第四十三話 決まり事

 都内の某大学のOBであるYさんは、学生だった当時、学内の人形劇サークルに所属していた。

 いわゆる劇団の一種だが、「出演者」はすべて人形である。人形はどれもサークルメンバーによる手作りで、普段はそれぞれ箱に収められ、サークル棟の一階にある部室に保管されていた。

 その人形と部室について、サークル内では代々、おかしな決まり事が伝わってきたという。それが、以下の三つだ。

 ――一つ目。人形は複数を一つの箱にしまって構わないが、魔女と狼の人形は、それぞれ独立した箱にしまわなければならない。

 ――二つ目。夜九時を過ぎたら、部室に入ってはならない。

 ――三つ目。同様に夜九時を過ぎたら、部室から何が聞こえても、中を覗いてはならない。

 以上。これがサークルの決まり事だ、という。

 しかしある時、この決まりを破った者がいた。

 他ならぬYさんである。

 ちょうど文化祭の近い、秋の木曜日のことだった。

 公演を間近に控えたYさん達は、夜遅くまで残って、部室で劇の練習をしていた。ちなみに演目は、『赤ずきん』だったそうだ。

 その日は八時半で解散となった。Yさんを含め、一年生の何人かで後片づけをして、部室を出た。

 Yさんはそこで皆と別れて、一人でトイレに向かった。

 用を足して戻ってくると、すでに残っている学生は誰もいなかった。

 いくつもの部室のドアが並ぶ廊下に、ただ蛍光灯の薄明かりだけが、静かに灯っている。どことなく薄気味悪さを覚えて、Yさんが引き上げようとしかけた時だ。

 ふと――声が聞こえた。

 自分達の部室からだ。

 きゃぁ、という、それは悲鳴のように思えた。

 Yさんは、立ち去りかけていた足を慌てて止め、ドアの前に戻った。

「誰か、まだいるの?」

 ドア越しに声をかける。それからノブをつかんで回そうとしたが、施錠されているため、ビクともしない。

 そもそも、すでに戸締りが終わっているのだ。中に人がいるはずがない。

 きっと気のせいだろう、と思い、もう一度立ち去ろうとした。

「――めて」

 ……やはりまた、声が耳に入った。

「――ないで」

 ドア越しに、微かに聞こえる。

 どうやら、女の子の声だ。

 しかも、どこか切羽詰まっているように思える。Yさんは、これはただ事ではないと感じて、何とかして中に入れないかと辺りを見回した。

 あいにくドアは、この鍵のかかった一ヶ所しかない。

 しかし外へ回れば、窓から中の様子を窺えるはずだ。Yさんはそう考え、急いでサークル棟を出て、窓の方に向かった。

 辿り着いた窓の中は、真っ暗だった。消灯したのだから当然だろう。

 ポケットからスマホを取り出し、ライトを点した。

 窓ガラス越しに光を入れ、室内の様子を探る。しかし、何も変わったところは見当たらない。

 やはり気のせいだったのだろう。Yさんはそう自分を納得させて、その場を後にした。


 事件が発覚したのは、その翌日のことだ。

 ……人形が、一つ消えていた。

 消えたのは、赤ずきんの人形だという。

 最後に赤ずきんを見たのは、Yさんだった。練習で使った後、他の人形と一緒に箱にしまった記憶がある。

 ただ、確かその時――。

「……狼、一緒に入れたかも」

 Yさんがそう呟いた途端、数人の先輩がわずかに表情を歪めた。

 先輩達はその場でYさんに、狼の人形を他と分けなかったことを注意した。

 しかし、赤ずきんを捜す様子はなかった。

 ……狼と一緒に箱にしまわれた赤ずきんは、いったいどこへ消えたのだろう。

 ……あくまで人形だというのに、まさか。

 Yさんは、ただひたすら、嫌な想像しかできなかったそうだ。


  *


 『絵本百物語』に「よるがく」と題された章がある。人形じょう瑠璃るりで使われるこうの師直もろなおえん判官はんがんの人形が、夜になると楽屋で争っているという話で、これは人形を遣う者の魂が人形に籠ったためであるという。

 人形を箱にしまう時は、因縁のある組み合わせは避けた方がいいのかもしれない。さもないと、赤ずきんのように――。

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