第30話 終わりのはじまり

 王としての証も立場も、今のルシフェルにはない。

 今の彼に唯一できるのは、ただ無様に地面に伏して、与えられる結末を待つことだけであった。



「ずいぶんとまあ、善戦したね」


「……散々なぶっておいてよく言う」



 筋骨隆々の肉体も、黒の王冠もそこにはない。

 右手と右足を欠損した黒髪の細身な男が、赤い血の海に沈んでいる。一瞬にして全てを失った元〈魔王〉の末路は、誰が見ても呆気ないものであった。ルシフェル本人も、そんな自分を嘲るように薄く笑みを浮かべている。


 新たな「王」となったエストリエは、無数の魔物たちとともに彼を取り囲み、死にかけの虫を見つめる子供のごとくその死に際を眺めていた。その表情には少しの慈悲も同情も存在せず、ただ死にゆく彼の顔を何の感慨もなく覗きこむのみである。



「そこまでして……争いを求めるか。エストリエ」


 

 浅い呼吸をしながら、ルシフェルは仰向けに天を見つめる。エストリエは手のひらについた男の返り血を舐め取り、白い牙を覗かせて答えた。


  

「求めるさ。だってボクたちは」


「——“怪物バケモノ”だからか? ハッ、獣の間違いだと我は思うが」


「獣なんかじゃないさ。ボクたちは理性的に考えた上で、闘争本能に身を任せるんだ。魔族だって魔物と同じ『魔の者』だ、人間と戦わなければ生きていけない。ただその点、キミが道を外れてしまったこと……残念に思うよ」


「道……か。結局、異端者は我の方だったらしいな。人類との共存、というのも結局は我の理想論か……」



 虚しげに、それでいて悲しげに。

 天を仰ぐルシフェルの目は、遠いどこかを見つめるようだった。彼はふと瞼を閉じ、すべてを諦めたように全身の力を抜く。地面に刺さった黒剣を操作するだけの気力も、残ってはいなかった。



「やれ、ひと思いにだ。こんな醜態を晒してまで生きようとは思わん」

 

「そう。じゃあ遠慮なく」



 無抵抗なルシフェルの胸に手をかざし、エストリエは息を吸う。

 そしてささやくように、彼女は唱えた。




「——【“消し飛べ”】」




 瞬間、ルシフェルの身体が爆ぜる。

 しかし血飛沫などは現れず、塵と化した肉体が音もなく破裂するのみだった。まるで花が散るかのように訪れた静寂な結末に、エストリエは無表情のままその場を離れていく。


(写し取りも済んだ。あとは……)


 彼女が視線を向けたのは、もう一人の「逆賊」だった。

 


「やあリヴァーレ、生きてるかい?」


「……るせえ。殺すぞ」



 影の沼に半身を沈めていた魔族、リヴァーレは自力で這い上がって脱出した。術者であるルシフェルが死んだことで、黒剣とその源である影は次第に鳴りを潜めていく。


 

「死んじまったのか、あのクソ魔王は」


「ああ。これからはボクが彼の地位を引き継ぐことになるよ」


「ハッ……似合わねぇったらありゃしねぇ!」



 乾いた笑みを浮かべ、リヴァーレは破けた衣服を着直した。エストリエの頭に浮かんだ王冠を一瞥し、新たな〈魔王〉の誕生を彼も不意に噛み締める。



「で、キミはこれからどうするんだい? ボクが玉座に就いたからには、人間と共存するも殺し合うも、何もかも自由になるわけだけれど」

 

「……それなら、今すぐにでも殺しに行くだけだ。今回は不完全燃焼で終わったからなァ、王都にいる平和ボケした人間を根こそぎブッ殺してミルフィーユにしてやんよ!!」


「ボクたちに協力する気はないわけだね?」


「ッたりめーだろ。テメェが魔王だろうが何だろうが、オレは誰かの命令を聞いてやるほどお利口じゃねェんだ。自由に生きて自由に殺す……オレはそんだけでいい」


「ふぅん……そう。じゃ、ここでお別れだね」



 魔王エストリエの視線を背に感じつつ、リヴァーレは魔王城跡を歩いてその場から離れていく。しかしその中途で振り返り、彼女に胡乱な目を向けて言った。


 

「最後にひとつ教えろ。血吸い女」


「なんだい?」


 「……クソ魔王を消し飛ばした最後の魔術、ありゃ一体誰のコピーだ?」

 

 

 意外とでも言うように、エストリエは目を見開いた。

 そして僅かに誇らしげに微笑み、魔王は言い放つ。




「親友だよ。昔のね」






        ◇◇◇






 エストリエによる魔王討伐から、二日後。

 フォルトゥレグノ王国南端の海辺にあるユースティアの家の周囲では、騎士団をはじめとした王国軍の関係者たちが慌ただしく動いていた。カタリーナやフェデリカ周辺の処理は完了したが、国と魔王ルシフェルとの連絡が途切れ、魔族側との情報共有が困難になっているためである。


 しかしそんな中、ユースティアは——



「ネーヴェ、怪我はもう大丈夫なの?」


「全然大丈夫です! あ、ちょっと俺泳いできますね!」



 ユースティアはビーチチェアに寝そべり、元気に走り回る弟子の姿を遠目に眺めていた。彼女の隣には医療班のフィオーレもおり、大怪我をしてから間もないにも関わらずその健在ぶりを発揮するネーヴェに、どこか呆れた目を向けている。



「あれだけ大きな怪我をしたってのに……馬鹿は元気ですね」


「馬鹿っていうより化け物の方が近いんじゃない」

 

「あれー!? なんか二人して俺の悪口言ってませんかー!?」



 海から叫ぶネーヴェに、二人は素知らぬ顔をした。

 すると今度は、砂浜の向こうからざわついたような声があがる。



「——なんですって!? そんな、それじゃあ……」



 声をあげたのは、駐在中の副団長のローゼオだった。

 ただならぬ予感を覚えたユースティアは立ち上がると、彼とその周りを囲む騎士たちのもとへ駆け寄る。ローゼオの頬には一筋の冷や汗が流れていた。


 

「ローゼオ、何かあったの?」


「……ええ。伝令役からの情報なのだけど、」


 

 

「——魔王ルシフェルが、殺害されたそうよ」




 ユースティアは絶句し、瞠目したまま立ち尽くした。

 そしてその瞬間、彼女は途轍も無い速度で思考を回し、あるひとつの結論にたどり着くことになる。それは正しく、彼女が常日頃思い描いていた中で最悪のシナリオだった。



「……わかった。じゃあ、私も行くよ」



 ローゼオや周囲の騎士たちが、彼女の方を振り向く。

 自分の聞き間違いではないか、という顔がそこには並んでいた。



「ユスティアたん、今なんて?」

 

「私も王都に戻るって言ったんだ。今から私は、王国軍に全面協力する」


「本当でございますか、ユースティア様!?」


「ユースティア様の協力が得られるなら、こちらとしても心強い限りで——!」


「ちょ、ちょっと待ちなさいユスティアたん。あなた、どうしてそんな急に……」


 

 唐突なユースティアの決断に戸惑ったローゼオは、彼女を諭すように問いただした。しかし、既に覚悟を決めた様子の彼女の意志は揺らぐことはない。はっきりとした口調で、ユースティアは答える。



「魔王殺害の主犯は、おおかたエストリエってとこでしょ?」


「えっ……ええ、よくわかったわね」

 

「そういうことなら、私もここで休んじゃいられない。あいつのことならもうこっちを攻め落とすだけの計画を進めてるはず……今すぐ全員で王都に戻って、迎撃体制を作るよう要請しないと間に合わないよ」


「ちょっと、落ち着きなさいユスティアたん……! あなた一体、さっきからなんの話を——」



 珍しく緊迫した雰囲気で話すユースティア。

 彼女はローゼオの問いに、まっすぐ簡潔にこう答えた。




「また、始まるんだよ。魔族との戦争が」

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る