第2話 心の世界
居間に戻ると、紗耶の母親が不安そうに立っていた。
紗耶の部屋からはまだ何の音も聞こえない。
「……どうでしたか?」
真白は少し間を置いてから、静かに答えた。
「……これは、自分で呪いにかかってしまったようです」
「じ、自分で……呪いに?」
母親は目を見開く。
「光莉、説明を頼む」
光莉が頷き、優しい声で続ける。
「人の心は、強く願えば“形”になることがあります。
たとえば、大切な人を失った喪失感……。
その悲しみや後悔が自分自身を縛ってしまうんです。
それが“自己呪縛”――自分で自分にかけてしまう呪いです」
母親の肩が小さく震える。
「そんな……紗耶が自分で……?」
「安心してください」
真白は落ち着いた声で言った。
「俺たちは“解放師”です。呪いは解くことができます」
光莉が小さく微笑む。
「ただ、心の中の世界――“ハートランド”に入る必要があります。
そこに、紗耶ちゃんの本当の気持ちと、呪いの核があるんです」
真白は鞄から布袋を取り出し、中から銀色のペンデュラムを取り出した。
透明な球体の中には、小さな光の粒が揺れている。
「これは“心の扉”を開くための道具です」
机の上に白紙を置き、黒いインクで静かに魔法陣を描く。
中央には“記憶を結ぶ”紋様が描かれた。
光莉が紗耶の母親に向かって静かに言う。
「紗耶ちゃんの一番大切だったものを、ここに置いてください」
母親は少し戸惑いながらも、引き出しから小さな首輪を取り出した。
それは、使い込まれたモカの首輪。金具の部分が少し錆びている。
「……これを」
「ありがとうございます」
真白はそれを魔法陣の中央にそっと置いた。
光莉が深呼吸し、ペンデュラムを両手で包み込む。
小さく呪文のような言葉を唱え始めた。
ペンデュラムが左右に揺れ始める。
最初はゆっくり、やがて一定のリズムを刻み、微かな光を放つ。
真白も目を閉じ、低く詠唱を重ねた。
「――心を繋ぎ、記憶を紡ぎ、扉を開け」
その瞬間、首輪から柔らかな光が溢れ出した。
室内の空気が変わる。
時間の流れが少し遅くなったように感じられた。
光莉が小さく頷く。
「準備完了です。行きましょう、先輩」
「ああ」
真白と光莉は同時にペンデュラムに手を伸ばした。
光が弾け、二人の姿がゆっくりと消えていく。
そして――
世界が反転し、
灰色の空とひび割れた鏡の地面が広がる“ハートランド”へと、二人は降り立った。
気づけば、真白と光莉は“心の中の世界”――ハートランドにいた。
光が視界を包み、身体がふわりと浮かぶ感覚。
次の瞬間、真白は息を呑んだ。
自分の手に握られているのは、現実には存在しない“白銀の剣”。
刃は光を吸い込み、振るっても音を立てない。
「……また、ここに来たんだな」
声を出すと、周囲の空気が震える。
それは“音のない世界”に響く、唯一の声。
隣で光莉も変化していた。
制服の代わりに、柔らかな光の布をまとい、手には銀の杖。
杖の先には小さな鈴があり、風が吹くたびにかすかに鳴った。
「先輩、やっぱりここでは……自分が少し“別の誰か”みたいですね」
「いや、違う。――これが、本当の“俺たち”なんだ」
空は灰色に沈み、地面はひび割れた鏡のように、
紗耶の記憶を断片的に映している。
「……ここが、あの子の心の中か」
真白がつぶやく。
風が吹くたびに、どこからか犬の遠吠えが響いた。
光莉が杖を構える。
その先に淡い光の輪が浮かび、周囲を照らした。
「先輩……感じますか? 何か、すごく強い感情」
「ああ。――来るぞ」
遠くの霧の中から、巨大な影がゆっくりと姿を現した。
それは、漆黒の毛並みをした狼。
瞳は赤く燃え、牙の間から黒い霧を吐き出している。
背中には鎖のような痕跡。
まるで、かつて誰かに繋がれていた記憶を象徴するようだった。
「……人に捨てられた“想い”が、ここまで歪むのか」
真白が静かに呟き、腰の白銀の剣を抜く。
無音の風が走った。剣を振るっても音ひとつ鳴らない。
光莉の鐘がかすかに鳴り、響きが空間を震わせる。
「先輩、あれは“紗耶ちゃんの罪悪感”です!」
狼が咆哮し、地面が割れる。
無数の黒い影が足元から湧き出し、真白たちに襲いかかる。
真白は剣を振るう――音のない閃光が走り、影が霧散する。
光莉のベルが鳴り、光の波が闇を押し返す。
「……静かな戦場だな」
真白が低く言う。
「でも、綺麗です。だって――この光は、紗耶ちゃんの心だから」
光莉の言葉に、真白はわずかに目を細めた。
虚声の刃に微かな光が宿る。
「――行くぞ、光莉」
「はいっ!」
二人は、灰色の世界の中心へ駆け出した。
真白と光莉の攻撃を受け、
悪魔の狼は苦しげに咆哮を上げた。
その声には、怒りだけでなく、悲しみの響きが混じっていた。
「どうして……どうしてお前たちばかりが愛されるんだ!僕だって愛されたかったんだ!幸せになりたかったんだ!幸せになる事なんて許さない!許さない!許さない!」
巨大な爪が地面を裂く。黒い霧が渦を巻き、空がさらに暗くなる。
光莉が息を詰まらせた。
「先輩……この悪魔、誰かに捨てられた記憶を……!」
「ああ。紗耶の“悲しみ”が、こいつの中で共鳴してるんだ」
悪魔は歪んだ笑みを浮かべた。
「そうだ……紗耶もすぐにわかる。愛なんて、いつか裏切る」
その瞬間、真白は悪魔の胸元に白銀の剣を突き立てた。
音のない衝撃。闇の中に白い光が走る。
「――そんなこと、あの子が信じる必要はない」
だが悪魔は笑った。
「遅い。この魂はもう――」
その言葉を遮るように、
暗闇の奥から、まばゆい光があふれ出した。
風が吹き抜け、鎖のような音がほどけていく。
そして現れたのは――
ひとまわり小さな、白い狼。
その瞳はやさしく、毛並みは淡く光を放っていた。
実際のモカはトイプートルの小型犬であるがこの世界で
悪魔と戦うため白狼の姿となったようだ。
光莉が涙をこらえるように言う。
「……モカ、ちゃん……?」
真白の足元に、白銀の剣が転がった。
白狼――モカは静かにそれをくわえると、
紗耶の前に立ちはだかった。
悪魔が怒号を上げる。
「裏切り者がぁぁあああ!」
闇の爪が振り下ろされる。
モカは低く唸り、光をまとって跳んだ。
刃が闇を裂く。
まばゆい閃光が、灰色の世界を一瞬で染め上げた。
「モカ――!!」
紗耶の声が響く。
その呼びかけに応えるように、モカは最後の力で悪魔の胸を貫いた。
闇が崩れ、霧のように消えていく。
白狼の姿がゆっくりと透け始める。
紗耶が駆け寄り、震える手でその頭を撫でた。
「ごめんね、モカ。私……どうかしてた。私がこんなんじゃモカは
安心して天国に行けないよね」
モカは優しく尾を振り、
小さく“ワン”と鳴いた。
その声は、もう苦しみではなく――
愛と、別れの音だった。
光莉が小さくベルを鳴らす。
その音に包まれて、白い光が舞い上がり、モカの魂は穏やかに消えていった。
真白は剣を鞘に納め、静かに目を閉じた。
「……行こう、光莉」
光莉は涙をぬぐい、微笑んだ。
「はい。解放、完了ですね」
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