Hypothèque
去年だったかな、会社の飲み会で怖い話をする流れになって。その時に上司のY課長が話してくれた体験談なんですけど。
課長が大学生の頃、同じゼミにいたS君って人が急に大学に来なくなっちゃったらしくて。
ゼミの中でも、課長が入ってた…なんて言うんですかね、複数人で構成された飲み友達というか、仲良しグループの中の一人だったみたいで、心配になって。今みたいにスマートフォンもない時代だったんで、家に電話を掛けるぐらいしか安否を確認できる方法がない。で、その電話に出ない。
そこで、課長の提案で友達数人と一緒にS君の家に様子を見に行ったらしいです。
で、家に行ったらS君、普通に超元気な感じで出てきて。
「おう、お前らどうした?随分急だな」
ってまるで何事もなかったかのように出て来たんで、いや「どうした」はこっちの台詞だよ、ってツッコんだりして。
…こういう話、連絡の付かなくなった人の家に行くと完全にやつれていて、髭がぼうぼうで髪もぼさぼさで、みたいなのがセオリーじゃないですか。
むしろ逆で、妙に小奇麗だったらしいんですよ。S君は無精ひげを剃らないまま大学に来るような割とだらしないタイプのはずなのに、剃り残しひとつない、つるっつるの綺麗な顔で出て来たらしくて。
しかもやたらテンションが高い。なんかいいことあったときに、完全に顔に出ちゃう人っているじゃないですか。S君はまさにそういう人だったらしいんですよ。で、どう考えても「良いことがあったとき」の感じなんだと。
で、なんで大学に来なくなったのか、なんで電話しても出ないのか、ということを訊いてみたそうなんですが、これがイマイチ判然としない。
「まあ、色々やっててさ」
みたいな感じで変な風に濁されて、詳しく教えてくれない。
だから家に行ったみんなは、もうその時点で微妙な不自然さを感じたみたいで。
それでS君が、こんなところで立ち話もなんだから上がってよ、みたいなことを言ったので、そこでみんな家に上がらせてもらったらしいんですけど。
S君の家はかなり古い、畳敷きの…ワンルームに近い間取りのアパートで。
一応狭いユニットバスは付いているけれど、あとはコンロと流しだけの簡素なキッチンと、八畳ぐらいの小さなリビングがあるだけの部屋だったそうで。
リビングに、日差しを出来るだけ多く取り入れるためなのか、狭さを感じさせないためなのか、よくわかんないんですけど…ともかく部屋の広さの割にかなり大きな窓が付いてたらしいんですよね。
その窓のカーテンが閉め切られていて、だからか昼なのに部屋の電気が点いている。
で、窓のカーテンレールに、プラスチック製の黒いハンガーが掛かってて。
そこに、薄い桃色のワンピースドレスがかけてある。
S君が鼻歌を歌いながら、冷蔵庫からビールを出して来て、全員で乾杯して。
飲みながらいろいろ喋ったらしいんですけど、S君以外のみんなは正直、それどころじゃない。
S君、彼女いないんですよ。
なのに、めちゃくちゃ目立つところに女物の服がかけてある。
S君の妙なテンションと、昼間なのにカーテンを閉め切って電気を付けている部屋、というシチュエーションの異様さとで、みんな内心パニックだったそうです。
しばらく話したところで、S君が気を利かせてつまみを補充するって言って、コンビニかどこかに買い出しに行ったそうで。
家主がいなくなったタイミングで、みんなで話し合って色々それらしい理由を考えてみたらしいです。例えば、大学を休んでいる間に彼女が出来たんじゃないか、とか、実はS君は女装をする趣味があるんじゃないか、とか。
でも結局どの説を採用しても、いきなりワンピースドレスが一着だけ部屋の目立つところにドンと掛けてある現状と繋がらない。
だから、良い感じに場が温まったら、本人に訊くしかない。そう結論付けたところで、丁度S君が帰ってきた。
またみんなで暫くだらだらと雑談をして。
お酒の力もあって、しばらく話しているうちに良い感じに場がほぐれてきたそうで。
そこで課長が意を決してS君に訊いてみたそうです。
「なあ、ずっと気になってたんだけどさ、…この服何?」
「ん?…ああ、それ?」
酔いで若干とろんとした目で、ワンピースドレスに視線を向けたS君はただ一言
「これはね、預かってるの」
とだけ言ったそうで。
それを聞いた他の人が、
「え、預かってるって誰から?」
とか、あるいはちょっとユーモア含みで
「お前に服を預けてくれるような仲の女なんていねーだろ!誰だよ!」
みたいな感じで訊くんですけど、S君は
「いやぁ…、それは言えないの」
「ごめんね、誰とかっていうのはホント言えない」
みたいな感じで、教えてくれない。
しかも、それを言っているS君の表情が、まるで惚気話や照れ隠しをしているときのそれだったそうで。みんなが不気味に思い始めた刹那。
部屋のどこかで、ばさっ、という音がして。
音のした方を見たら、さっきまでカーテンレールにかかっていたワンピースドレスが、下に落ちていた。
落ちたのは服だけで、ハンガーはカーテンレールに掛ったまま揺れている。
その状況が物理的におかしかったそうで。
かかっていたワンピースドレスの襟元はワイシャツなどに近い形の、とても狭めのものだったそうで、ちゃんとボタンも閉められていた。だから自然にハンガーから外れてしまうことはまずない。
もちろん、みんな座っていたから誰もハンガーに触っていない。
その状態で、服だけが綺麗に床に落ちることはあり得ないはず。
みんなが固まっていると、S君がバツの悪そうな笑顔を見せて、
「な?」
とだけ発したそうで。
それでみんな、もうとてもじゃないけどS君の家にはいられなくなって、適当な理由を付けて逃げ出すように退散して。
その帰り道、一緒に行った人たちのうちの、一人の男の子が。
「あのさあ、あまり気にするのもなんだな、と思ったし、関係あるかどうかもわからないから言わなかったんだけどさ。あの部屋の天井板、一枚だけズレてたんだよね。…関係あんのかなぁ。嫌だな」
って言ったそうで。
結局S君はそのまま大学を退学してしまったそうで。
S君の家に行った日以降、気味が悪くなった課長たちは彼のことをあまり積極的に追いたがらなかったそうで、退学した後S君が一体どうなったかについては、もうよく分からないそうです。
先日、体験談をこうやって話す承諾を取ることも兼ねて、課長に改めてこの話の細かい部分について色々訊いたんですけど、その時に
「Sん家の住所とか控えてたらあそこが曰く付き物件かどうかとかわかったかもしれないけど、まああんまり調べすぎてもね」
って笑ってましたね。
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