第51話 風と猫は『友』と呼び合う

 イカ魔族討伐作戦を一時的に引き上げて村に戻ってきた僕とニアくんは「ソラ兄ちゃん、また明日ね!」「うん。また明日」と別れの挨拶を済ませ、村中央で、それぞれの帰路についた。

 姿が見えなくなるまで、僕に手を振り続けていたニアくんに微笑しながら、彼に負けじと大振りで手を振り返す。

 そして、ゆっくりとした歩幅で村を見歩きながら、御者が帰り客が僕一人だけになってしまった小さな宿屋に戻る。

 今夜は昨晩みたいに苦しまなきゃいいけどな——と腹を摩りながら考えていると、部屋を借りている宿屋に到着した。

 まあ『借りている』と言っても、予定では今日に村を出て『オルカストラ』との国境を仕切っている関所に行くはずだったから、一泊分の宿泊費しか払っていないわけで、これから宿泊日数を延長するために、魔族討伐が達成するまでの『不確定日数分』の宿泊を頼まなくちゃいけない。

 一泊『百二十ルーレン』だから、今の財布事情的に余裕ではあるのだけど、あの目力の凄い宿屋の女将達が、僕の頼みをすんなりと引き受けてくれるかどうかなんだよな。

 なんか「駄目」って淡白に返されて、これから野宿をしなくちゃいけなくなる可能性も無きにしも非ずな感じがするし、ちょっと心配だけど、もし宿に泊まれなさそうだったら、ニアくん家に泊めさせてもらうことにしよう。

  

 そんなことを微笑しながら考えていた僕は、宿のフロントにある受付台を雑巾掛けをしていた宿の女将に、宿泊日数の延長の旨を伝える。

 

「あの、宿泊を三日くらい延長したいんですけど」

「……三百六十ルーレン」


 無表情で宿泊費を提示された僕は、コートのポケットに入れていた財布から銅貨四枚を取り出し、受付台の上に置いてある皿の上に乗せた。

 皿の上に乗せられた金をじーっと見ていた女将は、台の下から十ルーレン紙幣を四枚取り出し、バサッと台の上に放り投げた。

 ざ、雑っ……と衝撃を受けた僕が口を呆けさせながら女将を見ると、彼女は何食わぬ顔で雑巾掛けを再開した。

 やっぱり歓迎されてないんだな——という感じで渋々納得した僕はフロントを移動し、昨日と同じ部屋に戻った。


「ふーー……」 


 部屋に入った僕は久方ぶりに警戒を解き、鏡面剣をベット横に置いて、自分もベットで横になった。

 仰向けで両手を枕にし、何も無い白い天井を見つめる。

 

 今日は魔族は見つからなかったけど、まだ明日がある。

 明後日だって、明明後日だってあるんだ。

 ニアくんは嘘を言ってないし、イカ魔族が村の近くにいたのは間違いないはずだ。

 そいつを僕達が見つけられなくて、ニアくんが落ち込んでしまっても「村の遠くに行ったんだよ」って言ってあげればいい。

 見つからなかったら彼は落ち込んでしまうだろうけど、村を守るために動いていた彼が『正義』なのは確かだから。

 

 僕は思考を回し、脳底から生まれてきた考えを纏める。

 そして、ゆっくりと息を吸い——吐く。

 瞼を閉じていた僕の意識は暗闇の海野底へと進んでいき、どんどん下へと潜っていった。


           * * * 


 魔族討伐隊が活動してから——三日が経過した。

 現在の日付は『人界歴・千、三十七年』の八月二十一日。

 時刻は午後二時を過ぎてしまった頃だ。

 真夏の日差しが空から降り注いでいるが、森に生えている木々のおかげで、森を歩いている僕達への直射日光は避けられている。

 薄暗い影が森を満たし、涼しげな微風が吹く森は、僕達に夏を感じさせることはなかった。


 時折目に刺さる日光に対し、反射で目を細めていた僕は、目の前を歩いているニアくんに声を掛けた。


「そろそろ休憩しようか」

「……うん」

 

 かれこれ三日間、朝から夕方まで森中を歩き回っている。

 一向に見つかる気配のない魔族に対して、ニアくんは焦りの感情を積もらせているようだった。

 日に日に口数が減り、声から抑揚が失われていっている。

 顔から彼が作る晴れやかな笑顔が無くなってしまったかのように、彼の表情を暗い雲が覆ってしまっていた。

 僕はそんな彼を追い詰めてしまわないように慎重に言葉を使い、大丈夫だよ——と伝えるように優しい態度を取る。

 

「はい、水」

「……ありがとう」


 僕はバックの側面にぶら下げていた水筒を手渡し、ポケットに入れていた携行食のビスケットを食べた。 

 あっという間に口の中の水分を吸い取っていくビスケット噛み砕きながら、渡した水を飲まずに俯いてしまっているニアくんを見る。

 

「ニアくん、大丈夫だよ。イカ魔族が見つからなくても、それはイカ魔族が村の遠くに行ったってことだからさ」

「……うん」


 安心させるように眉尻を下げて優しい言葉を掛ける僕に、ニアくんは顔を上げて僕と同じように眉尻を下げる。

 追い詰められているようにも、悲しげにも見える彼の表情を正面から見た僕は少しだけ悲しくなった。

 そして悔しかった。

 小さな子供であるニアくんを安心させてあげられない自分のへっぽこさに、僕は落ち込んでしまった……。 

 

 それからは連日通り、午後五時過ぎくらいに魔族捜索を引き上げて、体力が尽きて立ち上がれなくなってしまったニアくんを僕が背負いながら村に戻った。

 深い森から村に向かう帰り道、一言も喋ってくれないニアくんに、僕が「明日の天気はどうかな?」と話を振ったりするのだけど、ニアくんは殻の中に篭って塞ぎ込んでしまったかのように、僕の言葉に反応してはくれなかった。

 僕の『声が聞こえていない』のだろう彼に、僕は特段気にした素振りを見せることなく、根気強く話し掛け続ける。


 夏の暑さと照り付ける日差しにやられてしまった夜闇は、太陽の極光に怯えているのか、顔を出す時間がとても遅い。

 夕方だというのに、煌々と森全体を照らしている太陽に、僕は目を窄めながら、背負う迷子の子猫に話し続けた。

 見つからない、見つからないって悩んでいる彼を安心させてあげるように、まるで絵本の物語を読み聞かせる親のように、ゆっくりとした口調で彼に声を聞かせ続けた。

     

「早く君を安心させてあげられるように、頑張るからね」

         

         * * *

  

 魔獣討伐隊が探索活動を始めてから——五日が経過した。

 現在の日付は八月二十三日。

 時刻は午後三時が過ぎたところだ。

 相変わらず『イカ魔族』は見つかる気配がなく、五日間も探し歩き回った森には、もう行ってないところがないのでは——と思うくらい、全てに光景に既視感を感じてしまっている。

 日光を遮ったせいで生まれた薄暗い影が森中を満たし、それらが僕達の視界の万全を妨げつつも、夏の暑さも日光と同時に遮っているおかげで、森での活動は容易であった。

 しかし夏の暑さを感じていないにも関わらず、僕は焦りからくる汗を額に溜め、早足の歩震に合わせて顎先から一滴の汗が地面に落ちていく。

 僕の前で息を切らしながら、森の奥へ奥へと突き進んでいく黒毛の子猫を、眉尻を下げて見守っていた僕は、止まろうとしないニアくんに再三声を掛けた。


「ニアくん、そろそろ休憩したほうがいい」 

「……」

「ニアくん!」

「…………」


 僕の声を意図的に無視しているのだろうニアくんの肩を、早足で追いついた僕は『ガッ』と片手で掴み、力尽くで彼の動きを止めた。

             

「ニアくん、少し休憩しよう。君はまだ昼食を摂っていないから、これ以上動き回るのは無理だ。君が焦っているのは分かってあげられる——だけど、無茶したら駄目だよ」

 

 僕に肩を掴まれ、説得を無理やり聞かされたニアくんは、僕に背を向けたまま俯き、黙りこくる。

 イカの触手のように執拗に絡みつく、小さな子供の彼が背負うには重すぎるだろう暗い影を見て、僕は悲しげに眉尻を下げて、彼を向き直させた。

 そして両膝を地面につき、影を纏った暗い顔を上げたニアくんと目線の高さを同じにし、視線を交差させる。


「君は嘘を言っていない。君が言っていたことが間違いだったなんて、僕は微塵も思っていないよ。僕は君を心の底から信じてる。だから、君も僕を信じてほしいんだ。大丈夫。見つからなくても『いない』ってわけじゃない。だから焦らないで……。少し休もう、ニアくん。無茶して倒れたら、魔族どころじゃなくなってしまうよ……」

 

 目を合わせて、泣きそうな顔をする僕の『懇願』とも取れる言葉を聞いたニアくんは、泣くのを我慢しているかのように表情をピクピクと痙攣させ、両手で自分の服をクシャッと掴んだ。

 

「ご、ごめんね……ソラ兄ちゃん……っ。ぼ、ボク……」


 泣くのを我慢しようとしていたニアくんは、両目から透明な涙を溢れさせ、声に嗚咽を混じらせながら、僕に謝罪の言葉を掛けた。

 僕は泣いてしまった子猫の目に溜まっている涙を手で拭い、肩を震えさせる彼を安心させるように、優しく頭を撫でる。


「僕達はもう『友達』だろ? だから謝らないほしい。僕は全然気にしてないんだからさ」

「グスッ……ボク、何かが……ソラ兄ちゃんと友達になって、いいのかな……っ」

「何言ってんだよ——僕達はもう『友達』じゃん」 

「そ、そっか……へへっ……すごく嬉しい……っ!」

「僕も少し疲れちゃったから、少し休もう。落ち着いたら、また、二人で探しに行こう」

「うんっ!」


 森が日差しを遮って、暗い影が森中を満たしてなお、僕達は雲一つない晴れやかな笑みを浮かべ合う。

 小さき身に纏われていた影は、その姿を消しており、魔族の影が取り払われた彼の顔には、太陽のように明るい笑みが咲き誇っている。

 木の根に座って食事を摂る僕達は、久方ぶりに会話を弾ませた。

 エリオラさんとの苛烈すぎる模擬戦の話や、マルさんによる、ドッカリ殴打事件。

 それにトウキ君の大食い話などなどを、目を輝かせながら「それで、それで」と聞き入ってくれるニアくんに、僕は嬉しさを顔から溢す。

 微笑む僕は、村に帰り着くまで、短い中でも鮮烈に輝いている濃い旅の話を無邪気な友に語った——

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