第22話 繋がれた手


 離れにある客室で、私は穏やかな顔で眠るヒース様に付き添っていた。


 意識を失った彼を、ヨハンさんたちはすぐにベッドへ寝かせようとした。しかし、離れは普段使用していないようで、綺麗に整えられた部屋が私のいる客間しかなかった。

 テレサさんとアンナさんはすぐに別の部屋を整えると言ったが、この離れには事情を知る三人以外は立ち入り禁止となっているため彼女たちの負担が大きい。それに、いつまでもヒース様をそのままにしておくことが忍びなかった私は、この部屋を使ってもらうよう申し出た。

 シーツやカバーは交換してもらったので、急場しのぎということでヒース様には許してもらいたい。


 ドアが静かにノックされ、テレサさんが入ってきた。彼女は、先ほどまで治療をしていた治癒士を見送りに出ていたのだ。


「ルミエラ様、少し休憩をいたしましょう」


「でも……」


「術士の方も仰っていましたよ。二、三日ですぐに良くなると」


 幸いヒース様は骨折をしておらず、打撲だけの軽症で済んだ。

 治癒士が治癒魔法を掛けたのでもう大丈夫だとテレサさんは微笑んでいるが、私は申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 私がしっかりしていれば、ヒース様を巻き込むことはなかったのだから。


「あなたがそんなお顔をされていては、目を覚ました坊ちゃまが心配をされます。いつもの笑顔を見せてください」


 そう言うと、テレサさんはお茶の準備のため再び部屋を出て行った。

 彼女が桶に入った水を持ってきてくれたので、布を濡らして絞り、ヒース様の額の汗を拭く。熱は無いのに汗をかいているのは、上に掛かっている寝具が彼には暑すぎるからだろう。

 寒い季節でもないのに手足が冷えている私のためにテレサさんが余分に用意してくれた物なので、そっと一枚剥いでおくことにした。


 しばらくして、ヒース様が目を開けた。


「アストニア様、ご気分はいかがですか?」


「……ここは?」


「大変申し訳ないのですが、わたくしがお借りしている離れの客間です」


「そうか……」


 ここに寝かされたことに関しては特に触れず、ヒース様はゆっくりと起き上がると辺りを見回した。


「テレサの姿が見えないようだが」


「今は、お茶の用意をしに本邸のほうへ行かれています」


 離れの厨房もずっと使用されていないため、一々本邸まで取りにいかなければならないのだ。


「アストニア様、この度は誠に申し訳ございませんでした」


 私が深々と頭を下げ謝罪すると、ヒース様は首を横に振って微笑んだ。


「今回のことは、君へ負担をかけている我々に非がある。だから、気にする必要はない」


「でも……」


「俺は、君が無事でホッとしている。大事な妹を預かっているのにケガをさせたとなれば、ルミエールへ顔向けができないからな」


 穏やかな紺色の瞳が優しいまなざしを向ける。

 そういえば、眼鏡を掛けていないヒース様の顔を拝見するのは初めてだ。

 凛々しいお顔がよく見え、見つめられただけでドキッとしてしまった。


「アストニア様には、大変良くしていただいております。ですから───」


「……ヒースと」


「えっ?」


 私の言葉を遮りぽつりと呟いたヒース様は、そっと目を伏せた。


「家名ではなく、ルミエールと同じように……名で呼んでくれないか?」


「わたくしまで、いいのでしょうか?」


「もちろん、構わない」


「わかりました。では……『ヒース様』と」


 私の言葉に、ヒース様の瞳がパアッと輝いたような気がした。

 正直に言えば、私としても呼び名を統一してもらえるのは大変有り難い。

 気を抜いていると、ルミエールに扮しているときのように『ヒース様』と呼びかけてしまいそうになるのだ。


「実は、君にもう一つお願いがある」


 そう言うと、ヒース様は私から目を逸らす。

 彼のいつもの癖に、何か言いづらいことがあるのだと察した私はおとなしく待つ。少し逡巡したヒース様が口を開いた。


「先日、病院の慰問でルミエールが『おまじない』を使ったことは知っているか?」


「はい、知っております(本人ですので)」


「あのおまじないは、元々君から教わったと彼は言っていたが、それは本当なのか?」


 兄には私の行動を逐一報告しているので、ルミエールもこの件は把握している。

 でも、私自身がヒース様とおまじないの話をした記憶がない。

 ……ということは、先日私が先に馬車へ乗り込んでいた時に、二人がこの話をしていたことになる。

 このおまじないは、前世の記憶に基づいており私しか知らない。突然ヒース様からおまじないについて聞かれた兄が、咄嗟にそう答えたのだろう。

 なぜ、ヒース様が兄へそんな話をしたのかわからないが、ここは話を合わせなければならない。


「はい、本当です。昔、子供のころにどこかで読んだ絵本に描かれていたものを兄へ話したのだと思いますが……」


 ここは、あえて言葉を濁しておく。


「それと、君たちの父上は、仕事の関係で国内各地をよく訪れているそうだな。幼い頃の君らはそれについて行って、我がアストニア領にも行ったことがあると聞いた」


「それは、兄が言ったのでしょうか?」


「俺が前に質問したことを、ルミエールが両親へ確認をしてくれたようだ」


 ヒース様から「アストニア領へ行ったことはあるか?」と二度も聞かれ、気になった私が兄へ尋ねた時は彼も記憶になかった。だから、その後に両親へ聞いたのだろう。

 私と違い、不明な点はそのまま放置せずきちんと確認を取る……さすが、兄は『できる男』だ。


「わたくしも記憶にありませんが、両親がそう言うのであれば、そうなのでしょう」


「それで、お願いというのは、俺にも……おまじないを掛けてほしいのだ」


「まだ、お体がどこか痛みますか?」


 心配になって尋ねた私に、ヒース様は首を振って「俺の気持ちの問題だ」とだけ答えた。

 しかし、妹であるルミエラは治癒魔法が使用できるかは曖昧にしているため、おまじないを掛けることには躊躇してしまう。


「君にも使えるはずだ。俺の言う通りにやってみてくれ」


 私の迷いを、自信の無さと受け取ったのだろうか。ヒース様は、はっきりと断言した。

 少し迷ったが拒否するのも不自然なため、素直に従うことにした。


「俺の両手を握って、おまじないを掛けてくれればいい」


 差し出された手を握ると、「……も、手がひんやりしているのだな」とヒース様が呟く。


(今も? 君も?)


 おそらく、以前に魔力の流れについて教えてもらったときも、ルミエールの手が冷たかったのだろう。


「では、いきますね。『ちちんぷいぷい…』」


 ヒース様の体の痛みが少しでも和らぎますように……と、心をこめておまじないを唱えた。

 終わったあとも彼はずっと目を閉じていたが、しばらくするとゆっくりと目を開け私のほうを向く。


「ありがとう。おかげで、体が軽くなったような気がする」


 良かったと私が笑うと、ヒース様も微笑んだ。

 おまじないが終わったので手を離そうとしたところ、今度は逆に彼が握りしめてきた。


「実家の商会は、ルミエールが跡を継ぐと聞いた。君は、今後はどうするつもりなのか?」


「兄が結婚するまでは、家業を手伝うつもりでおります。その後は、私にも治癒魔法が使えるのであれば、それを活かして病院か治療院で働けたらと思っております」


「その……失礼だが、結婚については?」


「特に考えておりません。決まった相手もおりませんし」


「仲の良い幼なじみがいると思うが、その彼との結婚は……」


(仲の良い幼なじみ?)


「もしかして……ハルのことでしょうか?」


 尋ね返すと、ヒース様が大きく頷いた。

 そういえば、清掃活動のときに彼もハルと会っていたことを思い出す。

 たしかに私たち三人は仲が良いが、私とハルの間に恋愛感情はない。


「彼とは友人ですので、今後も結婚はないかと思います」


「そうか……」


 明らかにホッとしたような表情になったヒース様は、ギュッと手に力を入れた。

 彼におまじないを掛けるために握りしめていた手は離すタイミングを逃し、ずっと繋がれたままだ。


「君に折り入って、相談がある」


 サファイアのような輝きを放つ瞳はまっすぐに私を見つめていて、視線を逸らすことを許してくれない。

 思い返せば、ヒース様は最初からルミエラをこうして見ていたような気がする。


「俺の昔話を、テレサから聞いていると思うが」


「あっ、えっと……その、そうですね」


(『ある昔話』って、どの昔話のことだろう?)


 テレサさんとはその後も何度かお茶会をしたのだが、その度にヒース様の幼い頃の可愛らしいエピソードを披露してくれるので、彼の言う昔話がどれのことかわからない。

 幼少の頃のヒース様は虫が苦手だったとか、今でもどうしても食べられない野菜が一つだけあるとか、一つ一つテレサさんから聞いたエピソードを挙げていくと、ヒース様が顔をしかめた。


「……テレサは、君にそんなことまで話をしたのか?」


「はい。とても微笑ましく拝聴させていただきました」


 私がニコニコしながら答えると、ヒース様は気まずそうにコホンと軽く咳をした。


「俺が言っている昔話はそれではなく、幼少の頃に出会った少女の話だ」


「ヒース様が出会った、少女の話……」


(これは、もしかしてあの話では)


 テレサさんと初めてお茶会をしたときに聞いた、『ヒース様の初恋の話』。


「領地でケガをされたヒース様を、治癒魔法で治したという女の子の話ですか?」


「その話だが、実はつい最近その彼女と再会することができた」


「えっ!? 本当ですか?」


 目を丸くして驚いている私に、ヒース様は大きく頷く。


「……しかし、残念ながら彼女はそのことを覚えていないようなのだ」


「そうでしたか……」


 ヒース様の初恋が実るかもしれない!と喜んだのも束の間、悲しいお知らせだった。


「どうしてもあの時の礼を彼女へ伝えたいのだが、俺はこれからどうすれば良いと君は思う?」


「お相手の方が覚えていないのであれば、まずはその方と親交を深められたらいかがでしょうか? それから、改めてその時の話をされた上でお礼を伝えられたら良いのではないかと」


「なるほど、いきなり相手へ礼を伝えるよりも、そっちの方が良いかもしれないな」


 納得したように、ヒース様は何度もうんうんと頷いている。


「あの……その方は、今度のダンスパーティーには参加されるのでしょうか?」


「その予定だが」


「でしたら、ちょうど良い機会ですね」


 ヒース様には、ぜひとも『初恋の君』と交流を深めてもらいたい。

 もしヒース様が彼女のことをまだ想っているのであれば、気持ちを伝えるべきだと私は思う……が、無責任に行動を煽ることはできない。

 本人がどうしたいか、それが一番大事なのだから。


「その……もし君が、ただの知り合いの男から『好きだ』と告白をされたら、どうする?」


「その方との関係性にもよりますが、まずはビックリするとは思います」


 友人でもない人からいきなりそんなことを言われたら、誰だって驚くはず。


「ハハハ、やはりそうか。うん、焦らずゆっくりと親交を深める……だな」


 ヒース様が一人で納得をしていると、ノック音がした。

 お茶の用意を持ったテレサさんが戻ってきたようだ。

 ヒース様は私の手をそっと離す。

 しっかりと繋がれていた両手はいつの間にかポカポカと温かくなっていて、それが離れてしまったことになぜか一抹の寂しさを感じた。


 その後、ソファーに座り私とお茶を飲んだヒース様は、しっかりとした足取りで本邸へと帰っていったのだった。


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