宇宙麻雀 キンタマ杯
ほろほろ落花生
東場第一局一巡目
悔しさや土と押し込むシューズ入れ
茨城県 李 基弘 16歳
キヨは落ちた。墜ちた。地上に落下した。
なんとあの「カクヨムコン」に落ちたのである。
確かに見下げ果てた文学賞ではあるが、実際落ちてみるとなぜか悔しい。
「シューズ入れ」に土とともに押し込むという所作は一見乱雑であり、ある種の切迫した暴力性すら喚起させる。だがポイントはそこではない。
ソコは誰にも分からない領域。
よってキヨはあえて初句に「悔しさや」と安易極まりない終助詞を添えて場に混乱を引き起こした。
「この稚拙さをみるがよい」と油断させたわけである。
カラクリとしては国士テンパっている状態での赤ウーソウ切りという分かりきった初手であり、ある種の恫喝ともいえる下卑た初句である。
場にいたメンツ、特に花藤の顔面がみるみる紅潮していく
無論、こうした俗謡、恫喝が通用するのは東場第一局で親たるキヨのステイタスと経済力に裏打ちされているからに他ならない。
メンツは押し黙り少し考慮。(十重二十重のブラフ?)
キヨによって押し込まれるのは「土とシューズ」であるが、それは実のところどうでもよい。どうでもよい内容物にソーズが含まれるかは定かではない。
文学とはどうでもよかったのだというキヨの文学的決意表明である。
「土」にはキヨが蓄積した全文学的財産が象徴されている。
それは人工的な表象ではない。
キヨがキヨとして生まれ生きてきたイノチがまるごと懸けられているという点で「土」なのだ。
「シューズ入れ」という耳慣れない言葉は、我那覇家に代々伝わってきた血族的紋章のごときものと等価である。
『SBR』に登場する「大統領のナプキン」よろしく、キヨはこの「シューズ入れ」にまつわる伝説について父祖よりいくたりも聞かされて育ったのだ。
「いつか、誰かが文学を完成する時、この『シューズ入れ』にナニカを投げ入れる」
これは我那覇家に伝わるまじないじみた宿命的呪文であった。
そしていま、キヨは「シューズ入れ」に全てを投下した。己の土とともに。どれだけ凡庸であろうが。準備は万端、細工は流流。
現在は北待ちであるが、ココに振り込むのは一人しかない。大猫のような言語遊戯に甘えて自足してきた人間しかいないということがキヨには分かっている。
キヨには血盟的なある種の確信があった。「振り込むの大猫でしかない」と。
大猫という星座は
この宇宙麻雀のメンツは全人類を相手とするものであるが、メンツは彗星のごとく引力によってえらばれているのだ。
秋の風あと三秒で他者になる
茨城県 高天 果南 20歳
キヨ
花藤は大猫にとって他者ではあった。
よくわからないムチャクチャをやってきたヒトデナシであるとはタカハシより伝え聞いている。
だが、他者は他者たるがゆえ、なにかしら伝えるものではないのか。意気を以て伝えんとするトコロに感ずるのではないか。
花藤、ここでカマシ的に他者を絶対的に宣言。
証拠としての東提出。
加え。というよりもその東切り前。
はかなきこの世を過ぐすとて 海山稼ぐとせしほどに
梁塵秘抄
花藤は親の捨て牌赤ウーソウでポン。
早い。だが古典に
「コイツは、捨て身でキテル」
ニンゲンのキンタマ懸かった現実はドラクエではない。源氏物語ですらない。
「伊藤園からの引用はいくらでもOK、古典を使うのは三度まで」という禁制などどうでもよいのか。
花藤がこよなく愛する『梁塵秘抄』からの一撃が大猫を動乱させた。
これは花藤から大猫へのたのしい挑発的プレゼント。
「お前はお前が言うほどに『古典』を知っているのか? 文学を知っているのか? 人間の生き身の苦を知っているのか?」
大猫は苦しんだ。というのは花藤が原因ではない。彼女は対面のキヨの血族的な呪わしく高貴な来歴なぞ全く知らない。
無論、東場第一局通常であればなんの苦慮なく手なりで字牌切りするところだ。
しかし、大猫はツモれず完全に硬化している。なぜか。
この東場第一局初アガリに「タカハシのキンタマ」が賭けられているという厳然たる「破滅派麻雀」の儀礼と作法、絶対に妥協をゆるさない冷たく尊いルールを思い出したからだ。
大猫の
大猫は部外者的に冷徹に了解してもいる。
「タカハシのキンタマ」が切り取られたところで、六児もこさえたんだからべつにいいんじゃね、と。
ていうか「タカハシのキンタマ」なんて正直言ってどうでもいいわ関係ないしという明後日の去来。
どうせトーダイ卒。生き方においてズル賢く、精子バンクでも使ってるはず。
タカハシお前、精子の製造スラ終わってんだろ。こちとらすっかりアガってナプキンなんざ購入していない。
ソフィかな ロリエの粗さ キヨはゆるさじ
このオリジナルを大猫はぐっとハラに呑み込んだ。
今はその時ではない。分からせる時ではない。
タカハシ、テメエの両鼻孔にタンポンか月経カップでもつっこんでやろうか。
他者のキンタマを
マスクの世みんなの心は密のまま
茨城県 髙橋 雅也 17歳
確かに。この切り方は手出し不本意ではある。あまりにも不本意である。
だが「悔しさや」と顧慮なく切り出した暴君キヨに応ずるにはこれでいくしかない。大猫は決断した。
同レベルの文学的凡庸さで合わせいくしかないのだ。コレでわたりきるしかない。
大猫は自己の言語能力の囁きを渾身の力でねじ伏せた。
合わせウーソウ切り。
なぜ自分はコンナ凡俗が可能なのだろう。不思議だ。不気味だ。
通った。当たり前である。
大猫は花藤を観じた。
コイツは半可通でしかない。
これは山谷感人的ブラフに過ぎない。
大猫は断じた。下手の早鳴き。いつものことだ。
「キンタマくらい、かけてやる」
飲みながらの放言ではあった。
文学フリマの打ち上げ。
正体なくなるまでアルコールを摂取したタカハシは確かに言った。言ってしまった。
ココにいる連中が冗談を冗談として受け止めない人間であることを知っていたというのに。特に文学については。
鬼は外妻に投げたら本物に
茨城県 大森 健太郎 32歳
文字は外化し現実となる。
卓を囲むタカハシはこれまでを回顧した。
自分は確かに「破滅派」という文芸団体を率いてきた。自己の才覚を信じて己についてきてくれた人たち。同人の中には文学に殉じ身投げする人すらいた。
タカハシは京都まで出向き葬式で花を手向けつつ誓った。
「キンタマくらい、かけてやる」
よって第三十八回文学フリマ打ち上げにおいて放たれたこの一言はただの酔漢の放言ではないとも言える。
問題は戯れに大豆を投げると本当に
「じゃ、キンタマ賭けた麻雀行ってくる」
この言を妻である
静はいい加減にキレたのである。
20代、筒井康隆『大いなる助走』を一緒に笑って読んでいた。
30代、次第に笑えなくなっている自分に気づいた。
40代、夫はキンタマ賭けた麻雀に行くという。
四十代この先生きて何がある風に群れ咲くコスモスの花
道浦母都子
凡庸に嘆じたところで、なにもない。なにもないどころか、こどもたちがいるのだ。
静は思った。夫は宇宙に行くのだと。もう戻ってこない人なのだ。宇宙で麻雀でキンタマ刈られることを実は歓びとしている人なのだ。こどもたちには「お父さんは、宇宙でキンタマ切り取られて、死んでしまった人なんだよ」ときちんと教えてあげよう。
タカハシは眼前の牌をながめつつ漫然と思った。悪形である。人生が。己のキンタマは果たしてナニに対して賭けられているのか ?
失禁の 禁は零れて マンズかな
これはタカハシの得意とする身体的表出であり、イーマンを切る。
失禁というパフォーマンスは完全に黙殺された。ここではじめて提出された オリジナルについても黙殺された。黙殺には慣れている。タカハシは自身の文学的半生を顧みて独り嘆じた。
手牌切る前の詠唱は定型のみ
A 「伊藤園 お~いお茶新俳句大賞」佳作
B 古典
C オリジナル
キヨと大猫は伊藤園の手札を既に切ってきた。お前たちは文学に対するプライドと敬意がないのか ? といまさら憤ったところでしかたない。
キヨの国士テンパイはおそらく文学的カマシなのだ。こういう連中には慣れている。慣れているどころかこういう連中しかいなかった。カマシながら破滅派に参加したりやめてったり死んだり。タカハシに動ずる要素は皆無である。
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