Season8:統合失調症(本物)になると、起こること。(雑記ブログ)(とうおこ)(完結済)

井上和音@統合失調症・発達障害ブロガー

2024/06の記事

1221記事以降

精神障害者に限って、存命中は「迷惑だ早く死ね」と言われるのに、本当に死んだらお墓の前で「生きていてくれてありがとう」とか、手のひら返しの評価を受けるものです。

──『私の話なんか聞かなくていいです』──

☆☆☆


 2024年6月1日(土)。17時25分。


 こんにちは。井上和音です。


 最近は知能が劣ってきたと感じています。それを踏まえてお読み頂きたいです。


 人間は成長するのではなくて、30歳くらいで劣っていく生き物なのかなとか思ってしまいました。


 昨日、親戚が集まって法事が行われたはずが、なぜか今日に順延して、なぜか私も飛び入り参加することになりました。


 飛び入り参加する時点で、浮くのは分かっていたのですが、フォーマルな格好をしていたのが私だけだったので余計に浮きました。というか、男は力仕事の為に駆り出されていたような感じで、言ってみれば、お墓の前でぼけーっと突っ立っているしか方法はありませんでした。


 実家とは違い、自由な雰囲気の家庭の法事。みんなフォーマルとか関係ないし、法事だから自粛しなければいけないなんてムードはさらさらありませんでした。


 何もできずに、ぼーっとしていたら法事が終わりました。何も話していません。


 家に帰って、カップヌードルカレーを食べて、雀魂して、町田ゼルビアの試合を観ながらHUNTER×HUNTERを読んでいたら、今、17時30分。何のお金も使っていませんが、これが私のしたかった理想な大人なのでしょうか。


 理想な大人など追い求めずに、楽しいことだけをやる大人になろうとしたら、なんか違うような大人になってしまいました。墓の前で何も出来ない自分を顧みながら、「パートタイマー中の自分と似ているな」と感じました。何もせずにぼーっとする。何の為に居るのか分からない。しかしながら、遠縁の親戚で出しゃばっていくのも何かがおかしい。こういう時には敢えてぼーっとして、周りの動きをぼーっと見るだけなのですが、客観的に少しおかしな人と言う意見で一致していそうな気がします。


 「和音くんは偉い」と言われましたが、何もせずに完成形だけ見る感じがお偉いさんのやる感じと似ていたようでした。そういえば、就労移行支援事業所でも「社長出勤」とか言われていました。11時頃出勤していましたからね。そして、自分からは何も言わずに、結果だけ見る。そうか、私は偉いのか。使えないだけだと思いますけれどね。


 自分のやっていることは大学生がやっているようなことと同じな気がします。それで勉強もできない。いずれやってくるだろう「君ってクズだったんだね」の目線はいつになったらバレるのでしょうか。


 私が何一つ喋らずに(多分、パートタイマーや完全なる絶望を経験していないと、孤独感と罪悪感で普通は出しゃばってしまいます)、ぼけーっとしていたら、何かを話そうと「そういえば和音くんはサッカーとか観に行ってるんでしょ」と言われ、「いいえ」と言って、「あれ。ロアッソ熊本とか観に行ってなかったっけ」と言われ、「KKWINGは遠いですから」と言って、「え? 県内だよね」と言われ、「いや、遠いですよ」と言って会話は終わりました。私がずれていることと、ただの引きこもりであること。仕事以外は極力外には出たくはないこと。遊ぶほどのお金も人脈もないこと。そこらへんを理解してくれないと、私との会話は普通の人とはずれこんでしまいます。


 「私は変人なんです」と口にするのは負けだと思いますし、いや、もう書きたくないか。書くだけ虚しい。


 脳みそが死んでいるのか、ごろ寝をするくらいならば何ができるか考えてみたら、Abemaで無料の町田ゼルビアを応援するか(アルビレックス新潟に負けました)、雀魂で運の良し悪しを計るか、Fit Boxing 2でもするか。とにかく家から出ません。人と話しません。友達はいません。幻聴がずっと聞こえてきます。嫌だ。嫌だ。嫌だ。


 私は試されているのか。出来るだけ人との接触を避けて生きていったら、こんな人間になっていくのか。バレていくのか。何もしない私がバレていくのか。


 もう一日が終わる。くだらない。ふざけている毎日がまた終わる。どんどん衰えていく。読書になんの興味も無くなっていく。語彙力も落ちていく。Xを見ても何にもならない。本当に痴呆が進んでいく。私に責任能力が無くなっていく。


 よりよい選択を続けていった結果こうなったのか。目的地も何もない人生は、特に何もなく終わりを告げる日がやってくるのかなと思いました。死にたいとか言い始めたら施設にでも入れられそうな気がしますからね。結局は監獄ということには変わりはありません。


 死んだら生きる必要性もなくなるらしいですからね。それどころか死んだらずっと悲しんでくれる特典付きらしいです。生きていたら疫病神でも死んでしまったら「生きていてありがとう」と感謝される世界線へと変わっていくこの謎の世界。人間。生きているうちに、「生きていてありがとう」と伝えたほうがいいですよ。死んだ後は聞こえはしないのですよ。死ぬ寸前に「自分は生きていてよかったはずだ」と信じるしか方法はないわけです。大半の人は死ぬ寸前は、痛みや苦しみと共に、生きたことで他人に感謝されているはずだと信じる他はありません。本当に死を目の前にした人が、自分が許されない生き方をしてきたと、自分を追い詰めるだけの余裕などありはしないでしょう。そして死んだら、「生きていてありがとう」と言われるわけです。生きているうちに、余裕のあるうちに伝えておきたいこの言葉。そんなことを考えもしないで楽しく生きることが大半の人の理想であることは間違いがないような気はしますけれども。私が生きていて楽しくないだけですね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る