第三十七話 負うてくれた
S県に在住のあるかたから、こんな話を聞いた。
二十年ほど前のこと。その人の家の近所に、Yさんという男性が住んでいた。
老いて認知症の進んだ母親と二人で、小さな戸建ての家に暮らしていたが、それがある時、突然警察に逮捕された。
死体遺棄容疑だった。
Yさんが遺棄したのは、母親の遺体だったそうだ。
後に執行猶予がついたYさん自身から聞いた話によれば――自宅で母親が急逝した時、不意に魔が差したのだ、という。
目当ては、年金だった。
このまま母親が生きていることにしておけば、定期的な収入が約束される――。後から思えば愚かな考えだったが、その頃のYさんは収入が安定せず、家計が苦しい時期だった。
Yさんは、母親の死を通報しなかった。
ただ、遺体をいつまでも家に隠しておくわけにもいかない。
人目につかない場所に捨ててしまおう、と考えて、近くの山に遺棄することにした。
Yさんの母親は、晩年、よくこの山を歩いていた。
散歩、というよりは徘徊に近く、山道を無視して森の中にまで足を踏み入れていたそうだ。しかし、それでも決して迷うことはなく、夕方にはしっかりと、家に戻っていた。
もっとも、その戻り方というのが、いささか奇妙なものだったらしい。
Yさん曰く――母は決まって、いつの間にか庭にぽつんと佇んでいた、という。
初めて母親が山に迷い込んだ時も、そうだった。
その日、散歩に出たきり戻らない母親の身を案じて、Yさんが近所の人に尋ねて回ると、どうやら山へ入ったらしいことが分かった。
これはもしかしたら遭難したのでは――。Yさんはそう考えて青くなったが、一度家に戻ってくると、母親が庭に佇んでいた。
「あれ母さん、どこへ行ってたんだ。心配したんだよ?」
「山だぁ」
「そんなところへ行ったら危ないよ。よく無事に帰ってこられたな」
「あぁ。親切な人が、負うてくれた」
母親はにこにこ笑いながら、Yさんにそう答えた。
その後も、同じことが何度もあった。
母親は山へふらふらと入り、夕方、いつの間にか戻って庭にいた。
何があったか尋ねても、「親切な人が、負うてくれた」としか答えない。
しかし、相手がどこの誰なのかは分からない。Yさんも、近所の誰も、母親が山を下りて家に戻ってくるところを、一度も見たことがなかったからだ。
その母親の遺体を、Yさんは車に積んで、山に運んだ。
夜更け過ぎに、山頂近くの森に埋めた。
ごめんな、と心の中で何度も手を合わせた。それでも今は人道より、目先の金が大事だった。
明け方家に戻り、疲れから一眠りした。
目が覚めたのは、夕方のことだ。
……母親の遺体は、庭にぽつんと在った。
また、親切な人が、負うてくれたのだろうか。
Yさんは、すぐに自首したそうだ。
*
『絵本百物語』に曰く、深山には「
Yさんの母親を負うてくれたのも、この「山男」のようなものだったのかもしれない。
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