最悪のアルバイト
@Ascend55
最悪のアルバイト
ばばを引いた。という言葉を使うならばこのようなときの為だろうか。いや、そんな言葉では足りない。
その日の派遣バイトも、前日夜にメールで通知がきた。ビル内にある仮設トイレの撤去だという。人員は二人。班長は一度前に現場で一緒だった明石という名前だ。何人かの作業現場で一緒でだったはずだが、どんな人だったか思い出すことができない。そのときも班長だったので自分よりもこの仕事の経験は長いはずだ。
通常はいわゆる荷揚げと呼ばれる、建築現場を中心に資材を運んだり、家具を搬入したりする仕事である。得意先によって、引越しの手伝いだったり、物置の解体だったり、何かの会場の組み立てだったり、行ってみてどんな仕事になるかは分からない。ラッキーも良く起こる仕事で、呼ばれて行ってみたけれども、ほとんど30分とかからずに終わってしまうことある。逆に、圧倒的に資材が多くてヘトヘトになることもあったり、作業自体はほとんどないのに、現場監督が帰らせてくれず無駄に待機したり、あまり意味のない掃除をしたりすることもある。呼ばれる人員もその日によってまちまちで、知った顔同士で作業する日もあれば、始めての会った者同士で作業することもある。
明石君、おそらくだいぶ年下なので君付けで呼ぶことにしよう、は上下黒で帽子を被り、まじめそうだった。僕にあまり構わず得意先と挨拶した。今日一日、仕事を指示する職長だ。篠塚とヘルメットに名前がある。彼は明石君に、今回は地下の作業で地下から資材を持って上がらなきゃいけないことや、昼過ぎまで時間がかかるなど簡単に説明した。一緒にいる僕には全く気をつかってはおらず、多少ぶっきらぼうな感じで、ビルの地下にある、仮設トイレに向かった。明石君も僕に声をかけずにいってしまったので、僕はあわてて彼らの後を追った。
作業着に着替えながら、
「あ、帰りって事務所に寄っていけますか?」
と明石君は言う。
何やら借りている腕章を事務所に返さなければいけないらしい。
帰り道わざわざ立ち寄らなければいけないし、それは今日の班長である明石君の仕事だろうと思い、
「うん、どうでしょう。多少遠回りをすれば帰宅途中ですが、通常ならば帰り道ではないですね。」
と返答を濁らせたが、明石君もそうですかと曖昧な返答をするだけだ。
仮設トイレは、板で区切られた空間に、小用の便器が10何台、大用の個室も5つくらいあった。ビル工事の作業員たちが用を足すように一時的に作られているものだが、なかなかしっかりと組み立てられている。
「明石さん、自分こういったトレイの搬出って初めてなんですけど、衛生面とか大丈夫ですかね。」
と尋ねる僕に、
「え、普通に汚いよ。うんこ踏んだことだってありますし。見てくださいよ、そこの便器。普通に汚れているでしょ。」
彼は答える。
篠塚とヘルメットに書かれた職長は、もくもくとトイレを解体し始めた。解体した便器や壁材や備品を台車に載せて、搬出トラックの来る場所まで持っていくのが、自分たちの仕事だ。
「はい、これ持って行って」
職長に言われた小用便器をもつときに、
「えっと、ちょっと、心の準備をしてっと。」
持つ場所によっては、軍手や作業着が汚れてしまう。明石君は、手で便器を持ちながら、うまく汚れないよう身体から離して持っていった。僕もそれに続いた。
作業着が汚れるには、時間がかからなかった。小用の便器は身体から離してもっていても、後ろのパイプから水が漏れていたらしい、僕のズボンと靴は2,3回往復するうちに濡れていた。もう汚れる覚悟をするしかなかった。
小用の便器を一通り運ぶと、職長は慣れた様子で、仕切りの壁材などをはずし、大用の便器も取り外していった。大用便器は、重たくて引きずるか、身体につけてしか運べなかったが、明石君は両手でしっかりと持ち上げて、台車に乗せだした。
職長の後輩らしい作業員が、ペットボトルのお茶を持ってやってきた。
「お疲れ様です。休憩しながらやってくださいね。」
といってお茶を渡そうをする彼に、
「ありがとうございます。ちょっと汚れているんで、そこに置いちゃって下さい。助かります。」
明石君は答えた。
多少の匂いはもうマヒしていた。しかし、配管を運ぶ時であった。職長は簡易電動ノコギリで配管を切ったとき、中から汚物があふれ、僕は吐き気を催すような悪臭におそわれ、思わず体をくねらせた。
「ああ、これやばいね。」
それでも職長は、淡々とグリスとよばれる布巾のようなものをつめて配管の口をふさぎ、それを明石君は運び出す。
こんな仕事だったなんて、酷すぎるじゃないか。僕は汚物を扱う恐怖、そして怒りを感じていた。世界のドン底にいるような気分になった。しかし、ただ感じがよくないぶっきらぼうな職人だと思っていた職長、そして仲間に気も使えないと思っていた明石君たちの態度に、少しづつ魅了されていた。
「こういうトイレの現場って、結構あったりしたんですか?」
「何回かありましたよ。搬入ならきれいな状態なんでいいですけど、搬出はちょっと汚いすよね。」
彼も淡々としている。
「自分、明石さんのこと尊敬します。これ自分が班長として来ていたら、きっとヤバかったです。」
「いやいや、慣れですよ。職人さん達も毎回やってますしね。」
搬出のトラックドライバー兼職人がきた。便器を担いで荷台までもっていく。職人は、そうかお前もこれをやった仲間か、と無言で語りかけているようだった。一言も言葉を交わさなかったが、仲間意識をもって受け入れる目をしていた。
その日は、搬出のトラックが通路に入れないというアンラッキーも起こり、現場は予想以上に長引いた。僕はずっと、今後この案件が来ることのないように、会社にNGを伝えようと考えていた。こんな大変な思いをしなくたっていい。作業着も靴も手袋も汚れたし、クリーニング費用を含めて、割に合わないと伝えよう。
しかし、これを繰り返し淡々と作業をする彼らの存在に、自分はこれまで気が付かなかった。知る由もなかった。
「お疲れさん。ご苦労様。」
「ありがとうございました。またお願いします。」
寡黙ながら、もはや一体感をもつ彼らをみて、僕も昨日とは違う自分になっていると勝手に感じていた。篠塚さんは僕の目をしっかりとみて微笑んだ。
そうだ、あの子に今日は謝ろう。あの日から返事を貰えていなかったあの子に、また僕から連絡してみよう。
腕章を事務所に届ける足取りは何故か軽く、
ビルの外の太陽の木漏れ日は、キラキラと輝いていた。
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