第38話 卒業パーティーにて(後編)


 私は、学園の建物裏にあるベンチに座っていた。

 去年女であることがバレて、シンシア様へ事情を説明したあのベンチだ。

 私の隣には、ヒース様も座っている。

 あの後、居たたまれずパーティー会場を飛び出した私を、彼は追いかけてきたのだった。


「その……俺が勝手に話を進めたことを……怒っているのか?」


「……怒ってはおりません。ただただ、驚いただけです」


 たしかに以前、彼から私との将来も考えていると言われたし、『運命の人』であれば、身分差など全く問題ないとの話も聞いていた。

 それでも、侯爵家と平民ではさすがにあり得ないと思っていた。


「誤解しないでほしいのだが、俺は君が『運命の人』だから好きになったわけでも、求婚したわけでもない。そうと知る前から、君のことを──」


「ヒース様が誠実な方であることは、ルミエールとして三か月間傍で見ておりましたので、よくわかっております」


「そうか……それなら、いいのだが」


 心底ホッとしている様子のヒース様の横顔を、私はじっと見つめる。

 彼とボラ部で知り合ってからもうすぐ一年。あの頃は、こんな日が来るなんて思ってもいなかった。


 私の目的は、退学にならずに三か月間を無事に乗り切ること。一家離散エンドを回避することだけだった。

 それなのに、こんな貴族だらけの学園で好きな人ができるなんて、その人から結婚を申し込まれるなんて、今でもあまり実感はない。


「あの……平民の私に、『侯爵夫人』など務まるのでしょうか?」


「その件に関しては、母やテレサ、もちろん俺も全力で支援するから安心してくれ。それに、婚約をしても結婚はすぐにではないし、俺が侯爵を継ぐのはさらにもっと先のことになる」


 平民と違い貴族の結婚は様々な手続きなどがあり、最低でも婚約から一年はかかるそうだ。


「もし、君がよければ、その……婚約後に我が家に来てもらって、ダンスパーティーのときのように『侯爵夫人教育』を受けることも可能だ。前とは違い時間はたっぷりとあるから、詰め込み教育にはならないと思う」


「それは、大変有り難いです。ぜひ、お願いしたいと思います」


 いずれは覚えなければならないことなのだ。

 それならば、早いうちから時間をかけてやっておくに限る。


「結婚後は俺たちはあの離れに住むことになるから、君がいつ来てもいいように、さっそく受け入れ準備を整えておく」


「はい、よろしくお願いいたします」


 私が頭を下げるとヒース様は優しく微笑んだが、それから少し目を伏せた。


「急かさないと言ったのに、こんなことになってしまって本当にすまないと思っている。でも……君を他の男に奪われたくなかった」


「ヒース様……」


「君には不本意な結婚かもしれないが、少しでも俺のことを好きになってもらえるよう努力する。だから……」


 ヒース様の言葉に私はハッとする。

 彼は私へ気持ちを伝えてくれていたのに、私が彼へ気持ちを伝えたことは一度もなかったことに今更ながら気づいたのだ。


「あの……私は貴族の方々のことはわかりませんが、平民は余程の理由がない限り好きでもない人と結婚はしません」


「では、今回のことが『余程の理由』になるのだな……」


「ち、違います!」


 さらに落ち込んだヒース様に、私は言葉を選び間違えたと慌てた。

 

「私は『余程の理由』があっても、好きでもない人とは結婚できません! だから、ヒース様のことは、その……す、好きですよ」


「…………」


 ヒース様は、無言で目を閉じてしまった。

 もっと、きちんと気持ちを伝えるべきだったと猛省した私は、今度こそ慎重に言葉を選ばなければならない。

 絶対に失敗は許されないのだから。


「ヒース様、私は──」


「……申し訳ないが、もう一度言ってくれないか?」


「えっ?」


「先ほどの君の言葉が、俺の幻聴かもしれないからな」


「げ、幻聴……」


 目を開けたヒース様がとんでもないことを言い出した。

 でも、私へ綺麗な紺色の瞳を向ける彼の表情は真剣で、冗談を言っているわけではないようだ。

 私は覚悟を決め、一度深呼吸をした。


「えっと……私も」


「……」


「ヒース様のことが……」


「……」


「……好きです。だから、嫌々結婚するわけではありません。それだけは、誤解しないでください!」


 なんとか気持ちを伝えきった私は、スッと立ち上がる。

 恥ずかしくて、もうこれ以上彼と顔を合わせることも、隣に居続けることも無理だ。パーティー会場へ一分でも一秒でも早く戻りたい。

 しかし、私の願いは叶わなかった。

 後ろから、ヒース様に抱きしめられてしまったのだ。


「……俺の傍にいてほしい」


 耳元で囁かれる言葉が甘くて、体が痺れたように動かない。


「いつからだ? 君がそう思ってくれていたのは」


「…………」


(そ、そんなこと、聞かないで……)


「答えてくれるまで……離さない」


 さらにギュッと力強く抱きしめられ、私は心の中で悲鳴を上げる。


「だ、ダンスパーティーの日から……です」


「そんな前から。では、俺はあの時、もっと勇気を出せばよかったのだな。回りくどいことをせずに……」


 ため息を吐いたヒース様は、ようやく私を離してくれた。

 鼓動が激しく心臓が痛い。

 胸に手を当て息を整えていると、彼が正面に立った。


「会場へ戻る前に、指輪を受け取ってほしい」


「……はい」


 そういえば、私は逃げるように会場を飛び出してきたので、受け取らないままだった。

 非常に申し訳なく思いつつ、手を差し出す。

 ヒース様が嵌めてくれた指輪は、私の指にピッタリのサイズだった。

 「とても良く似合っている」と嬉しそうに笑う彼に、私も笑顔になる。


「ヒース様、これからよろしくお願いいたします」


「こちらこそ。俺の生涯をかけて、君を絶対に幸せにする」


 私の手を取ると、ヒース様はそっとキスをした。

 以前、同じことをユーゼフ殿下からされたときは驚いて頭の中が真っ白になったが、今は違う。

 心がポカポカと温かく、とても幸せな気分だ。

 私は彼のことが好きなんだなと、改めて再確認してしまった。


「手への口付けはユーゼフに、抱擁はランドルフに先にされてしまったことが、今思えば非常に腹立たしいな……」


 ヒース様の言葉に思わず笑ってしまった。

 たしかにその二つはそうなのだが、他のものは──


「でも……手を繋いだり、キク坊に二人乗りしたり、ダンスを踊ったのは、ヒース様とが初めてですよね?」


「それは、そうだが」


 それでもまだ不満が残るのか、ヒース様は眉間に皺を寄せた顔のままだ。

 彼のトレードマークともいえる表情で私は好きなのだが、不満は解消してあげたい。

 あることを思い付いた私は、彼に少し屈んでもらうようお願いをした。


「これで、いいのか?」


「はい。では、失礼します……」


 そう言うと、私はヒース様の頬へキスをした。恥ずかしいから、軽く触れる程度のものだ。

 これで少しは、彼へ気持ちを伝え忘れていた私のせめてもの罪滅ぼしになればいいのだけれど。


「私がこのようなことをするのはヒース様、あなただけです。それでも、まだご不満ですか?」


「い、いや……ありがとう。その……とても嬉しい」


 良かった……と私が微笑むと、少し顔の赤いヒース様も笑顔になった。

 

 この後、会場へ戻った私たちは、ユーゼフ殿下の号令のもと皆から盛大な祝福を受けたのだった。


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