第一章 魔法なきセカイのスローライフ
第1話 海辺のスローライフ
「――――っ!?」
全身を悪寒が走るような感覚で、私は飛び起きた。
呼吸が荒い。
心臓が跳ねるように、忙しなく鼓動を打っている。
――まだ、生きている。
そんな実感に包まれて、私の鼓動はだんだんと落ち着いていった。心拍の落ち着きを感じるとともに、長いため息が時間をかけて口から漏れ出ていく。
「嫌な夢……」
あれはきっと、悪夢だ。
本当ならもう、思い出したくもない記憶。
私がすべてを失った、あの日のこと――。
「ううっ、頭痛い……寝過ぎたかな……」
これ以上あの夢のことを深掘りするのも、なんだかつらいだけのような気がしてきた。早々に思考を打ち切って、ふらふらとベッドから降りる。
そんなわけで目覚めは最悪だったけれど、私の一日はまだ始まったばかりだ。シャキッとなるようなことをすれば、気分もたぶん紛れるはず。
「よし! 今日も朝から元気に――」
大きく伸びをして、窓の外を見る。
陽の光がさんさんと、海辺に降り注いでいた。
「元気、に……?」
あの輝きようは、おそらく朝日のそれじゃない。
というか、もうだいぶ太陽が昇っている。
まずい……もう昼だ。
「あー、半日ムダにした気分……」
眠気覚ましのため顔を洗ってきた私は、少し遅めの朝食をとることにした。
こんなふうに文句を垂れてはいるものの、原因は九割九分私にあるのがこの世界の残酷なところだ。くそったれめ。
カチコチのよくわからないパンを、コーヒーで流しこむ。
これを食事と呼んでいいのかについては、私もまだわからない。
……ていうかこのパン、本当にパンなのか?
「にゃーご」
忌々しくパンを睨んでいると、猫の鳴き声が聞こえてきた。
部屋の奥からやってきたのは、一匹の黒猫だ。
こいつは私の飼い猫で、名前はシャーロット。ぜいたくな名だ。
いや、飼い猫というより唯一の話し相手と言うべきか……。
「ごめん、シャロ。朝ごはんまだだったね」
「んにゃー」
「え? ああ……そうだね。すべては私が起きるのが遅かったせいだね。ごめんって、ほんとに反省してるから」
「なーご」
他愛もない会話(?)を交わしながら、シャロの分の朝食も用意する。
こいつのご飯は、その辺で釣ってきた魚の切り身をなんか適当にぶっ叩いたやつだ。魚のたたきとも言う。ぜいたくな猫だなとはいつも思っているけれど、こいつは魚以外食べない偏食家だから仕方がない。
「ほら、食べな」
「みゃー」
小皿に盛り付けたそれを、ご機嫌斜めだったシャロ様に献上した。
こいつ、絶対私のこと下に見てる気がする。
もとは捨て猫だったくせに……。
「おまえさー、少しは私に感謝しなよ? 元大陸最強の大魔法使いに拾われるなんて、おまえは世界一幸せな猫なんだから。ほんとにわかってる?」
「み?」
(まあ、わかってるわけないか……)
猫のこいつに何を言おうが、無駄かもしれない。
そろそろ、寝ぼけたことを言うのも終わりにしよう。
朝食の食器を洗った後、私はようやく家の玄関扉に手をかけた。
「それじゃあシャロ、留守番よろしくねー」
「んみゃー」
飼い猫に家のことは任せて、私は外出することにした。
といっても、そこまでの遠出じゃない。
ただ、私の
「ふぅ……あっついなぁ……」
白い砂を踏みしめながら、手で日差しを遮る。
時折、押し寄せてきた波が私の素足にかかってきた。
そう、ここが私の庭。
私だけが入れる、青い海と白い砂浜だ。
いま私の住んでいる一軒家から階段を降りてすぐのところにある、いわばプライベートビーチ。大陸の辺境の辺境にあるこの場所には他に誰も寄りつかないため、まあ仕方なく私が独り占めしている。
もっとも、ここに住んでいる理由の大半がこの海なんだけど。
「海辺のスローライフ、最高……」
どこまでも広がる海を眺めて、呟く。
ここは年がら年中暖かくて日差しも強いけれど、都市部の喧騒から逃れるという意味では打ってつけの場所だ。私のような自堕落なエルフには、こういう場所で余生を過ごすのがお似合いだと思う。
さすがに暑いので、パラソルの下のビーチチェアに寝転がる。
このまま何時間でも過ごせてしまえそうだ。
(退屈だけど、たまにはこういうのもいいかも……)
ここに住むようになってから、それなりの月日が過ぎた。
生活は前に比べて単調だけど、そのぶん余計な悩みを抱くこともない。今日みたいにつらい記憶が蘇ってきてもすぐ、この広い海が私を癒してくれる。
ここは、私にとっての天国なんだと思う。
ここで生き、ここで死ぬ。
漠然と、そんな気がしていた。
日が暮れる前に家に戻って、しばらく読書に耽った。
私の書庫には、戦争中に買うだけ買って手をつけられなかった本が、所狭しと山積みになっている。こいつらを一冊一冊じっくりと読んでいくのが、私の午後の日課だ。
「そろそろお腹すいたな……」
読み始める前に淹れたコーヒーも、すでに飲み干している。
いい加減に夕食の支度を始めなければ。
「材料、なんかあったっけ……?」
食材の確認のため、私はスツールから重い腰を上げる。
するとちょうどそのとき、玄関扉が三回ノックされた。
「ん? あれ、誰だろ……?」
しばらく間をあけて、またきっちり三回ノック。
扉をノックされただけだが、私は少し怪訝に思っていた。
今日はお客を呼んだ覚えはない。
というか、ここを訪ねてくる人物なんて思い当たらない。
「ユスティア様! 開けてください、俺です!!」
今度は扉越しに、男の声まで聞こえてきた。
よく通る、澄んだ声色だ。
(いや、「俺」だけ言われてもわかんないよ……)
とにかく、相手は私に用があるみたいだ。
扉の鍵を開けて、おそるおそる開けてみる。
すると、そこには。
「あ、よかった! やっと見つけましたよ、師匠!」
軍服に身を包んだ黒髪の青年が、そこに立っていた。
師匠……?
「…………え、ごめん誰?」
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