映画に興味がないAさんの場合
【CAPA】
>【毛細管現象】
【マディーナ州】
>【アルメリア県】
>【荒川】
【マッペン】
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眼前に広がる砂漠の上を乾いた風が撫で、思わず眉をしかめた。
映画ファンのために組まれたスペインツアーの経由地点として、タベルナス砂漠なる場所まできたは良いが、ここでアラビアのロレンスのロケが行われたなどと言われてもピンとこない。どころか、そもそも映画に興味がないものだからこのツアー自体に退屈を感じていた。
ああ、星のめぐりの悪さだ。
尚も吹き続ける乾いた風の向こう、日の光の成れの果ての先を空想しながら一月前へと思いを馳せる。きっかけは同じように風の吹く、けれどそれ以外が正反対の場所。荒川の河川敷から初まったのだ。
「この橋を侍が通ったと思うと、ワクワクする。君もそう思うだろう?」
そう問われて顔をわずかに傾けて視線を後ろにやれば、川のおもてを輝く瞳で眺める、よく見慣れた青年が目に入った。
彼の瞳と同じく、水面もまだらに輝いていれば絵になったかもしれないが、あいにくの雲模様で輝くのは彼の眼差しばかりである。
それを曇らせることには多少気が引けたが、それよりも帰り道の空虚さに耐えかねて相手をすることにしたのだったか。
「そうかしらねぇ」
と返せば、気のないことを見破られたか否か、そうだとも、と増々の興奮。
「この橋の上を300年も前の人間が通ったんだ。しかも、何人も。歴史の重みに耐えてきた橋の上を今も人が通るというのは、心が踊るじゃないか」
ああ、そう。と返したのはイマイチ興味が持てなかったこともある。しかし、それ以上の理由もあった。これを言ってしまえば彼もさぞ落胆するだろうからと努めて口に出さぬようにしていたのだが、彼の御高説が止まらぬ上に激しさを増すものだから、段々と苛立ちも募ってくる。
わずかばかりの仏心と人間らしい邪念のせめぎあいは、毛細管現象のように苛立ちがじわじわと心のスキマを埋めることで徐々に決着へと近づいていった。
「で、あるからして、僕達はこの景色をだね」
「なあ、我が友、我が級友、我が道行きの連れ合いよ。お前の言うことはいかにも最もだが、ここで一つ私の言葉に耳を傾けるつもりは有るや否や」
せいぜいが仰々しく掛けた私の声に、彼は眉を上げて驚いたが、口を閉じて話を聞く姿勢に入る。
「確かにこの橋は古い。古いが、おそらく侍は渡っていないんじゃないかな。なにせほら、この橋は明治に架かったものだから」
実にこの通りで、古い橋とはいえ江戸の頃からあったわけでもなく。侍が生き残っていた時分には人足が担ぐなり台に乗せるなりで人を渡したのであった。故に、川辺の石と言うならばともかく、少なくとも橋が侍を見てきたかとは、甚だ疑問である。
ところが、彼はそれを聞いても残念そうな素振りも見せず、眩しいものを見るかのように私を見る。
その仕草に思うところもあり、眉間にシワが寄るのを感じると、弁解のつもりか馬鹿にしたわけではないと言いつつ立ち止まる彼。つられて私も足を止めると、彼は肩をすくめて言った。
「この橋が江戸の時代になかったことは知っているさ。そもそも架けられてから一度流されているしね。けれど、見てご覧よこの姿を。まるで江戸の時代にかかっていてもおかしくない」
言わんとするところを掴みかねて思わず唸り声が出る。それを促されたと感じたのかどうかは解らないが、彼は酔ったように言葉を続けた。
「だからこそ、多くの映画が、ドラマが、ここで撮られたのだ」
「いや、それは侍ではないのでは」
思わずツッコミをいれてしまうが、彼は笑顔のままである。
「確かに役者は侍ではないさ。しかし、役者の役は侍であり、町人であり、商人だった。その説得力をこの橋は備えているのだ」
そして、と指をこちらに突き出しながら前置きをして輝く瞳と共にこちらを向く。
「その説得力を持った橋を渡る僕達にも同じく説得力が伴ってくる。そうは思わないか」
「思わない」
そう言いながらも目をそらしたのは、嫌気が差したというわけではなく、気恥ずかしさ以上の後ろめたさを確かに感じたからだったはずである。
君は想像力が足りないねえと困ったような笑い声を横に聞きながら、鼻を一鳴らしすると歩みを再開したのだが。そのまま橋をわたりきったところで彼が突拍子もない事を言いだした。
「アルメリア県に行こう」
その言葉には思わず足が止まる。そもそもどこの国かもしれない土地の名前に考えが凍ったというのもあったが、これまで旅行に誘われたこともなかった男からのいきなりの誘いに、どうすればよいかわからなかったのである。
「何の件よ」
「アルメリアには砂漠があるんだ。あのアラビアのロレンスが撮られた砂漠が。他にもウェスタンも何本も取られているんだ、あの雄大さは説得力がある」
「あなたの言葉には説得力がないけれどね」
たはぁと笑う彼を見ながらも、やはり彼の真意を掴みかねる。それなりに長い付き合いではあるが、突拍子もなく突拍子もないことを言い出すのには慣れたつもりでなかなか慣れない。
しかし、彼の突拍子もない発案が不思議と良い結果に収まるのだからまた不思議なもので。ちょうど彼も私もまとまった休みが取れそうだというからそのあたりに行ってみましょうと決めてから一月後の今日。予定通りにアルメニリアへと足を運んだのだ。私だけ。
あの男は直前になって足の骨を折って入院。旅券は別々に取っていたので返すのももったいないということで一人スペインくんだりまで来たのである。
もちろん料理などは美味しかったが、ツアーの本題である映画のロケ地を回ってみてもそうですか以上の感慨は湧くことはない。これが想像力の足りなさかと思いつつ、ふと彼と共に来ていたらどうであったかと思いを馳せた。きっと、荒川の一幕のようにやいのやいのと言いながらなんだかんだと楽しんでいたかもしれない。
乾燥した空の憎らしいような青色の下。鈍色の雲の下で話したことを思うと、いつも当たり前のようにあった後ろの「説得力」が何故か恋しくなる。それに気がつくと、じわじわと水銀が細いガラスを登るような速度で、心の底から何かがこみ上げてきた。
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一言:時間が足りなかったので、後半から(も)駆け足です。
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