる事は出来ないだろうから。



「……ん、話はもう終わった?」



 後ろの方から、暫く口を開かなかったグレモリーが、火に枝をくべながらそう尋ねた。



「あぁ、今終わったよ。ほったらかしにしててごめんね?」



「むぅ……ボクだけ仲間外れ。寂しかった」



「悪かったって。これからキミも交えて話し合おうと思ってたからさ、地図を出してくれると嬉しいんだけど」



 蚊帳の外にされた不満感を包み隠さない、むすっとした表情に苦笑いを浮かべつつ、僕はアラスターを連れて焚き火の側に腰を下ろした。



「ん……次から気をつけるように」



「分かってますよグレモリー様。さてそれじゃあ……始めようか」




 ——これからの作戦会議を。





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