神様のいる生徒会
吹井賢(ふくいけん)
ババ抜きをしよう!
進藤ひろみは無神論者である。
否、実家は仏教徒であるし、葬式の類も仏教式で、恐らく自分が死んだ際も仏教的な葬儀が行われるだろうし、そのことに不満はないのだが、彼女自身は、自身の家が浄土宗なのか、それとも浄土真宗なのか分からないくらいには、宗教に疎い。その程度のブッディスト、現代日本においては、ごく普通の宗教観の持ち主だ。
人に問われれば、「私は無宗教だよ」と答えるのに、身内に不幸があれば、当たり前のように坊主を呼び、念仏を上げてもらう。そういう類の人間。
進藤ひろみは無神論者である。
より正確には、「無神論者だった」。
彼女が神を信じなかったのは高校に入学する頃までだ。
それ以降も、彼女は形而上的な神や宗教は信じていないけれど、というよりも、あまり馴染みがないのだけれど、「神様に愛されている」としか言いようのない才人がこの世に存在することを知った。
神様に愛されている、どころか、年若い神様が何かの間違いで人の高校に通っているかのような存在。人知と常識を超越し、掛け値なしになんでもできる男。できてしまう少年。そんな彼の名は御陵真希波と言って、進藤ひろみの通う高校の生徒会長でもあった。
天才の中の天才が選んだだけあって、その生徒会は天才揃いだった。天才しかいなかった。
無論。
進藤ひろみを除いて――である。
……彼女からすれば、神様的超常の存在よりも、自分がこの生徒会にいることの方が余程、信じられないことだった。
●
進藤ひろみの通う高校は、ごく普通の公立校である。
……これも、御陵真希波が入学するまでは、という但し書きを付けなければならないだろう。彼が生徒の一員となって以降、N市の公立高校、京都府立N高等学校、通称「N高」は、日本で最も優秀な高校生が通う学校になった。
ともあれ。
御陵真希波と彼が率いる生徒会のメンバーを除けば、N高は普通の高校である。
故に、当然と言うべきか、それとも「意外に」と言うべきか、N高生徒会も、普通の生徒会である。それは生徒会長がマキナになり、「御陵生徒会」と呼ばれるようになった後も同様であった。
学校を守る為に、不良生徒や他校と戦ったりはしない。教師と対立することもない。逆に、強権を持ち、学校を支配することもない。漫画やライトノベルの生徒会とは違う。
やることと言えば、各種学校行事の統括と部活動の監査くらいのもの。直近では、入学式での司会進行と在校生代表としての式辞を行った。それくらいである。あとは、会場作りの手伝いくらいか。雑用であり、教師陣のお手伝いだ。
だから、定例会が火曜の放課後と言っても出席の義務はなく、出席したところで仕事もないのだけれど、授業を終えた進藤は、迷いなく生徒会室に向かうことにする。その背に、羨望と嫉妬の眼差しを受けながら。
「あの生徒会長に選ばれるのだから、きっと凄い才能を持っているんだ」という羨望、「どうしてあんな平々凡々な子が選ばれたんだ」という嫉妬。筋違いでお門違いで間違いだ、と進藤は思いつつ、その視線を気付かないフリをする。私には特別な素質なんてないし、どうして自分が選ばれたのかは、私が一番、疑問に思っていることだ、と。
神童揃いの御陵生徒会の「凡人枠」。
神童ならぬ進藤。
それが進藤ひろみの自己認識であった。
●
N高の生徒会室は最上階である四階にある。
グラウンドを見下ろせる位置にあるその一室は、会議室としては手狭で、部室としては広めな、そんな空間だった。中央には長机が二つ、合わせて設置されており、その奥には、生徒会長用の作業机があった。どれも、ごく普通の学校の備品だ。「こういうところは本当に普通だよな」と、進藤は生徒会室を訪れる度に思う。
進藤を出迎えたのは、金髪の美少女だった。
否、彼が美少女ではなく、美少年であることを、もう進藤は知っている。
「お疲れ様、進藤書記」
「お疲れ様です、有栖川さん」
窓際に置いたパイプ椅子に腰掛けていた有栖川アンヌは、進藤の方を見て、にこりと微笑んだ。
……うーん、いつ見ても、何度見ても、女の子みたいだ。
核心を持って言えるが、「自分と有栖川さん、どちらか可愛いと思うか」という街頭アンケートを実施すれば、進藤はトリプルスコアで負けるだろう。
男子用の制服姿で、ミディアムショートの髪だって、男子としては少し長い程度だというのに、パッと見た感じ、女子にしか見えないのである。いやさ、じっくり見たところで、その結論は変わらないのだけれど。
アンヌは手にしていた白紙の本をぱたりと閉じる。
フィクション作品で、それこそ漫画やライトノベルでは、何も書かれていない本を持っているキャラが時折、いるけれど、有栖川アンヌはキャラ作りや何かのポーズで白紙の本を持っているわけではない。彼の本は、白紙ではあっても、何も書かれていないわけではない。点字の本なのだ。
有栖川アンヌ。全盲の天才ピアニスト。生徒会では監査を務めている。
視覚に障害があって、全く見えないのだとすれば、彼が進藤よりも先に挨拶したのは奇妙だと指摘する人間もいるはずだ。しかし、その疑問は有栖川アンヌの天才性を甘く見ている。彼は足音だけでほとんどの人間を区別できるのだ。
声で人を認識する、ならまだ分かる。が、足音で人間を区別するだなんて、進藤からすれば、「天才的」と評するしかない。それが視覚に障害がある故か、優れた音楽家である故か、どちらなのかは分からないけれど。
有栖川アンヌ。同年代で彼に並び立つ者はいないであろうピアニストだ。いるとすれば、御陵真希波だ。事実、彼等は幼少の頃、ピアノのコンクールで知り合ったらしい。進藤にとっては別世界の出来事だ。
なお、アンヌは学業にも秀でており、常に学年のトップ5に入っている。進藤としては、一体全体、どうして目が見えない子が成績もトップクラスになるんだと不思議でしかなかったが、後にその疑問は氷解した。教科書の文言を全て覚えているだけだった。
だった、と表現するには、些か参考にできない勉強法だった。
まあ、考えてみれば当然である。全盲ということは、楽譜も目で見ることはできないのだから、曲は暗記するしかないのだ。それと同じだ。と言われれば、進藤も納得せざるを得ない。その天才性に舌を巻くことしかできない。
と、そんなことを思いつつ、進藤は部屋の隅に設置されたテーブル、その上に置いてあった二リットルのミネラルウォーターの封を切った。
「リンネ君だ」
アンヌの言葉とノックの音、どちらが早かっただろうか。
はーい、と進藤が答える。扉が開く。
そこに立っていたのは、長身の少年だった。上背は百八十を軽く超えるだろう。だが、そんな長躯でありながら、威圧感は全くない。柔和な笑顔と人を和ませる、穏やかな雰囲気が特徴的な彼は、「鞍馬輪廻」と言った。
「お疲れ様。……ああ、お茶なら僕がするよ、進藤さん」
「そう? じゃあ、お願いしようかな」
「うん」
言って、お茶の準備を始めるリンネ。生徒会の庶務である。
体格が良いだけで、ごく普通の少年に見える彼だが、彼もまた、有り得ない特技を有していた。嘘を見抜けるのだ。尤も、進藤は彼に対して嘘を吐いたことがないので、それが本当かどうかは分からない。ただ、「察する」や「空気を読む」という能力が異常なまでに優れていることは間違いがなく、進藤が落ち込んでいる際には、何も言わずとも、そっとお茶を淹れてくれたりする。良い奴だなあ、と思うばかりだ。
ただ、彼も彼で、学年トップクラスの成績の持ち主であり、入試では国語、社会、英語が満点だったと伝わっている。
……普通っぽいだけで、普通に優秀なんだよなあ……。
リンネが三人分のお茶を淹れ終わった頃、アンヌが言った。
「リンネ君、悪いけど、お茶、お願いできる?」
「うん、分かった。二人分ね」
進藤の知らぬところで二人が通じ合ったらしいが、当然、凡人である進藤には分からない。お茶なら今、淹れたじゃないかと。
疑問を口にする前に、進藤が理解できていないことを察したのだろう、リンネは、
「会長と副会長が来るから、会長達の分もお茶を用意しないと」
と、独り言のように続けた。
そう言われても、会長達の姿は影も形も見えない。というか、扉が閉まっているので、見えるはずがない。ということは、音だろうか?
実のところ、鞍馬輪廻は耳も良い。アンヌほどではないものの、常人には信じられないほどにだ。
「耳を澄ませて聞いてみて。将棋をしてるみたい」
リンネに促され、進藤は目を閉じてみる。
……確かに、話し声のようなものは聞こえる。聞こえるのだが、それだけだ。誰かは分からないし、何を話しているのかも分からない。「鞍馬君も普通に見えるだけで、やっぱり天才だ」。
そんな風に進藤は思うが、しかし、彼等の言葉が正しければ、これから来るのは天才の中の天才。あるいは、神様である。
ノックの音。続けて、「入っていいかしら」という声。
ここでようやく、進藤も「会長達が来た」と確信を持てた。
「どうぞー」
進藤がそう返すと、扉が開く。
そこに立っていたのは、絶世の美少女だった。
「お疲れ様です」
副会長、四条伊織だった。
彼女を形容する言葉を、進藤は知らない。纏められた長い黒髪は天女の着る衣のように優美に靡いており、その横顔は、瞳一つとっても、「目で殺す」という文句が誇張ではないほどに美しい。
これで成績は学年二位、スポーツは万能で各種武道に通じている。最も卓越しているのが計算能力で、五桁までの掛け算ならば一瞬で解けてしまう。しかも、瞬間記憶能力を持っているため、たとえ問題を見たのが一瞬であっても、それは変わらないらしい。
「副会長、会長は?」
リンネが問うと、イオリは言った。
「そこで将棋部に捕まりました。それがどうかしましたか?」
「いえ、目隠し将棋の勝敗が気になって」
「…………会長が勝ちました」
沈黙の後、感情を押し殺したかのような平坦な声で、副会長は応じた。
四条伊織は御陵真希波の幼馴染であり、遠縁に当たるらしい。一説には、婚約者という噂もあるが、その真偽のほどは分からない。進藤が知るのは、この四条伊織という先輩が不世出の天才であり、それでも、マキナには及ばないということだった。
と、その時だった。
またも、ノックの音。続けて、「入っていいかい?」という問い掛け。それ自体が音楽であるかのような清らかな声音。
「どうぞー」
「はい」
「会長、遅いよ」
「……ここは会長の部屋でしょう?」
三者三様、ならぬ、四者四様の返事を待ってから、彼は現れた。
「みんな、お疲れ様」
神様――生徒会長、御陵真希波がそこにいた。
生徒会が始まる。
●
全員がいつもの席に着き、お茶が配り終えられた後で、マキナは言った。
「ババ抜きをしようか」
緑茶で口を湿らせた進藤は、「突然、どうしたんです?」と訊いた。
隣に腰掛けていたアンヌはいつものようにマキナの声に聞き入っており、正面に座っていたリンネは立ち上がり、書棚の方へと向かい、斜め前の席に着座していたイオリは、やれやれという調子で会長の方を見た。
「今日はすることがないからさ。でも、折角みんながこうして来てくれたんだ、親睦を深めたいと思ってね」
あと、とマキナは生徒手帳に何かを書き込みながら、続ける。
「進藤書記が、前に、『会長達の凄いところをもっと見たい』と言ってくれていたから。先輩として、良いところを見せたいと思ったんだよ」
「まあ……。構いませんが」
イオリが言って。
アンヌが笑い。
リンネが点字付きの特製トランプを持ってきて。
ババ抜きが始まった。
……現実の生徒会活動なんて、こんなものである。そう忙しいわけではなく、お茶を飲み、暫く談笑をして、一時間ほどで解散する。
しかし、どうだろう。学年トップを維持しつつ、複数の部活の助っ人をして、ピアノやバイオリンの練習をし、肉体の鍛錬に努めながら、一人暮らしをしているという多忙なマキナにとって、生徒会活動の時間は、一時の休息時間なのかもしれなかった。だとしたら、そんな時間を共有できているというのは、進藤ひろみにとって、光栄なことでしかない。
さて、五分後。
「あがりです」
意外なことに、と言えば失礼だろうが、一位はイオリだった。秒殺、とまでは行かないが、
「ババ抜きってこんなに早く勝つことあるの?」と疑問に思うほどだった。
「イオリ」
「はい」
「種明かしをしてあげなよ。そういう企画なんだから」
カードを引きながらマキナが笑う。魅力的な笑みだった。
対し、イオリは平坦に、事もなげに言った。
「皆さんがあまり、カードを動かさなかったので」
「……それが、どうしたんですか?」
小首を傾げた進藤の為に才女は続ける。
「ですから、カードを動かさないということは、引いたカードが何処にあるか分かるということでしょう? 例えば、進藤書記。あなたの一番右のカードはハートの10です」
「え? なんで、それを、」
再び、ですから、と口にして、イオリは更に丁寧に説明する。
「元々、ハートの10は私が持っていました。それを隣のリンネ君に引かれました。そして、二巡後に、あなたが引いて、端に持った」
「えっと……。もしかして、カードの動きを全部記憶してた、ってことですか?」
「はい。それがどうかしましたか?」
どうかしましたか、と言えば、どうかしている。
どんな記憶力をしていればそんなことができるんだ。そう思うより他にない。
次にあがったのはリンネだった。
「リンネ。種明かしをお願い」
会長に促された鞍馬輪廻は、
「種明かしも何も、なんとなくなんですけど……」
と、応じる。
「まあ、リンネの能力は無意識的なものだからね。説明するのは難しいんだろう。じゃあ、僕が推測しようかな。……リンネ、君は一度もババを引かなかったね?」
「はい。多分、そうだと思います」
「どうしてだい?」
「なんとなく、これがババだな、って分かったので」
そう、なんとなく――なのだ。リンネの凄さは、その一言に尽きる。なんとなく、分かってしまう。相手が嘘を吐いていることも、相手の感情も。
「きっと、リンネは無意識的に眼球の動きに注目していたんだろうね。手に持ったカードの束を端から端に見れば、一、二ミリは眼球が動く。ジョーカーが右端にあれば、一瞬長く、眼球が止まる。そういう細かなサインを見逃さなかった」
「僕としては、なんとなく、なんですけどね」
……なんとなくでそんなことをできる方が異常だ、とは言わなかった。
不思議なことに、鞍馬輪廻という少年は、自分を「普通」だと思っているきらいがあるからだ。確かに会長以下、他のメンバーと比べればまだしも普通なのかもしれないが、進藤からすれば、彼だって十分に天才だ。ただ、その自認を尊重してもいいだろう。そう思っていた。
次にあがったのはアンヌだった。
「アンヌ、説明を」
「分かった」
アンヌの種明かしはこんなものだった。
「えっと、進藤書記。ボクがカードを引く時に、進藤書記の手を掴んでたよね? 手首の辺りを」
「うん。そうすればカードの場所が分かりやすいからでしょ? 有栖川さんは見えないわけだし」
「それもあるけど、本当の理由は別。脈を測ってたんだ」
「え?」
脈拍触診、と呼ぶ。
手で脈を測る技術のことだ。医師や看護師ならば誰でもできる。手首に人差し指と中指を当てている光景を見たことがある者も多いだろう。そして、人間は興奮したり、動揺したりすると、鼓動が速くなる。脈拍に表れるのだ。
ポリグラフ、所謂「噓発見器」と同様の理屈である。有栖川アンヌは、触覚で進藤の脈拍を視ていたのだ。
「でも、軽く触れているだけだったでしょ?」
「何処でも触れていればいいってわけじゃないけど、手首や指関節なら分かるよ」
視覚に障害がある者は、その分、聴覚が優れている人間が多いと言われる。が、これは一部、間違いだ。
正確には、「視覚以外の全ての感覚が優れている」。例えば、触覚。常人よりも指先の感覚が優れているからこそ、点字を読み取れるのだ。
「さて、進藤書記」
マキナが言った。
残り手札はマキナ二枚、進藤一枚――ゲームも終盤だった。
「カードを引いて、終わらせてくれるかな?」
「……勝たせてくれるんですか? 会長みたいなキャラだと、『僕は何であっても負けたことがない』って言いそうなものですけど」
「時には負けることも、男の仕事だよ。譲る、花を持たせる、と言い換えても良い」
「はあ……」
そんなものかなあ?と思いつつ、進藤はカードを引いた。
なんとなしに、何も考えずに。
10のペアが揃い、進藤の勝ちだった。
「……あ、じゃあ、あがりです」
「―――『ババ抜き』」
トランプを手際良く片付けながら、マキナが話し始める。
「『ババ抜き』というゲームは、元は『オールド・メイド』と言って、クイーンを一枚抜いて、プレイされていたそうだよ。カードのQを貰い手のない未婚女性に喩えてね。何とも酷いゲームじゃないか」
レディーには優しくしないと。
言って、トランプをケースに収める。
そうして、神様は告げるのだ。
「いやしかし、予想通りになって良かったよ――これでオチになるのかな?」
マキナは自らの生徒手帳を開いて、進藤に渡す。
そこには―――。
「『一位イオリ、二位リンネ、三位アンヌ、四位ヒロミ』……って、あれ? え? なんで!?」
「これで、僕も少しは良いところを見せられたかな」
そうして。
神様は、微笑んだのだった。
了
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