第35話 贖罪

 エストリエの襲撃から数刻後。

 暗い地下牢を、長身の男がブーツを鳴らして行く。



「改めて、お久しぶりですねぇ。ユスティア嬢」


 

 鉄の檻の前に現れたガンマン、アルジェントは小さな椅子にゆっくり腰を下ろした。ユースティアは柵越しに彼の姿を認めると、微かに眉を顰める。



「……待ちくたびれたよ」

 

「いやぁ、すいやせん。なにぶん隊長やってるんで、多忙でね」



 飄々と笑ってみせるアルジェントを、ユースティアは少し疲れたような目で見つめた。先ほどまでいたフィオーレの姿はその場にはなく、彼女の発した言葉のみがユースティアの胸に傷を残している。


 

「そういえば、あの娘はどうしたんです? 灰色の髪の」


「フィオーレなら外に出て行ったよ。私が出獄するまでどこかで待ってるってさ」


「はぁ、それは随分と薄情な……」



 ユースティアは一瞬複雑そうな表情を見せ、無理やり話題を変えるように口を開く。



「私が王都に入れないってことは……国王はまだ、魔族と戦争する気がないんだね」


「そりゃあそうでしょう。その『戦争』とやらもうちの捕虜が話してましたけどね、正直信じられやせんよ。魔王が死んだって情報も真偽がわからんし、だからといって向こうが今すぐ戦争をふっかけてくるって確証もない。不確定な情報だけじゃ国は動かせねぇってことです」


「……ごもっともだ」

 

 

 自らの直感を信じてきたユースティアはもどかしさを感じつつも、自分の理論では目の前の男を説得できないことを改めて痛感する。騎士団本部に戻ったローゼオたちの進言が通ることを、今の彼女はただ信じ続けるしかない。


 しかし、その胸のざわめきは無視できるものではなかった。



(アストレアが何かしようとしてるのは確かなんだ……大惨事になる前に、なんとかして王国軍を動かさないと……)



 言い知れぬ焦燥感が、彼女の鼓動を速める。

 そこで頭をよぎったのは、先刻のフィオーレの言葉だった。


 

 

『私は、今でもあなたを憎んでいます。大嫌いです』



 

 それはいわば、自らの行動の「代償」。

 何も為さぬまま過去から目を背け続けたユースティアへの、至極真っ当な叱責の言葉であった。彼女にとっては同時に、半ば覚悟していた「言の」という形の罰なのである。


 

(みんなから歓迎はされないだなんて、わかってたけど……)



 その一言を噛み締めるように、拳を握りこむ。

 五年もの月日を経てようやく立ち上がった今の自分に、何ができるのか。多くの犠牲の上に生かされながらも、皆の信頼を裏切ってしまった罪を、どうやって償うのか。



(少し……私の認識が甘かったな)

 


 突きつけられたものの重みに、彼女の手は震えていた。

 彼女の背負う責任は、途方もなく重い。



「……ねぇ、アルジェント」


「はい?」

 

「私は、本当に——」



 無力さに打ちひしがれたユースティアは、弱々しく口を開く。

 しかし、それを遮るように響いたのは——「爆発音」だった。

 

 

 

「「——!?」」




 二人はほぼ同時に顔を上げ、音のした方へ振り向いた。

 

 続けざまに地響きと轟音が地下を駆け巡り、二人はどこかで地下牢内部が崩落したことを察する。すぐさま立ち上がったアルジェントのもとに駆けてきたのは、若い憲兵だった。



「憲兵長! 大変です!!」


「なんだ、何があった!?」



 肩で息をしつつ、憲兵はアルジェントの目を見て言った。



「正門衛兵隊が、何者かの攻撃を受け全滅——敵の地下牢への侵入を許しました……!!」


「衛兵が全滅だと? クソッ——敵の数は!?」


「それが……報告によれば、……と」


「はぁ!?」

 


 信じられない、といった様子でアルジェントは声を荒げる。一方、檻を隔てたユースティアは無言のまま、ただならぬ予感に冷や汗を流していた。



(単騎での王都地下牢侵入……そしてここには、フェデリカを殺したピンク髪の魔族が収容されてる——)



 点と点が線で繋がり、彼女の心臓が急速に脈動を速める。

 果たして彼女の予感は、的中していた。



「っ、まさか……!」




 

        ◇◇◇



 


 斬閃が錆びた鋼を断つ。

 地下牢の扉が一つ、無理やりに開かれた。



「遅くなって悪かったね。“お姫様”」



 開いた檻の前で、悠々とエストリエは笑ってみせた。 

 その視線の先にいるのは、鎖で両腕を吊り上げられた魔族の少女、カタリーナ。唐突に現れた同族を前に、彼女は少し訝しげな目を向け、皮肉っぽく微笑んだ。



「驚いたわ。てっきり見捨てられたのかと思ってたけど」


「心外だなぁ。ボクがそんな薄情なことするわけないだろう?」

 

「ハッ、白々しいわね。気持ち悪い」



 そんな言葉もエストリエは意に介さず、魔術で操った黒い剣でカタリーナの鎖を断ち切った。解放されたカタリーナはふらりと脱力し、ため息をついてまた立ち上がる。



「……で、まだあたしをこき使うつもり?」


「もちろんさ。戦争はまだまだこれからだ。当然、キミにも仕事は山積みだよ?」

 

「そ。めんどくさ……」



 カタリーナは不服そうに、エストリエの後をついて小さな牢屋を出た。通路には見張り役だった憲兵たちの死体が点々と転がっているが、魔族である二人は特に気にも留めない。



「リボルバー持ちの憲兵長にでも見つかったら厄介だ。早いとこ脱出しよう」


「当たり前よ。こんな薄汚いところ、もう散々だわ」

 


 彼女らの歩みを止める者は、もう誰もいない。


 そのはずだった。



「——おや?」


 

 先を行くエストリエが、ふと足を止める。

 通路のランプが照らすその下に、少女が一人うずくまっていた。エストリエたちの気配に少女は顔を上げ、翡翠色の瞳を大きく揺らした。


 そして数秒、フィオーレは魔族と見つめ合った。



「キミは……見たところ戦闘員じゃなさそうだけど」



 無表情に、エストリエは言い放った。

 先を急ぐカタリーナが後ろで顔をしかめる。



「戦う気がないのなら、通してもらってもいいかな。急いでるんだ」



 時間が惜しいと感じたのか、エストリエは彼女を無視して歩き出そうとする。しかしそれを遮るように、フィオーレはすっと立ち上がって、

 


「……いえ、待ってください」



 医療バッグを床に置いたまま、フィオーレは確かな意思をもって魔族二人と対峙した。まっすぐに彼女らの姿を見据えたまま、臆せずに語り始める。



「私は、王国軍医療班所属のフィオーレ・ソレンティーノです。先ほど私は、あなたのかつての親友であるユースティアさんをひどい言葉で傷つけてしまいました。私にとってこれは……取り返しのつかない程の、重罪です」



 フィオーレの弁舌に、エストリエは興味深そうに片眉を上げる。

 するとフィオーレは両手を広げ、ふっと目を細めた。



「どうぞ私を、殺してください」



 

 


 

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