第31話 動かざること山本崇

 皆さんはご存知だろうか。


『風林火山』


 武田信玄の旗印で有名なアレだ。


「其の疾きこと風の如く 徐(しず)かなること林の如く 侵掠すること火の如く 動かざること山の如し」


 風のように素早く動き、林のように静かさを保ち、火のように激しく攻め、山のように動揺することなく堅く守る……という意味である。


 だがここに御座おわすは、そんな事とは全く持って関係のなかったはずの男、山本崇やまもとたかし。通称『動かざること山本たかし』が居た。普通の平凡ないち高校男児である。


 彼の字名あざなの由来は簡単である。

 高校2年になってから、実に4回もの席替えがあったにも関わらず……その席は常に、変わらず、窓際の一番前の席だったのである。語呂が良かった事も手伝った。

 不動の男『山本崇やまもとたかし

 名に恥じず決して動じることがない男である。



 

 春先のことだ。その日は少しだけ暑く、エアコンをつけるような季節でもない為、教室の窓が全て開けられていた。

 強い風が教室の中を通り抜け、心地よさを皆に届けていた……のだが……


 山本崇やまもとたかしだけは違っていた。


 前列窓のカーテンだけ括られておらず、強い風にカーテンは舞い上がり山本崇やまもとたかしの顔を……いや、上半身を覆ったのである。


 英語の授業中であった。教壇に立っていた英語教師、坂木一雄さかきいつおは急に姿が見えなくなった前列の生徒に戸惑った。

 カーテンはピッタリと山本崇やまもとたかしに張り付き人型を形作っていた。 カーテンの一部が凹んだり膨らんだりを繰り返している。恐らくは口元であろう。息はしているようだ。

 しかし。しかしだ。昨今の学校のカーテンはエアコンの性能を考慮してか遮熱、遮光の機能が備わっているのである。つまりだ。

 分厚いのだ。

 分厚いカーテンに息を遮断されている山本崇やまもとたかし

 苦しいはずだ。はねのけたいはずだ。

 坂木は授業を続けながらも生徒を気遣う。

 自分でも意識しないまま黒板に一つの単語を書いた。


 survive生き残れ


 他の生徒には唐突に書かれた、この単語の意味が理解出来なかった。

 もちろん、この単語を贈られたであろう山本崇やまもとたかしにも分からない。そもそもカーテンが邪魔で見えないのだ。


 キーンコーンカーンコーン……


 終鈴が鳴る。


 坂木は教卓に置いてある教科書や資料を素早くまとめると


「今日はここまで」


 授業の終わりを告げる。クラス委員長が「きりーつ!」と皆を立たせた。


「礼!」


 一同が礼をして頭を下げる中、窓辺のカーテンの盛り上がりもシュルシュルと音を立てながら前に傾いた。


 それを見届けた坂木は安堵して教室を後にした。

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