新たな事件と揺れ動く心

第32話:早朝


 「失礼します」


 真白は恐る恐る金属製の扉を開ける。

 そこは、複数のコンピュータが立ち並ぶ小さな部屋だった。照明は古い電球一つのみで、中は非常に薄暗い。

 真白の目の前には、黒服の男が一人、仏頂面で椅子に腰掛けている。


 「なんで撃たなかった? 」


 真白が扉を閉めた瞬間、男が静かに問いかける。


 「すみません、思わぬ邪魔が入ったもので…… 」


 真白は緊張の面持ちで言葉を紡ぐ。


 「それならそいつも消してしまえばよかっただろう。お前にならできたよな? 」

 「はい」


 男の圧のこもった言葉に、真白はうつむきがちに答える。

 思うことはあれど、決して余計なことを口にしてはならない。そんな空気感を肌で感じていた。


 「作戦は失敗だ。まさかお前がこんなヘマをするとはな」


 男は不機嫌そうにため息をつく。

 そして、舐め回すような嫌な視線で真白をじっと見つめた。


 「はい、申し訳ありません」


 真白は、男の言わんとすることを察し、深々と頭を下げる。


 「これがラストチャンスだ。明日の夜までに彼を殺せ」


 男はニヤリと笑みを浮かべる。

 しかし、その黒く濁った瞳は、決して笑ってはいなかった。

 そんな彼の瞳を見て、真白は確信する。本当にこれが最後のチャンスなのだと……。



★★★★★★★



 明け方、青野はふと目を覚ます。何気なく枕元のスマホで時刻を確認すれば、まだ5時前だった。外は暗く、起きるには早すぎる時間だ。だが、昨晩早めに寝たせいか、妙に目が冴えてしまい、二度寝をするという気分にはなれない。

 青野は一度大きく伸びをして、ベッドから起き上がる。それから顔を洗うため、部屋を出て洗面所へと向かった。


 「青野おはよう。ずいぶん早起きだな」


 青野が洗面所に入れば、ジャージ姿の速水が声をかけてくる。

 てっきりまだ皆寝ているものだと思っていた青野は、先客がいたことに心底驚いた。


 「おはようございます。先生も早いですね」


 青野は平静を装い、挨拶を返す。


 「そうだ、おれこれから外走りに行くけど、一緒に来るか? 」


 身支度を済ませ、洗面所を出て行こうとする青野に、不意に速水が話しかける。


 「え、今からですか? 」

 「ああ、昼間だと暑いからな。どうする?」

 「じゃあ、おれも行きます」


 青野は少し考えてそう答える。

 特にやることもなく暇だったので、いい気晴らしになると思ったのだ。


 「それじゃあ、先に外で待ってるから、準備してきて 」


 そう言って、速水は洗面所を後にする。

 青野は急いで自室に戻り、愛用のジャージに着替えると、階段で1階まで降り、寮の外に出た。


 「お、早かったな。じゃあ行くか」


 速水は駆け足で歩道を進んでいく。

 青野もその後ろに続いて走る。始めはゆっくり、それから徐々にペースを上げていく。

 ランニングはバレー部でもよくやっていたが、こんな時間に外を走るのは初めてだ。まだ日が昇っていないため、あまり暑さは感じない。それに、ときどき頬をなでる風がとても心地よい。


 「先生はよく走るんですか? 」

 「ああ、体力作りは基本中の基本だからな」

 「確かに。おれももっと体力つけないとですね」

 「そうだな、青野の能力は元の身体能力が一番重要だから、しっかり運動しとけよ」

 「はい」


 そんなやり取りをしながら、二人はまだ薄暗い夜明け前の道を駆けていく。


 「そういえば、先生の能力ってどんなのなんですか? 」


 青野はふと疑問に思ったことを口にする。


 「そうだな、今はまだ秘密だ。必要な時が来たら話すよ」


 速水はいつもの調子で答える。


 「そうですか…… 」

 「青野も、これから何があるかわからないから、自分の切り札は簡単に教えないほうがいいぞ」

 「そうします」


 青野は納得したようにうなずいてみせた。

 それから、しばらくの間沈黙が続いた。学園周辺の道路は、普段から車通りがあまり多くなく、この時間帯にはほとんど通らない。聞こえてくるのは地面を蹴る二つの足音と、規則的な呼吸音だけだった。


 「青野、体力大丈夫か? 」


 走り始めてからだいたい10分くらい経ったところで、速水が問う。


 「まだ全然大丈夫です」

 「そうか、さすがバレー部の次期キャプテンだな」


 生徒の頼もしい返事に、速水は微笑を浮かべ、さらにペースを上げる。


 「いや、まだ決まってませんからね」


 言いながら、青野は距離を離されないように足を速める。


 「それじゃあ、このまま学園一周して帰ろうか」

 「了解です」


 それから数分かけて、速水と青野は寮の前まで戻ってくる。そこそこの時間走り続けていたのにもかかわらず、二人ともほとんど呼吸が乱れていなかった。


 「お疲れ、どうだった? 」

 「やっぱり朝走るって気持ちいいですね」


 速水の問いかけに、青野は伸びをしながら答える。

 そのまま二人はゆっくり歩き、寮の中へ入ろうとしたその時、青野は視界の端で何かが光ったのを感じた。それは速水も同様のようで、光を感じた方に視線をやり、訝しげな表情を浮かべている。

 と、次の瞬間、またその方向が強い光に包まれた。それは一瞬の出来事で、感覚的には稲妻に似ているように思う。だが、だんだんと明るくなってきた空には雲一つなく、それが自然な現象でないことは確かだ。


 「先生、今の見ました? 」

 「ああ、ちょっと行ってみるか」


 そう言って、速水は光を感じた学園の正門近くへ駆けていく。

 青野も速水を追って、その場所へと向かうのだった。

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