第20話 ヒースの回想(前編)


「ヒース様! ヒース様!」


 ヒースには、自分の名を呼ぶルミエラの声が聞こえていた。

 

 学園内ではルミエールにふんしているルミエラは、ヒースのことを『ヒース様』と兄と同じように名で呼ぶ。しかし、屋敷に戻ると『アストニア様』と呼び名が戻ってしまう。

 ルミエールへ告げたように彼女へ「『ヒース』でいい」と伝えるだけなのに、彼はその一言がなかなか言い出せずにいた。

 ようやくルミエラから名を呼んでもらい、嬉しさがこみあげる。

 彼女の声に今すぐにでも答えたいが、体中に激痛が走り、これ以上声を出すことも動くこともままならない。


 そして、ヒースの意識は闇に沈んだ。



 ◇◇◇



 ヒースが初めてルミエラと出会ったのは、六歳のときだ。

 

 アストニア領内にある、国内では観光地として有名な美しい湖を望む地に、アストニア侯爵家の別荘がある。

 暑い季節になると、毎年家族で避暑に訪れている場所だ。

 例年通り今年もこの地にやってきたが、今回は父親とヒースの二人だけ。正妻である義母ははの姿はない。

 彼女は体調が優れず、王都に留まることになったのだ。

 アストニア侯爵家に子供はヒースしかおらず、兄弟・姉妹はいない。そして、ヒースは正妻の子ではなかった。


 元々あまり体が丈夫ではなかった正妻には子が出来ず、父親はやむなく妾をとったのだが、これは正妻の希望でもあった。

 由緒あるアストニア侯爵家の血を途絶えさせてはならないと自ら望み、相手を選び、父親に引き合わせたとヒースは聞いている。

 義母の遠戚であった実母は己の立場をわきまえていたのか、ヒースを産んだあとはずっと領地にある別邸に引きこもり、表に出てくることはなかった。

 アストニア侯爵家の者は、義母も家人も皆ヒースを可愛がってくれた。

 それでも、実母を恋しいと思う彼の気持ちは抑えられず、ある日周囲の目を盗みこっそり別荘を抜け出す。

 実母のいる別邸までは、子供の足でもすぐにたどり着ける……はずだった。



 ◇



 辺り一面、畑が広がるのどかな田園地帯。その近くの木陰で、ヒースは座り込んでいた。

 歩けど歩けど別邸にはたどり着けず、とうとう道がわからなくなり迷子になってしまったのだ。

 別荘の敷地から脱け出す時に生け垣に空いた小さな穴を無理やり潜ったため、肘や膝などあちらこちらに擦り傷ができ血が滲んでいる。

 ケガと暑さで疲労困憊。ヒースは、もう一歩も動けなかった。


「ねえ……ここで、なにをしてるの?」


 ふいに幼い声が聞こえた。

 ヒースが後ろを振り向くと、大きな麦わら帽子を被った男の子が立っている。

 白に近い銀髪に白い肌、白のシャツと半ズボンという白一色の中、帽子のつばの奥から赤褐色の瞳が不思議そうにヒースを見つめていた。


「道に迷ったんだ」


「そっか……。で、どこに行くの?」


 父や従者たちからは、見ず知らずの者と軽々しく口を聞いてはいけないと教えられていた。

 しかし、相手は自分と同年代と見られる子供だったこともあり、つい気が緩んだ。


「青い屋根のお屋敷。たしか、この辺りにあるはずなんだけど……」


「もしかして……お庭にフンスイのある家?」


「そう、そこだ!」


 実母のいる別邸の庭園には、父親が彼女のために作らせた噴水がある。

 豊富な湧水を利用したそれは、毎年この季節には皆の憩いの場所となっていた。


「そこなら知ってるから、いっしょに行ってあげる!」


 男の子はそう言うと、ヒースへそっと手を差し出してきた。

 小さな白い手を握ると、外は暑いのになぜかひんやりと冷たい。


「あれ、ケガしてる……」


 立ち上がったヒースの肘や膝を見て、男の子が目深まぶかに被っていた麦わら帽子を外し顔を近づけてきた。


「うわ……いたそう」


「そ、そんなに痛くはない!」


 しかめっ面をした彼に虚勢を張ってみせたヒースだったが、あらわになった驚くほど整った綺麗な顔立ちに思わずドキッとしてしまう。


(この子、女の子だったんだ……)


「わたしが、おまじないをしてあげよっか?」


「おまじない?」


「うん。わたしのおまじないは、すごいのよ!」


 得意そうに胸を張る女の子は、ヒースの両手をしっかりと握りしめた。


「『ちちんぷいぷい、いたいのいたいの、とおくのお空に飛んでいけ!』」


(チチンプイプイ……?)


 どこの国の言葉かわからないおまじないを女の子が唱えると、さっきまでひんやりと冷たかった彼女の手がだんだん温かくなってきた。

 それに釣られるようにヒースの体温も上昇し、何とも言えぬ心地良い感覚が体中を巡る。

 時間にしてほんの数秒の出来事だったが、肘や膝の痛みが嘘のように消えていた。


「すごい……傷痕も残っていない。これって、治癒魔法じゃないか!」


 ヒースは思わず叫んでいた。

 以前、彼は父親から聞いたことがあった。多くの貴族が持つ魔力には様々な属性があり、その中でも光属性を持つ者は病気やケガを治すことができるのだと。


「ちゆマホウ? よくわからないけど、ただユメみたいにジュモンをいうだけで、ケガがなくなっちゃうの。ホントふしぎだよね~」


 女の子は『ただ唱えるだけ』と簡単に言ったが、それが難しいことをヒースは知っている。

 彼は三歳のときに受けた検査で、『火・水・風』の属性があると言われた。

 父親や家庭教師から魔力について教えてもらってはいるが、いまだ上手く魔法を発動させることはできない。


「ホントはね、このおまじないはだれにもナイショにしてるの。家ぞくにも」


「えっ!? どうして?」


「マホウをつかうと、『マジョ狩り』になるって本にかいてあったから……」


 女の子の言う『マジョガリ』がどういう意味なのか、ヒースにはわからない。ただ、話をしている彼女の表情は真剣そのもので、とても冗談を言っているようには見えなかった。

 だから、「このことは、ぜったいにナイショよ!」と言われた言葉に、ヒースは頷くしかなかったのだ。


「……君、歳はいくつだ?」


「五さいよ」


 女の子はヒースの一つ下だった。

 本当は恩人の名を尋ねたかったのだが、そうなれば自身も名乗る必要が出てくる。

 見知らぬ者にむやみに名乗ってはいけないと厳しく教えられてきたヒースは、言い付けを素直に守り女の子へ尋ねることを諦めた。


 女の子はヒースを別邸の近くまで送ると、すぐにきびすを返す。


「あの、今日はありがとう!」


 ヒースが後ろ姿に声をかけると、振り返った女の子は笑顔で手を振り返してくれた。


 別邸に着いたあとのことは、ヒースはあまりよく覚えていない。

 実母の顔を見た途端に彼は倒れて熱を出し、母からの連絡で父親が駆けつけてきた。別荘ではヒースが行方不明となり、大騒動となっていたのだ。

 結局、ヒースはそのまま別邸で療養することを許してもらい、一週間後別荘に帰ることとなった。



 それから一年後、義母は亡くなり、彼女の遺言により実母が正妻となる。



 ◇



 その後、王都へ戻ったヒースはあの女の子を捜すことにした。

 透き通るような白い肌。見つめていると吸い込まれそうになる瞳がどうしても忘れられず、もう一度彼女に会いたかったのだ。


 魔力持ちであれば貴族の子供に間違いないため、ヒースはこれまであまり気乗りしなかった社交の場へ積極的に参加することにした。

 また、あの子とはすぐに再会できる。

 ヒースは安易に考えていたのだが、その考えは甘かったようだ。

 女の子と同じ髪色を持つ子を必死に捜すが全然見つからず、ただ時間だけが過ぎていった。


 十歳で初等科へ入学してからは、ヒースはさらに捜索に力を入れる。

 もしかしたら、彼女の兄弟や姉妹が学園に在籍しているかもしれない。そう考えたのだ。

 そして一年後、ヒースは進級し初等科には新入生が入ってきたが、彼が期待していたあの女の子の姿はどこにもなかった。

 心のどこかである程度覚悟はしていたが、ついに認めざるを得ない。女の子は他国の貴族で、観光客としてこの国に滞在していただけなのだと。


 こうして、数年間に及ぶ捜索活動とヒースの初恋は幕を閉じた……はずだった。

 まさか高等科で再会することになるとは、彼は想像もしていなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る