断食道場破り満腹コース

あめはしつつじ

食前酒が甘すぎる

 鴨が葱を背負って来る。

 なんて状況は、実際には起こりえない。

 現実に起こるのは、そう、いつも。

 鴨が詐欺を背負って来るのだ。




 葦原美弥子というカモが、この私、吉野雪子の推理事務所を訪れるのは、もう、何回目になるだろうか。

 はぁはぁと、息を切らしながら、美弥子は背負っていたリュックサックを、ソファに置いた。リュックの中身が、カラカラと高い音をたてる。美弥子はソファに、ぼふと沈み、

「はー、疲れたー、ゆきちゃーん、アイスコーヒー」

 と、コントラバスのような声で、私に言った。

 キッチンの壁にかかっているトングを手にし、業務用製氷機から、一辺8cmの凍らせたガムシロップを、特大のビールジョッキに三つ入れ、コーヒーをなみなみと注ぐ。ストローは付けない。

「みやぁこ。あなた、いい加減に食生活を改めないと。死ぬよ」

 このビルのオーナーの娘で、うちの事務所の常連。またまた依頼人となるであろう美弥子を窘める。私は、フォアグラを嗜まない。

「そうそう、私もそう思って。さすがに痩せなくちゃーって、あ、コーヒーありがとう、」

 美弥子は、数秒で、ジョッキの半分を飲み干し、テーブルに置く。大きく氷が音を鳴らす。美弥子は、リュックから、一つ、缶詰を取り出す。缶の崩れる音がした。

「これこれ、高富久寺こうふくじっていうお寺で、有名な断食道場があるんだけどね。とっても評判が良くって。参加した人全員、痩せれるって噂で、」

 私は美弥子から、缶を受け取る。

「そりゃ、食べなきゃ、痩せるでしょ。自然の摂理。当たり前」

 受け取った、缶が、軽い。

「まあ、言われてみれば、そうなんだけど。でね、私もそこに、参加してみたくって、でも、ちょっと、遠いのよ。でもね、調べてみると、通信断食教室? っていうのをやっていて、で、応募したの」

「その、通信断食教室っていうのは、もしかして、一食を、この、缶詰に置き換えなさい、とか言われたの?」

「うん、そう」

 私は大きく深呼吸を、いや、深刻なため息をついた。

 缶詰には、こう書かれていた。

『食う気のなくなる空気』

「開けていい?」

「ええ、どうぞ」

 ぽしゅ。

「空気、だ」

「ええ、空気ね」

 私は空の缶を、美弥子の柔らかい腹に向け、投げつけた。

「あんた、馬鹿なの? 毎回毎回、何度目よ。何度騙されたら気がつくの? いい加減目を覚ましなさい」

 たぷたぷしている美弥子の頬の肉を、両手でうによんと引っ張る。

「ごへんなしゃい、ゆひしゃん、ひっははないで」

 私の、今までの頑張りはなんだったのだろうか。手を離す。

「へねへね」

 頬をさすり、甘い物の食べ過ぎで、両方の奥歯が虫歯になったような格好で、美弥子は続ける、

「でねでね。いくら位、引っ張れるかな?」

「無理。引っ張るとしたら、健康食品の景品表示法違反、かな? でもこれ、そもそも健康食品。いや、食品ですらないし」

「空気だから?」

「空気だからっ。はー、ジョークグッズとして、笑えるお土産品として売っている物です、と言われたら、そこでおしまい。せいぜい今残っている分を返金してもらうくらいかなー?」

「えー、こんなにたくさん持ってきたのにー」

「見本なら、持ってくるのは、一個で良かったんじゃないかな。ささ、お引き取り願いましょう」

「待って、待って、私も別にこんなので、引っ張れるなんて、思ってないの。安かったから、試しに買ってみただけで、」

「一個いくら?」

「五百円」

 安くない。決して。これだから、ボンボンの娘は。

「でねでね。本題。この缶詰の売っているお寺、高富久寺の断食道場の噂なんだけど。そこの住職さん。満福まんふくさんっていうお坊さんがいるんだけど、なんと、その人、修行によって、空腹にならないんですって」

「痩せ我慢、ってやつでしょ」

「違うの、写真で見たけど、その人ちょっと、ふっくらしてたし、って違う違う。大事なことは、そうじゃなくって」

「口を挟んで悪かったわ。本題をお願い」

「実はね、その人、食事を一切摂らないで。呼吸をするだけで、生きているっていうの」

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