あなたとともに

七瀬モカᕱ⑅ᕱ

 ︎︎

 私と奈々子ななこはショットバーにいた。時刻は、二十三時。会社のメンバーとの、大人数での飲み会をなんとか乗り切って、ほっとできる場所を探してここにたどり着いた。


「あー、上田課長あの人やっぱりわたし無理....ほんっとに、合わない....」


 奈々子は苦そうな煙をふーっとはいて、少しイライラした様子でそう言う。上田課長は私たちの上司だ。さっきの飲み会ては、酒を注ぐマナーがなってないだの、気遣いが足りないだのと散々嫌味を言われたのだ。


真里花まりかもちょっとくらい、言い返せば良かったのに」


「いやぁ、私は奈々子みたいにはできないし」


「そんなに優しいと、これからもっと大変になるよ。もう」


 そう言ってまた、苦そうな煙を吐き出す。


「うん、でも今日は本当に助かった。ありがとう」


 お酌に関して叱責されていた時、間に割って入ったのが奈々子だった。

『そんなマナーとか今どき古いっすよ。そんなに言うなら、自分でやったらどうですか』と、課長に向かって言ってのけた。


「んでも課長がそれで黙ったのって、奈々子が私達の中だと成績トップだからっていうのありそう。会社の人って、成績よく見てるし」


 私がそう言うと、奈々子は苦々しい顔をした。


「だったとしたら、ほんとにしょうもないなあのおっさん。それに、【女だから】ってナメられてる感じして嫌だわなんか」


 奈々子は課長のことが本当に苦手らしい。分かるよ、私も苦手だから。それでもいい成績を取って、上の人たちを黙らせてしまうのだから本当にすごいと思う。


「私は、すごいと思うよ...?」


 奈々子は少しだけ微笑んで、ウイスキーの入ったグラスを傾ける。氷がぶつかって、カラン。と透き通った音を立てる。

 ウイスキーなんて、私は絶対に飲めない。カシスオレンジとか、今日頼んだアプリコットフィズなんかでいっぱいいっぱいだ。奈々子は同じ二十三歳とは思えないくらいに大人で、そして綺麗だ。


「大体、私は営業で真里花は事務だろ。部署が違うんだし、それを比べてるあの人たちがおかしいって話。あのクソ課長、いつも事務のおかげで〜って営業の人間に散々言うくせに...心の中で見下してんだろ。絶対」


 タバコの二本目に火をつけながら、奈々子は言う。先程少しだけ柔らかくなった表情が、また強ばっている。


「まぁでも....仕方ないよ。課長も今の支店になって通勤が二時間になったらしいし、ストレス溜まってるんだよ.....多分だけど」


 奈々子は不満げな顔で、こちらを見る。


「なんであんたは、あんな奴の肩持つかね.....」


 そう言って、テーブルに突っ伏した奈々子。じろり、と不機嫌な視線だけをこちらに向けている。ややつり目な奈々子の目が、とろんとし始めている。


「よしよし」


「なにさ、まりか...」


「んや、やっぱり可愛いなと思って。奈々子」


 私は奈々子の明るく染められた髪を撫でる。私は知っている。介抱する側にまわるのは、今日もきっと私だ。


「としうえをからかうんじゃないよ」


「って言っても二ヶ月だけでしょ?はい、あーん」


 そう言いながら奈々子の口元にナッツを一粒持っていく。奈々子は『酔ってるの?』とでも聞きたげだ。


「ダメだ、ウイスキーきつい.......」


「チェイサー貰おうか」


 私はバーのマスターを探した。あいにくマスターは、他のお客さんと話し込んでいた。


「そっちの代わりにこれ、飲む?」


「....これなんだっけ、真里花いつもこれだよね」


「アプリコットフィズ」


「そうだ....それ」


 奈々子は、ちびりとアプリコットフィズのグラスに口を付けた。私も奈々子にバレないように、ウイスキーのグラスに口を付けた。


「甘っ....」


「っ....そ、そう?」


 むせた。まるで、煙を液体にしたものを飲んでしまった気分だ。

 マスターが寄ってきてくれたので、私は奈々子の分の水を頼んだ。奈々子はそれを一気に飲み干した。


「これ吸ったら出ようか」


「ん」


 奈々子が三本目のタバコに火をつける。私は喫煙者ではないけれど、タバコの煙は嫌いじゃない。それもこれも、奈々子のせいだ。


「ねぇ.....」


「ん?」


「なんでもない」


 手を伸ばせば、十分触れられる距離にいる。でも今はこの距離がとてももどかしい。口に出してしまえば、もうこうやって飲むことも無くなるのかもしれない。だから私にはできないのだ。


「なぁ真里花....」


「どしたの」


 あぁ、今日も.....。


「いえ、いっていい?」


 私はこのななこの可愛さに、やられてしまった。


「いいよ」


 ✱✱✱


「ごめん、真里花」


「別にいいってこれくらい」


 私はジャケットを脱がせ、ハンガーにかけた後、一人暮らしの部屋に無理やり置いたソファーに座らせた。彼女は背もたれに全身を預け、深く息をついた。私は聞いた。


「どうする?シャワー浴びる?」


「んん、いい....もうねる」


「じゃあせめて着替えないと」


 奈々子は私より小さくて細い。だから私の貸す服も、ダボダボになってしまうけれどそれがまた可愛い。


「週明けのこと考えると、もう今から憂鬱だよ....」


 奈々子は着替えながら弱々しく呟いた。普段男性だらけの部署内で、常に成績上位をとっているのが嘘のようで。その目はまるで幼い少女のようだった。


「私も着替えてくる」


「んっ」


 ✱✱✱


 きっとあのななこは分かっていない。私の気持ちなんて、分からなくていいのだ。もしもさっきのバーで、私があの子と同じようなお酒を飲んだとしたら、ドラマや映画でよく見る展開になっていたのだろうか....。


「帰さないよ....?」


 まるでキザな男性が使うようなセリフに、自分で吹き出してしまう。もしまた機会があれば、あの子と同じウイスキーのカクテルを飲んで...実際にやってみてやろうか。


 ベットの上を見ると、奈々子はもう可愛い寝息を立てて眠っていた。


「そりゃあんだけ飲んだらね.....」


 思わずもれる苦笑い。いやこれは私が奈々子の可愛さにやられてにやけているだけなのではないか。


「好きだよ.....」


 私はいつも、あなたとともに


 私は奈々子の髪を撫で、そしてキスした。この気持ちがたとえ届かないものだとしても。

 私はベットから立ち上がり、ベランダに出てタバコに火をつけた。

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