第50話 猫と風の談笑

 僕は昨日のこともあり、体調の方を気に掛けながら村を歩いて、待ち合わせ場所である丘の方へと向かっていく。

 道中、相変わらず村の人達から『キッ!』とした目力で見られていたのだが、彼等彼女等の目には先日とは違う感情が込められていた。

 多分だけど、この感情は『畏怖』ではないだろうか?

 僕に対して何故か村の人達が持っていた『怯え』の感情をピョイっと飛び越えて、一歩先に進んでしまっているような気がするな。

 悪目立ちしてしまっているようで、あまり良い気持ちにはならないのだけれど、これは無視するしかないのかなぁ。

 村人達が向けてくる感情の変化は、もしかして昨日のアレと何か関係があるのかもしれない。 

 僕は若干の疑心暗鬼になりながらも、この村で唯一信頼できるニアくんと早く合流するために、徒歩から駆け足に変えて進む。

 

 そして——


「あ! おはよう、ソラ兄ちゃん!」

「おはよう、ニアくん」


 ニアくんが大きく片手を上げて僕に手を振り挨拶を叫ぶ。

 それに対し、僕は軽く片手を上げて挨拶を返した。


「それじゃ、イカ魔族を見たっていう森に行ってみよう」

「うん。あっちだよ」 


 僕とニアくんは予定通りに待ち合わせ場所で落ち合い、会話も程々に『イカ魔族』を見たという森の方へと向かう。

 森の方へと向かう道中、僕は昨日から胸の内に溜まっていたモヤモヤを、僕を先導しているニアくんに吐露した。

 

「ニアくん。何かさ、村の人達が変なんだよ」

「・・・・・・それがどうしたの?」

「えっとね——」


 僕はニアくんに、昨日の深夜に猛烈な苦しみを味わったことと、早朝から忽然と消えた御者の話をした。

 僕が「本当に死にかけたよ」と言うと、ニアくんは驚いた表情で振り向いて「大丈夫だったの!?」と叫んだ。

 そんな彼に「大丈夫だったから、今こうして討伐隊の仕事をしてるんだよ」と笑いながら、僕は無事を伝えた。 

 

「それってさ、もしかして"毒"ってこと?」


 緊張した面持ちと声音で『僕が毒を盛られた』という可能性に触れるニアくんに、僕は知り得る情報を元に思考を回して、ゆっくりと言葉を吐く。


「うーん・・・・・・。正直に言うと疑っちゃってはいるかな。でも、ここに来る前に朝食を食べたんだけど体は何ともないから、本当に昨日の晩の原因は『痛んだものを食べた』ってだけなのかもしれない。食中りの薬を飲んだら一晩で回復したしね」


 僕の話を黙って聞いていたニアくんは、終わり際に「そっか」と呟いて、下を向きながら黙り込んでしまった。

 僕の話を聞いて迷子の子猫のような暗い影を纏ってしまったニアくんを見兼ねた僕は、彼の肩をポンポンと叩き、安心させるように「僕は大丈夫だよ」と言って笑いかけた。 そして僕の励ましを受けたニアくんは顔を上げ、僕を見ながら口を開いた。 


「ソラ兄ちゃんは、ボクの味方だよね・・・・・・?」

「——? 当たり前だよ」

「そっか・・・・・・」

「——?」


 纏われていた影は取り払われはしたものの、変わらず暗い顔をしているニアくんは道中に一言も喋ることなく、村を出発してから三十分後に村の東側にある、イカ魔族を見たという森にある開けた場所に僕達は到着した。 

 イカ魔族と野良魔獣の襲撃を警戒していた僕は辺りをキョロキョロと見回し、生物の気配がないことを確認する。

 害意や殺意を持った視線を肌で感じない僕は「ホッ」と息を吐き、ニアくんの方へと向き直った。


「魔獣とかは近くにいなさそうだけど、もしもの時は僕だけじゃ危ないから早めに調査を済ませなきゃね。それで、イカ魔族を見たのってどの辺?」

「あっちの小崖のところで歩いているのを見たよ」

「よし、それじゃあ行ってみようか」

「うん!」


 それから僕達は深い森の中をお互いに離れることなく、イカ魔族を探しながら歩き回った。

 森を探索中に——当たり前だが周りは植物だらけなので——度々、僕が着ているコートに棘の付いた植物の種子が引っ付いてきて、僕は「うわあぁ」と呻きながら必死に取り除いた。

 そんな僕の姿を見ていたニアくんが「あはは!」と笑ってくれていたので、暗い顔をしていた彼を明るくしてくれたこの棘植物に、僕は内心感謝してしまった。

 まあ、もう引っ付かないでほしいとは切に思うのだが。


「そういえば、イカ魔族ってどんなのだったの?」


 僕は、ふと気になったことを口にする。  

 イカ魔族は人型であるという話は聞いていたが、僕がイカ魔族の姿について知っている情報はそれしかない。

 ニアくんから聞いた話を元に、昨日の夜に寝る前に『イカ魔族』の姿を想像したりしていたのだけど、皆目見当もつかないまま昨日は眠っちゃったんだよな。

 人型魔族と言っても結局は『イカ』なわけなんだし、生物図鑑の情報が確かなら、普通のイカは触腕が二本あって、足が八本あるんだったはずだ。


 イカの頭に人の胴体。二本の触腕に八本の足。


 ニアくんが見た姿が人型だったってことは、このイカが人間にみたいに立って歩いていたってことだろ?

 一体全体、イカ魔族はどんな姿をしているんだ?

 まさかとは思うけど人間みたいに"服を着ていた"なんてことはないよな・・・・・・?


「えっと、僕が遠くで見た時は『人』みたいに歩いてたよ。足は茂みで見えなかったけど、二本足で歩いてるみたいだった。木に"手"を付けているところも見えたんだよ!」

「そ、そっか」


 イカ魔族のせいで鼻息が荒くなってしまったニアくんに若干気圧されていた僕は苦笑しながらかろうじで返事をし、視線を左右に動かして森中を見探った。

 

 それから時間が経過し——昼。

 子供のニアくんの昼食や水分補給が必要になってしまったのだが、僕が背負っていたバックに入っていたものだけで、彼の昼の補給は十分に補うことができた。

 僕は『一週間の遭難』の経験があったおかげか、水分補給や食事の必要は全く感じなかったので、手持ちの水や食料は育ち盛りのニアくんに全て与えた——というか、無理やり押し付けた。

 彼は物を押し付けてくる僕に遠慮していたが、僕の「平気だよ」という言葉と、言葉通りに疲れた様子がない僕を見て「ごめんね、ソラ兄ちゃん。ありがとう」と礼を言って、僕が押し付けた携行食を頬張り、水をグイッと飲んだ。

 

 それが昼頃のことで、現在は午後三時過ぎになってしまっている。

 もうそろそろで日が暮れる時間が来てしまうため、今日の探索はここで引き上げになってしまうだろう。

 


 どれだけ探し回っても一向に見つかる気配が無い『童話に出てくるイカ魔族』が、自分の見間違いだったのではないか——という可能性を案じてしまっているのか、昼食を摂り終えた頃からニアくんは一言も喋っていない。

 それに昼食時以外ほとんど休憩無しで森を歩き回っていたせいで、ニアくんは「はっ、はっ、はっ・・・・・・」と息を切らしてしまっていて、彼の身体には子供には荷が重いくらいの疲労が蓄積しているのだろうことが一目瞭然だった。

 正直、昼食を摂り終えた頃には「今日は引き上げた方が良いかも」って言おうとしていたのだけど、彼の影が差した暗い表情を見てしまった僕は、そんな『酷』なことを言うことができなくなってしまった。


 彼の不信は僕には理解しきってあげられない。

 誰も信じてくれなくて、やっと味方が現れて。

 魔族を探し始めたのに、何時間も何も見つからくて。

 だから、彼は焦ってしまっているのだと思う。

 もしかしたら自分の『見間違い』なのかもしれないって。

 本当は村の人達の言う通り、そんな童話の魔族はこの世にいないのかもしれないって。 

 

 イカ魔族が見つかろうが見つからなかろうが、僕は彼の味方であり続けると確信している。 

 尊敬する友のように、全力で無条件に彼の力になってあげるつもりだ。


 だけど彼の体力は、もう限界がきてしまっている。

 だから、今日はもう止めておくべきだと思う。


「ニアくん、今日の探索はもう止めにしよう。夜が来て、ベットで眠りにつけば明日が来るよ。だから探索は明日にして、今日はもう休んだ方がいい」


 立ち止まった僕の言葉を聞き、歩みを止めて振り向いた彼の顔には、相変わらず影が差してしまっていたのだが、彼は目元を苦渋に歪めつつ、コクッと頷いた。


「・・・・・・ごめんね、ソラ兄ちゃん」

「気にしないでよ。見つかるまで何度でも探せばいいんだからさ」

「・・・・・・! う、うん!」


 泣き笑いのような顔で僕と会話をしていた彼は、突然膝から崩れ落ちた。

 何事かと肩を跳ねさせた僕が駆け寄ると、彼の足は体力の限界が来てしまっていたせいで、ガクガクと立ち上がることができないようだった。

 彼は僕が思っていたよりも無茶をしていたようで、そんな彼に僕は申し訳ないように眉尻を下げて言った。


「ごめんね、ニアくん。もっと早くに僕が言ってあげられたら」

「違うよ、ボクが悪いんだよ! だ、だから・・・・・・ありがとう、ソラ兄ちゃん。ボクを止めてくれて」

「・・・・・・そっか。よしっ! 僕が背負って帰るよ」

「あはっ! ありがとう!」


 僕はバックを前に移動させ、立ち上がれずに地べたに座り込んでしまっていたニアくんを抱き抱えて「よいしょっと」と言って、彼をおんぶした。


 めちゃくちゃ軽い彼に驚きつつ、背負われた彼が退屈しないよう、僕が体験した遭難の話や岩蜘蛛の話、エリオラさん達の話などをニアくんに聞かせながら、僕達は帰路に着いたのだった。

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